011. 京都 奥田昌道先生講筵

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■011. 京都 奥田昌道先生講筵 (2007.1.22)

 






 それは、地上に突き出た天國の橋頭堡のやうな、清淨な祝福に滿たされた集會だつた。本當だよ。世の中には、目立たないかも知れないが、さういふ人たちの集りが確かに存在する。

楽しい日記 2006.12.25)

 

 迷ってしまった。路地沿いの家で道を訊ねる。日曜の午前10時前。ひと気のない路上。そのお宅なら、ええ、たぶん分かります・・ あの頼山陽さん の史蹟の横に小さな路地が・・ 。ちょうど学生風の若者が二人おなじ角をまがり、入っていった格子作りの玄関をつづいてくぐった。靴を揃え、玄関に続いた 小部屋にあがったらさっきの若者が見当たらない。逡巡していると左手の手洗いから中年の女性が出てきた。どうぞそちらへ・・ と示された急な階段をあが り、小津の映画セットのような小部屋の連なる廊下の暗がりをすすむと、明るい空間に出て、人が集(つど)っていた。襖をはずした和室二間分の質素な空間。 演台に二本のマイクがセットされ、いくつかの録音機器がそれにつながれ、座布団と壁際に置かれた椅子にめいめいが坐している。硝子窓の外には鴨川のやけに のどかな土手のひろがり。しばらくして集会が始まった。賛美歌がひとつ歌われ、しずかになったと思ったら、みなそれぞれ手を合わせて祈りを捧げている。静 寂が数分つづく。つづいてMさんという中年の男性による朗々としたイザヤ書の朗読と日々の雑感。賛美歌をはさみ、O先生の講筵。「我、みずからの故により て」とは、やはりイザヤ書の43章25節による。講筵は一時間ほど。ふたたび賛美歌をはさみ、それからまたみなが祈る。どの順番にと決まっているわけでも ないのだろうが、一人につづいてまたひとりと、こんどは声を出して「主イエス」に語りかける。まるで己に鞭打つような激しい口調の人がいる。涙声で(そし て実際に涙をこぼしながら)「社会とは別の価値観のあることをここで確かめられることが嬉しい!」と叫ぶ人がいる。まるで恐山のイタコが歌うような口調で いつまでも語りやまない、みずからを“はしため”と呼ぶ95歳の老女がいる(彼女は幼くして親を亡くし、外国から来た司祭に雇われ教会の諸々の雑用をして きたと言う)。その間、他の人々は目を閉じ祈りつづけている。合いの手を入れるように、そして感極まったふうに、ときどき「アーメン」という短い声がそち こちで洩れる。口の中で何かを唱えている人もいる。O先生も瞑目し幾度か「南無イエス・キリスト!」と声を発する。集会が終わり、しばしお茶を飲んで雑談 をし、解散。みな、礼を言って階段を下りていく。がらんとした鴨川べりを見下ろす部屋で、O先生の奥さんがはじめて来たわたしに気を遣ってか、いろいろと 書架の本を見せてくれたり話をしてくれた。今日集っていた人たちの来歴。むかしのアルバムの写真。無教会の活動をはじめた内村鑑三の弟子にあたるという小 池辰雄氏とその著作について。近所に住む娘夫婦の子どもが二人とも筋ジストロフィーの病気を抱えていること、等々。O先生はテーブルの上で今日の集会の模 様を録音したテープのインデックスを書きつけている。遠方の来られなかった人へ送り、順番に回されるのだという。そうしたテープから起こされたO先生の講 筵の小冊子を数冊、それと分厚い小池辰雄氏の「無者キリスト」(河出書房新社)を 頂いた。お借りしますと言ったのだが、「これが何かを生めばそれでいいから、差し上げます」と仰る。もっと訊きたいことはあったのだが、初対面でこれ以上 長居をしても失礼だろうと思い、礼を言って辞した。玄関を出て振り返ると、朝にはなかった電動の車椅子がふたつ、玄関脇に並んでいた。

 路地から賑やかな大通りへ出て、煙草に火を点けた。時計を見ると2時だった。はじめて、全身がくたくたに疲れているのを知った。交差点わきの定食屋に入り、ランチを注文して、頂いた「無者キリスト」の目次を漫然と眺めた。内村鑑三の無教会主義に ついてわたしはほとんど知識を持たないが、おそらく、初期のキリスト教徒たちの集いのような素朴で激しいものだったのではないか。そうであるならば、今日 の集会はそのルーツに相応しい。司祭のきらびやかな服もなければ、香炉も銀食器も、パンとワインの儀式もなく、壁の十字架さえない。あるのは聖書と祈りだ けだ。本気で祈る人々をはじめて見たような気がした。見ようによってその光景は、何やら胡散臭い新興宗教の現場に見えなくもないが、祈りとはもともとそう いう要素を含むものだろう。何しろこの世の価値とは別なものに祈るのだから。法律を専門とする某大学の名誉教授で、元最高裁判事というのが社会的な肩書き のようだ。はじめてお会いしたO先生は、小柄で柔和な品のある顔つきで、信仰を棄てること以外なら何でも受け入れますとでもいった感じの人だ。一時間を超 える講筵をここに詳しく紹介する余裕がいまはないが、聖書が物語っている(あるいは隠されている)神と人とのドラマを語る内容は真摯で、深く、面白く、わ たしはそこに示された価値観のいちいちに思わず頷き、「そう、それについては・・」と口を挟みかねないほどであった。たとえば「生ける水の源」(イザヤ 書)から離れることが人のいちばんの(根源の)罪であるという話。O先生の奥さんが何かの資料を探しに座を離れたとき、テープのインデックスを書いている O先生にわたしは思い切って声をかけた。「・・・知識というものは積み重ねられますが、信仰というのはあるかないかですね」。O先生は顔をあげて「そう。 でも信仰にも、深い・浅い・広い・狭い、いろいろあるよ」と仰った。わたしはなお言ったものだ。「ただ信仰のある人とない人の間には、とても深い大きな溝 がありますね」。「もちろん、そうだ」といった返事をしてO先生はテーブルの上にふたたび視線を戻した。わたしはまだ、溝のこちら側にいるのであった。O 先生から言えば「あちら側」になるわけだが。講筵の中で、かつて小池辰雄氏がよく口にしていたということば「神に降参しないうちは聖書の扉は開かれない」 に、わたしはじぶんの状況を射当てられたような思いがした。よく言われることだが、信仰とはおのれのすべてを受け渡すことだ。わたしの自我はまだ、畏れ多 いことに「神と競(せ)っている」のだ。

 最後に、わたしをO先生へ紹介して下さった親愛なるK氏へ。「さういふ人たちの集り」はたしかにありました。

2007.1.22

○○○○様

先日は素性の知れぬ「馬の骨」の突然の訪問を歓待いただき、ありがとうございました。
先生と奥様をはじめ、集会におられた皆さまに心より御礼申し上げます。

「それは、地上に突き出た天國の橋頭堡のやうな、清淨な祝福に滿たされた集會だつた。本當だよ。世の中には、目立たないかも知れないが、さういふ人たちの集りが確かに存在する。」
そんな○○さんの記した言葉に誘われるようにお邪魔しましたが、その言葉はほんとうでした。
そして丸太町の大通りに舞い戻った途端、じぶんがしとど疲れていることに気がつきました。五感のすべてを使い果たしたような疲労でした。

わたしは、いわゆるキリスト者ではありません。いまだ「真の祈り」を知らぬ者です。訪問に際し「見学」と称したのは、そのような意味合いからでした。
20代の頃はブッダの「犀の角のようにただひとり歩め」という言葉が心の糧でした。ブッダの歩いた土地を見てみたいとインドをほっつき歩いたこともありました。
仏教、キリスト教に限らず、アイヌやイヌイットの人々たちの素朴な神話に心浸すことも好きです。
わたしはいまだ確たる祈りの対象を持ち得ませんが、ドイツの作家ミヒャエル・エンデ氏が言っていたように「私たちの全世界は、いつも『橋の向こうの世界』から送られてくる力があってはじめて成り立っています」といったことを、徐々にではありますが、実感しはじめています。
「このわたしの歓びは この世がわたしに与えてくれなかったもの」 そんな言葉にも、ときに狂おしいほどの親しみを覚えます。
世界には何かが欠けているのです。
「わたしは乾いた土の中の種子である。地表にひろげゆく枝も葉も花も内包しているのに、太陽と水を欠いているのだ」と年末にわたしはひとり、そんな言葉を記しました。

もう4〜5年も以前のことになるでしょうか。妻が子を連れて里へ帰っていた正月の休日に、わたしは炬燵に寝そべってフランチェスコの美しい映画を眺 めました。そのとき、まるで熱病にかかったように全身が激しく震え、涙が流れとまらないといった経験をしました。それは単純に映画を見て感動したという類 のものではなく、全身的な感情の迸りでした。そして否定ではなく、全き肯定の感情でした。わたし以外の何者かがわたしの内に棲んでいて、それが目を覚まし 激震しているような感覚だったのです。
わたしの亡き父の知り合いであり、わたしの知り合いでもある関東に住むプロテスタントの老牧師氏が後に手紙を下さり、それは「ダマスコ途上、使徒パウロが キリストに出会って、その心をひっくり返された(回心)経験と同質のものと私は判断します」と書き、「この体験をした者の内側には、必ず何かの変化が生じ るはずです。それは、蛹が蝶になるのに似ていると思います。静かに、しかし確実に変貌を遂げる事でしょう」とありました。
以来、フランチェスコはわたしの魂のよき伴侶となりました。 かれの素朴な言葉のひとつひとつが、不思議ですがわたしの渇きを潤してくれるのです。他の何物にもなしえないやり方で。

しかし相変わらず、わたしは祈ることのできない人間です。おそらく「神に降参する」こともなく、わたしの傲慢な自我はいまだ、畏れ多いことに「神と競っている」のでしょう。

頂いた小池氏の「無者キリスト」及び講筵録は少しづつ読み始めています。
先日の先生のお話もわたしには心近しいものでした。
内なる変化をわたしは待ちたいと思います。
顕れるときに顕れるのでしょう。

仕事の都合上、日曜に休みを取るのは難しい部分がありますが、またふらりと集会に現れるようなときには、どうか片隅の席でも与えて頂けたら嬉しく存じます。

集会に参列されていた皆さまのご健康をお祈り申し上げます。

末筆ながら

まれびと 拝

2007.2.13

 

 

 



 

 

 

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