008. ピーター・テレンス・ウィックス神父

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■008. ピーター・テレンス・ウィックス神父  (2005.12.2)

 






 木曜、夕刻。子のランドセルから連絡帳をとりだし見ていたYが、えっと声を上げて動かなくなった。教会のW神父さんの訃報である。巡礼先の四国・ 小豆島の宿で亡くなったという。通夜は夜7時から、奈良市の教会で。子がお別れをしたいと言うので、急いで夕食を済ませ、礼服を支度し、家族三人、車に 乗った。Yはもう涙ぐんでいた。先日訪ねた英虞湾に幼い頃“舟の教会”がやってきた。そのときに聞いた話はすべて忘れてしまっていたが、W神父による最後 の「聖書の集い」(毎週一回、幼稚園の保護者を対象に開かれていた)で「幼子のようでありなさい。幼子こそが神に近い」というイエスの言葉による説教がさ れ、“舟の教会”で聞いたことを思い出した。それがW神父の最後の話だったから、もう二度とその話を忘れないだろうと言う。小さくはない教会は人で溢れ 返っていた。二階の張り出しの席から、ときおり子を抱き上げて見せてやった。祭壇は白を基調にしたたくさんの花々で飾られ、教区の司祭たちが列んでいた。 式は賛美歌で始まり、続いておそらくわたしと同じ年代くらいだろう若い神父がW神父の思い出をしばらく語った。故郷のオーストラリアから日本に来て40年 になること。教会の“共同体”で共に暮らしていたこと。行く先々がいつも花で飾られていたこと。快活で、歌が好きだったこと。72歳の誕生日まで余すとこ ろ数日であったこと。それからフランチェスコ会の修道士のような小柄な司祭が「三分間、沈黙でW神父のために祈りましょう」と言い、辺りは静謐で充たされ た。「みんな泣いているね。みんなひとりひとりが神父さんとの楽しかったことを思い出してお祈りしているんだね」 わたしは子にそっと耳打ちする。子は神 妙な面もちでじぶんの周りの参列者の顔を一人づつ眺めていく。たくさんの賛美歌が合唱された。花と歌で死者を送るような式だった。わたしの好きな Nearer My God To Thee (賛美歌320番「主よ、みもとに 近づかん」) も歌われた。Mississippi John Hurt が歌っている。焼香が始まった。わたしとYと子は人のいなくなった二階席からずっと眺めていた。焼香の間、「イエスよ、あなたの御国においでになるときに は、わたしを思い出してください」という短い聖句がオルガンと信者たちの歌で演奏された。これは十字架の上でイエスと共に処刑される盗賊がイエスに投げか けた言葉だ。それが波のうねりのように、静かに、力強く、いつまでもくり返された。焼香を済ませ、棺の中の顔を三人で覗いた。「あれは神父さんの抜け殻だ よ」 教会の坂道を下りながらわたしは子にそう言う。「お母さん、あれは神父様のヌケガラなの?」と子は母親に訊く。帰りの車の中で、通夜の間中ずっとハ ンカチを手離さなかったYが話し始めた。せわしない毎日で、いつもあれをしなきゃこれもしなきゃとずっといらいらしていた。週に一度「聖書の集い」で神父 様のお話を聞くときだけが心の中に風がさあっと流れるような気持ちになれた。その中で考えて、じぶんで生活を工夫するようにした。そうしてこのひと月間、 はじめて一度もいらつくことなく過ごせた。聖書に向き合う土壌ができたと思った。だからそのことを神父様にお話ししようと思っていたのに。それからYはこ んなことも言った。はじめてお会いしたときは「神父さんってこんなに大きな声を出して笑うものなのかしら」って思った。賛美歌を歌われるときはとても朗々 と響く素敵な声だった。ついでわたしが話したのは、日曜のミサのときのことだ。ひとりだけ祝福を断ったわたしを、帰り際に一瞬抱きしめた。あのとき「ああ この人は、じぶんを拒否する者でさえ、こんなふうに受け入れてきたのだろうな」と、わたしは少なからず感動したのだった。あの一瞬、何かがわたしの身体を 包んだのをわたしは知っている。言葉はなくとも、それは分かった。それはこの世の物質でない何かだった。今朝、迎えのバスが来る場所まで歩いている途中 で、子がふと顔を曇らせて「神父様、死んじゃったね」と呟いた。しばらく歩いて「また人間に生まれてきたら、いろんなことをまた教えてくれるね」と言う。 「神父さんはずっとこの世で働いてきたから、神さまはすこし休ませてあげようと思って天国に呼んだんだよ。でも天国ですこし休んだら、まだまだ可哀想な子 どもたちがたくさんいるから、また戻って助けてあげなさいって、きっとこの世に戻してくれるよ」 ピーター・テレンス・ウィックス神父の魂が、信じる神の もとへ無事帰られんことを祈る。

2005.12.2

 

 

 



 

 

 

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