■ 口上 

 

 

 

 

 我とその志と悲哀とを共にする邪念の徒よ、ここに集え
高橋和己

 

 

 

 

 

 

 

 「まれびと」とは民俗学の用語で客人(マラウド)、つまり海の彼方の常世から時をさだめて来訪する異形の神をいう。

 折口信夫に曰く「周期的に、この国を訪れることによつて、この世の春を廻らし、更に天地の元(ハジメ)に還す異人、又は其来ること珍(マレ)なるが故に、まれびとと言はれたものである」(日本文学の発生)

 それら零落した神々の祖型は、共同体の周縁(アジール)より侵入したる異形のモノであるが故に、常に聖なるものと穢れの両義性を帯び、内部に混沌と更新をもたらすいわばトリックスター的な存在であった。

 

 たとえば折口信夫は“まれびと”の出自として、村八分的な刑罰によって、また共同体の宗教規範に背馳したために村落内部から排除された者、さらにモノ狂い(精神錯乱)のはなはだしい者などを想定し、そうした遍歴・放浪の人々が偶然立ち寄った村において、神秘感を漂わせる“まれびと”として迎えられたと考えている。

(柳田国男との対談「日本人の神と霊魂の観念そのほか」)

 

 かつて五木寛之がその小説『風の王国』で描いた、山窩と呼ばれたこの国の山民の末裔をモノ語った古層の神話のように、私はここですべての、共同体から排除され、周縁を醜く漂い、時には惨殺され、卑しめられ、放逐され続けてきた古くは乞食者(ホカイビト)や賤民・河原者・芸能者・六部・流浪の聖や一処不在の山の民たちの“総称”として「まれびと」の語を用いた。

 それは穢れを纏った犠牲(イケニエ)であり、私たちの深層より立ち現れる鏡に写った〈内なる他者〉の姿であり、また同時に私の中でははるか〈縄文〉の根茎を意味し、抹殺された国つ神の死霊を物語る奇怪なトーンに支配された宮沢賢治の仄暗き修羅、そして農耕/定住/所有/境界の価値と対峙する世界、すべてのまつろわぬ鬼(モノ)たちの聖なる御名であるともいえる。

 いみじくも、柳田国男が『遠野物語』の序文において記した次のような言葉が、山中深くに埋められ密かに伝えられてきたこの国の、古代山岳ゲリラたちの末裔へ残された檄文のごとく響く。「国内の山村にして遠野より更に物深き所には、又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくば之を語りて平地人を戦慄せしめよ

 

 ....あたかも金石に彫りつけた文章のように、するどく硬く、烈しいこの一句は、70年を経た今なお、冷厳な森の思想を象徴するかのように屹立している。そして柳田の雄叫びが私たちの胸中に谺(こだま)するとき、東北の山野の木の葉はいつせいにざわめき立ち、森の木の葉の一枚一枚が言問う世界へと、私たちは誘われる思いがする。/ 幾千年もの間、私たちの意識の底に眠りつづけていた狩猟民の感覚や奇怪な異神への信仰が眠りを醒まし、躍動するのをおぼえて「戦慄」するのだ。

(谷川健一・白鳥伝説)

 

 また「village idiot」は、わが愛すべきVan Morrisonのアルバム「Hymns To The Silence」中の一曲から取った。これもまた、夏にはオーバーを着込み、冬に半袖姿で微笑んでいる村の「聖なる愚者(フール)」を歌った小さな抒景である。

 

1999 まれびと

 

  


 

 

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