003 奈良県立美術館 モネ展

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■003 奈良県立美術館 モネ展 (2004.1.23)

 






 美術館へモネを見に行こう。家から車でほんの15分ほど。東大寺大仏殿の甍が見える1日千円の駐車場に車を入れて、県庁裏の舗道を落葉樹の黄色い 葉を踏み踏み歩いていく。少しは興味をもつかなと期待したチビは作品の並んだ広間を二部屋ほど覗いたらもう退屈したようで、作品と鑑賞客の間のガラスの縁 に家から持ってきた折り紙の犬を這わせてひとりぶつぶつと何やら物語っている。まぁ、そんなものか。ところでモネだ。私は美術史には疎い。印象派の何たる かなんてほとんど知らないしろくな鑑賞眼もない。いま思い浮かぶ限りでは、これまで見た画家といったらベーコン、ピカソ、ミュシャ、クレー、ポサダ、ゴッ ホ、ブレイク、ムンク、マチス、ホクサイ..... どうにも偏った食い散らかしだ。セザンヌは何となく分かるような気がするんだが、モネは実をいえばあ まり興味が湧かなかった。有名な睡蓮も何やら凡庸で大人しい。ところが本物というのはやっぱり接してみるものだ。色とりどりの豊かな水の表情、密生した柳 の葉一枚一枚の神秘、霧の中をさまよい滲み拡散するあえかな陽の光。(レイ・デイヴィスも歌っているウォータールー橋!) ほんの一瞬のうつろいに目を凝 らし、それを絵筆に還元させようとしている画家の姿が浮かぶ。いわばこの人は、瞬間のうちに永遠を捕らえようとした。それを生涯、黙々とやり続けた。どれ も似たり寄ったりと思っていた作品も、よく見れば時代ごとに作風を変えている格闘の跡が伺える。私がいちばん気に入ったのは、最晩年の、自宅の広大な庭の 一角に日本風の橋を誂えた風景を描いた作品だ。この頃のモネは目を患い、ほとんど失明状態に近く色がよく見えていなかったんじゃないかとも説明されていた が、白い塗り残し部分も目立つ、まるで晩年のゴッホを思わせるような荒々しいタッチと強烈な色彩で描かれた、それまでの緻密で優雅な作風からひどくかけ離 れた異色の絵だ。だが私は、これがモネが最後に到達した場所ではなかったかと思う。ありとあらゆる事象が真昼の炎のごとく燃え上がり歓喜している。風がひ るがえす葉のきらめき、光と戯れる水の自在な変化、積み藁のひそかな息遣い、中心のない恍惚な混じり合い、細部に宿る神の似姿、そんなものをひたすら凝視 続けた男が最後に見えた世界の実像であったと思うのだ。美術館から出るとチビは前庭に降り立った雀の群れを見つけ、息を吹き返したような顔で駆け寄って いった。車に戻る道すがらに舗道の葉や木の実を贈り物のように拾い集めた。そして駐車場の角の公衆トイレの前のベンチまで来たところ、背中のじぶんの リュックからサインペンとノートを取り出して、見てきたモネの橋のある風景の絵を一枚描いたのだった。

**WebMuseum: Monet, Claude http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/monet/

**Wellcome to Claude Monet's http://giverny.org/monet/welcome.htm

2004.12.3

 

 



 

 

 

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