■日々是ゴム消し Log11 もどる

 

 

 

 

 土曜。赤ん坊を連れてつれあいと、朝から某医大病院へ行って来た。赤ん坊の便秘を診てもらいに行った近所の小児科の病院でたまたま背中の疵の話になり、医大病院に最近小児外科ができたから一度見て貰った方がいい、と紹介状を書いてくれたのである。で、医大病院の医師の診断はこれまで私たちが聞いていた「毛巣洞(もうそうとう)」でなく、「仙骨腫瘤」あるいは「二分脊椎」というものであった。これは要するに背骨からずっと下がった腰骨のあたりの仙骨の、本来脊髄の神経を包む管が胎児期の未分化のためにきちんとした管状にならず、酷い場合は神経が外へはみ出したり、あるいは骨髄液が浸み出したりして何らかの障害をもたらす、そのような状態であるらしい。医師いわく「まあ、この子の場合はあまり心配するような酷いものではなく、せいぜい力を入れたときに軽い失禁をする程度のものだろう」とのことだが、とりあえずはMRIで検査をしてみて処置等はそれから、ということだった。それで言われるままMRIの予約を月末にして帰った来たのだが、これまで赤ん坊が生まれた県立病院、そして念のため先月に行った天理病院の医者はそれぞれ「毛巣洞か、それに類似した毛穴の病気」であり、「穴も脊髄までは達していないようだから、それほど心配するものでない。後はむしろ見かけの問題だけ」といった診断であった。ちなみに毛巣洞というのは、やはり胎児期に骨と皮膚の分化がうまくいかず、骨が皮膚をひきずるような形で空洞を形成するもので、この空洞が脊髄まで達しているとのっぴきならないが、それ以外はあまり心配はないというものであった。家へ帰って試みにインターネットで「仙骨腫瘤」「二分脊椎」を検索してみると、出てくる病例やレポートは「下半身麻痺」や「骨髄液の循環不全による脳神経障害」「水頭症」などといったものばかりで、私はいつの間にかいらいらしていたらしい、「ショックを受けているのは○○さんだけじゃないんだからね」とつれあいに涙声で言われ、はっと気がついた。医師の診断は二つに分かれて、私たち素人にはどちらが正確なのか判断する能力も知識もない。それとMRIの問題がある。これは従来のX線などの放射線と違って磁力によって画像を得るという最新の医療機械だが、県立病院の医師は毛巣洞の診断のために幼い乳児にMRIを使うことに関してはあまり気が進まないという口振りであった。一般的には人体には無害とされているが、一定の磁場に長時間身体を晒すことが果たしてどれだけ生物に影響を与えるかまだデータがないだけで、実際胎児を含む妊婦には現在のところ控えられているという事実がある。このごろ盛んに言われている携帯電話やパソコン等が発生する電磁波の危険と同種のもので、つまりは食品添加物や農薬がどの程度危険と思っているかという「認識の違い」なのだろう、とも思う。そして私もつれあいも、電磁波についてはあまり好ましくない認識を持っているのである。なんにせよ、自然でないものが微妙な生物のシステムに対してやはり某かの影響を与えないわけはあり得ない。つまりレントゲンも含めて、こうしたものは一種の「必要悪」だと思うのだ。リスクを伴うわけだけれど、そのリスクを上回る事態の解決のためには致し方ない、という種類の。そして今回のわが家の赤ん坊の場合、そのリスクの計算をするための医師の示したデータが相反するということがそもそも混乱の原因なのである。医大病院の医師の言う「仙骨腫瘤」「二分脊椎」であるなら早期のMRIによる診断は必要であるし、あまり心配のいらない毛巣洞であるならわざわざリスクを負う必要がない。というわけで昨日は夜になってからも、つれあいの実家から親しい医者がこう言ってたとか、私の実家から友達の妹さんの看護婦さんの意見を聞いた・知り合いの(共産党の)市議に病院関係を当たって貰うよう依頼したとか、私の妹からは「お母さんからすぐ電話しろって留守電が入っててかけてもずっと話し中だし、逆に千葉のおじさんの家から紫乃ちゃんに何があったのかって電話がかかってくるし、いったい何があったの?」と電話がかかってきたりで、まあ夜遅くまで何かとごたごたしていたのであった。

 

 日曜の今日は朝、車で奈良見物に来たという和歌山のつれあいの幼なじみの友達が夫婦でわが家に寄ってくれて、そのまま赤ん坊と三人、わが家も「見物」に便乗して、紫陽花の咲き誇る矢田寺(すごい人だった)と橿原の昔の町並みが残る環壕集落の今井町を見物してきた。 

  

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 午後からつれあいと赤ん坊を連れて、出生児から診て貰っている県立病院の皮膚科へ相談に行く。担当の医師いわく、実は初見では自分も「二分脊椎」を疑ったので「二分脊椎」が専門である整形外科へ回したのだが、「異常なし」ということであったため、消去法的にあとは「毛巣洞」の可能性しかないだろうと診断を下した、と。ところが当時のカルテを再確認したところ、看護婦に案内されて赤ん坊を連れて行ったつれあいが「この背中の疵のことで」と説明したにもかかわらず、カルテに残っている検査エコーは新生児なら誰もがチェックされる股関節の映像のみで、「二分脊椎」についての検査・確認については何も記されていなかった。「何も異常はないですね」との整形外科の言葉をそのままつれあいも皮膚科の医師に伝え、皮膚科の医師はそれを「二分脊椎の可能性はなし」と受け取ったのである。つまりはじめに疑われた「二分脊椎」はまともな検査もされないまま、そのままうやむやにされたと言って良い。私たちは「二分脊椎」という言葉さえ知らされないまま、病院の指示通りに小児科-皮膚科-整形外科と赤ん坊を連れて回り、結果として「毛巣洞」であるという診断のみを知らされた。皮膚科から整形外科への連絡が不備であったのか、あるいは整形外科の不手際で「二分脊椎の疑い」が見過ごされなきものにされたのか。まったくこれでは私たちとしては承服しかねる。木曜に当の整形外科へ行って理由を訊くつもりだが、説明及びその対応如何によってはこれ以上の県立病院での診察の中断も考えている。また場合によっては病院名と整形外科の担当医師の実名もここで公表するつもりだ。つれあいは不安げな顔で「だからといって、二分脊椎の可能性が高くなったわけじゃないよね」と私に言う。「振り出しに戻ったということだよ」と私は答えた。気休めにはなっていないだろうが、そう言うより他にないではないか。

 

 今日は初孫の顔を久しぶりに見るために、関東より私の妹夫婦と母が遠路はるばる、しかもなぜか日本海側をぐるりと迂回して、夜遅くに奈良市のホテルにたどり着いた。明日はつれあいの両親も和歌山から出てきて「可愛い孫を囲む会」の予定である。主役は連日の病院通いでくたびれているのか、いつもより早く寝入ってしまった。

 

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 赤ん坊がはじめて熱を出した。はじめは37度4分の微熱で、しばらくはぐったり死んだような感じで、夜には38度くらいまで熱が上がり、咳と鼻水がひどくなった。ひきつけがあるかも知れないから注意するようにと医者に言われたつれあいは、昨夜はろくに眠らずに、一時間おきに熱を測ったり温度調節をしたりしていたらしい。幸いまだ微熱はあるものの今日あたりから赤ん坊も次第に元気になってきたのだが、こんどはつれあいの方が風邪を貰ってしまったようだ。それにしてもふだんは疲れ知らずの元気なやんちゃ娘が、母親の腕の中で死んだ小動物のようにうずくまっている姿はなんともいたわしい。

 

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 つれあいがダウン。38度の熱。食事や買い物などの家の支度のほか、赤ん坊の世話で、いや忙しい。赤ん坊は一時に比べるとだいぶ元気になってきたが、熱は37度からなかなか下がらない。

 「二分脊椎」のことでやおら周辺が慌ただしくなってきた。私の実家が知り合いを通じて東京の聖路加病院の医師に聞いてもらった話では「二分脊椎なら障害が出ない早いうちに手術をした方がよい。障害が出てからでは何らかの後遺症が残る可能性が高くなる」とのこと。つれあいは「もしそれが本当なら、初期の検査を怠った県立病院は絶対に許せない」と語気を強めて言う。家事の合間に、インターネットの検索で二分脊椎を扱う病院などを探す。日本二分脊椎協会のホームページというサイトも見つけたのだが、現実的に支障があるのだろう、特定の病院・医師の紹介は避けられている。彼女は良い病院があるなら東京でもどこでもいい、お金がかかってもいい、この子の一生のことだからなるべく悔いのない治療を受けさせてやりたい、と言う。彼女の実家はほぼ彼女と同意見だが、私の実家では「医療レベルはそれほど違わないだろうから、無理して遠くの病院までかからなくてもよいのでは..」と言う。私は何やらいろいろありすぎて、頭が少々混濁としている。

 

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 もう10日ほども前のことだが、友人がメールの一部に次のようなことを書いていた。

 

 それにしても、今週一杯は「大阪児童殺傷事件」一色となるのでしょう。警察の捜査情報のリークが、犯人を立件できる環境を作るための工作に思えるのは私だけでしょうか。こんなややこしい謀(はかりごと)をしないと無差別殺人犯を裁けないというのはどんなものなのでしょうか。私は最近暇なときに「人権」てなんだろうと考えています。

 

 またさる掲示板で、ときおり私にもメールをくれる某氏がこんな書き込みをしているのを見かけた(*一部省略)

 

 8日の事件が起きてから、しばらくE女子の掲示板と、その周辺を見つめていました。様々なやりとりが、そこかしこであった。ぼくは次から次へと出てくる感想、意見を聞きながら、自分の言うべきコメントがなかなか見つからないというもどかしさを覚えていました。

殺された子供の親にナイフを持たせて、磔にした犯人をさすX
精神病者は全て監獄に入れるX
学校にバリケードを張り巡らして、関係のない人間を入れないX

 「ぺけ」だけは分かるけど、そのぺけの意見を言った人に、どういう風に説明していいのか分からない。

 

 そして今日は新聞で、ある大学教授の社会学者が「責任の所在」を中心に事件を論じた論考のなかで、ジャック・デリダのインタビューにおけるこんな言葉を引用していた。

 

 もし真に赦すべきものがあるとすれば、それは、赦しえないもののみである。つまり、赦しが可能であるとすれば、ただ赦しえないものを赦すことができる場合のみなのだ。

 

 社会学者は続けて、こんなことも言っていたように思う。(精神鑑定等で)責任能力がないと判断されれば、では責任の所在はいったいどこへいってしまうのかという問題がある。しかし逆に責任能力があると判断された場合、こんどは責任能力を有する者がなぜあのような理不尽な事件を起こしてしまったのかという別の問題が立ち起こる、と。

 

 事件後に、「なぜああした危険人物を事前に監禁できなかったのか」といった類の主張が昼のワイドショーや週刊誌の吊り広告の見出しに溢れ、また同時に全国の心の病を抱える人たちから「同じ精神障害者が起こした事件で、死んで償いたい」「精神安定剤を飲んでいるのを人に見られるのが怖い」「自分はあんな事件を起こさないだろうか」「地域社会で生きていけるだろうか」「偏見が広がるのが怖い」などといった様々な相談が保健所や自治体などに寄せられた。大阪にある精神医療人権センターには「精神障害者は人殺し」「死刑にしろ」といった電話がかかったという。

 

 ところで私はといえば、かつて東京・下町の路上で無差別に通行人を刺し殺した川俣軍司が言ったというこんな言葉を、なぜか思い出していた。

 

“やられる前に、やってしまおうと思った”

 

 これは論理的に言うなら、精神医療人権センターへ電話をかけた匿名の誰かに対する言葉としては「正しい」。

 

 

 むろん私は、あの事件の容疑者を弁護したいわけではない。ただこの国の、相も変わらぬ短絡的な「異質への不寛容」を嫌悪するのだ。

 

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 とうとうこちらまで風邪が感染った。蒸し暑い部屋のこちら側とあちら側に、父と母が死んであがった魚のように横たわっている。その間をほぼ平熱に戻ってきた赤子がひとり元気にはいずりまわっている。食事の支度や赤子のオムツや着替えのときだけ、どちらか余力のある方が、仕方ない、とのろのろ立ち上がって用事を済ませ、ふたたび畳か隣室の布団の上に身を横たえる。

 おかげで図書館から借りていた猪瀬直樹の近作「ピカレスク 太宰治伝」をたっぷり300ページ、読めた。

 

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 火曜、県立病院の整形外科へ行く。前述した件はやはり皮膚科と整形外科間での連絡不備らしい。メンドー臭くなって、それ以上は追求しないでおく。どらにしろ医者や病院に対する信頼は必要だが、100%信頼してはいけない、ということだ。医者の話では、県立病院には脊椎の専門家はいない、またおなじ外科でもやはり小児外科の方が小児医療には長けているから、心配ならそちらで診て貰った方がよい、というので結局、某医大でMRIを撮ってもらうことにした。何にしろ、ここまできたら白黒がはっきりしないと先へ進まない。

 水曜、いつもの県立病院の皮膚科の定期検診へ。皮膚科の定期検診はとりあえずこれで了。

 木曜、医大でMRIの検査。シロップの麻酔剤で眠らされ、検査台に幾重ものベルトで固定され、約40分。「やっぱり二分脊椎ですかね...」とそれとなく訊くが、案の定「担当の医師に聞いてください」の紋切り型の返事しか返ってこない。検査の間、つれあいと二人してドア越しに見えるモニター画像を懸命に追っていたのだが、素人には何も分からない。結果は土曜。

 

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 今日も暑い一日だった。結果はやはり、二分脊椎。MRIで撮った輪切りの画像を見ながら説明を聞く。脂肪腫が脊髄まで入り込んで神経を圧迫している。いまはまだ悪い状態ではないが、成長にともなって歩行困難等の障害を引き起こす可能性があるので、やはり手術が必要。手術は脂肪腫を取り除いて、開いた骨の部分をなんらかの手段で塞ぐ。脂肪腫は悪性のものではないが、場所が場所だけに易しい手術でもない。術後のリハビリなどは必要ない。後遺症は軽い失禁症状くらいがあるかも知れない。手術を含めた今後の予定は、月曜に脳神経科の診断を受けてから。雨の予報だったので今日はベビーカーでなく、紫乃さんを抱いていった。

 

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 しばらく前だが、四日市に住む友人からこんなメールが来た。

 

 話は変わって、今日の出来事です。

 呼び鈴が鳴ったので応対してみると、二、三十代と思しき女性が立っていました。最近曇りのうっとうしい日が続いていますね、などと世間話を始めたので、一体何しに来たのかと思いながら相づちを打っていると、「ご主人は最近いろいろな事件が起こることについてどうお考えですか」と問いかけられました。

 「ご主人」と言われ少々面くらいながら、私は独り者ですと言い返そうかと思っていると、彼女はおもむろに冊子を取り出し、もしよかったら読んでみてくださいと言いながら私に手渡しました。その冊子の表紙には、「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」と書いてあり、これがうわさの「エホバの証人」か、気を付けねばと思っていると、彼女はそれでは失礼しますと言って上の階に上がっていきました。あんまりあっさりと去っていったので拍子抜けしてしましました。

 私は、以前「エホバの証人」の信者の親が子供の輸血を拒否して死亡する事件を聞いたことがあるので、この一派に対しては否定的感情を持っていましたが、最近の「代理母」出産や「臓器生産用豚」の話を聞くにつれて、考え方は彼らに近づいたような気がしています。私はさすがに輸血までは否定しませんが、遺伝子操作や生命操作(人工授精を含む)は否定的立場になりました。だからとい?て、彼らの言うことを信じ実行していれば幸福になれるというのは、独りよがりでなんの解決にもならないと思います。

 

 かつてドーキンスという学者が『利己的な遺伝子』という著書の中で「生物は遺伝子の乗り物である」ということを書いていた(私はそのやや難しい専門書をメールを送ってきた友人より借りて読んだ)。その説に従うならば、何としても自分の遺伝子を残したいと望むことは、生物としてしごく当たり前のことかも知れない。子宮をなくしたから他人の子宮を借りて自分たちの子供を産んでもらう。あるいは体外受精で優秀な科学者の精子と自分の卵子をかけあわせる。行くところへ行けば、棚に積まれたファイルには登録された卵子や精子の提供者たちの顔が並んでいる。だが私ははっきりいって、そういった光景には友人とおなじく否定的である。もっとはっきり言うなら、反吐が出る。そんなにまでして自分の遺伝子を残したいものかね、と思う。

 お前はすでに子供を授かったから、そんなことを言えるのだ。子供のあるお前に私たちの気持ちが分かるものか。そんなことを言うお前だって、自分の血を分けた子供はやはり特別なものだろう、と言われるかも知れない。

 確かに血を分けた実の子供は、特別の感慨があろう。私もそれを否定はしない。だが私たちが結婚をしたとき、彼女はいわゆる「高齢出産」の若くはない年齢で、しかも十数年を過ごした前の夫との間には子供ができなかった。はっきり言って、子供ができる確率はあまり高いものではなかったと言っていい。私は子供が欲しかったからちょっぴり悩んだけれど、結局は「神さま」にお任せすることにした。もしできないとしても、それが自分たちに与えられた「自然の割り当て」だと思って諦めることにしていた。体外受精までして欲しいとは思わなかったね。人間には与えられなくては手に入れられない種類の物もあると、漠然と思っていた。

 昔なら、よその身寄りのない子供を貰うという方法しかなかった。そして実際、運命というものは分からない。実の子供にバットで撲殺されてしまうこともあるし、血のつながっていない子供がさまざまな過程を経て理想的な親子になることだってある。既成事実の遺伝子など関係ない。心はどんなふうにだって変われる。私はそれが人間のほんとうの素晴らしさだと思う。

 だがいまは科学が、手品師のような華麗な技でかつて適わなかった個人の欲望を現実のものにしてくれる。個人の欲望、つまりはそれだ。たとえば社会のシステムにしても、夢や理想を謳った社会主義が斃れ、個人の欲望を肯定する資本主義が一人勝ちの怪物のように生き残った。この世で確かなものは欲望だけだよ、という顔が大手を振ってメインストリートを闊歩するようになった。私はそれを一概に否定するものではないが、気になるのは欲望を達成するためには手段さえも選ばないというその暗黙の空気だ。もはや夢も理想もモラルも打ち捨てられて、肥大した欲望だけがつんのめりながら走り始めている。私には、何やらそんな時代のように思えてならない。

 欲望には際限がない。私という個の欲望を達成するために、タガのはずれた人間はどんな馬鹿げたことだってやってのけるだろう。どこまでやるのか見てやろう。代理母の子宮を借りて自分たちの遺伝子を受け継いだ子供を手に入れるというのが欲望なら、幼い少女を切り刻んでビデオに撮ったり、己の歪んだ劣等感のために見知らぬ子供たちを教室で刺し殺していくのも欲望だ。

 何も清廉な修道士のようなことを言うつもりはないが、己の欲望を追い求めるだけなら、そこらの犬猫だって同じだろう。いや犬猫の方が自然のモラルをわきまえている。いまや人は〈自然〉から逸脱した巨人だ。どんなことだってできる。だがこの世には、望んではいけないことだってあるのではないか。個人のちゃちな欲望を、もっと大きな生命のつながりのなかで捉えなおして理解する精神性というものが、人には備わっているのではないか。手前の哀れな遺伝子を残すためにそんなにしゃかりきになるなら、いっそその金でトキの一匹でも救ってやったらどうなんだ。日本の固有種を保存するため「整理」されようとしている和歌山の混血の猿たちを救ってやれよ。人間なんてどうせもう嫌になるほど地上に溢れているじゃないか、と私はテレビに向かってひとりつぶやく。

 

 ところで友人のメールはこんなふうに続く。

 

 さて、ここから先は暗い話になるので、気持ちが沈んでいるときはさけた方がよろしいかと思います。

 今日の朝日新聞のコラム「CM天気図〜蚊の身になってみよう」を読んで思ったことを書きます。著者はコラムで蚊の身になってみようと書いていながら、人間の立場から抜け出せていないでいたので、読んでいて当てがはずれました。

 私は、最近になって殺虫剤のCMを見る度に厭な感じを覚えるようになりました。特に、蟻の殺虫剤は全くいただけません。蟻が人間に及ぼす被害は人間の不始末によるもので、きちんと片づけていれば食べ物にたかるどころか家の中にも入って来ないはずです。更にひどいのは、蟻の巣から退治してしまう事を奨励していることです。だらしのない人間に罪のない蟻が毎日どこかで殺される様は、私の頭の中で大阪で起きた凄惨な事件と重なります。

 こういう私はと言えば、目の前を飛ぶ目障りで不気味な虫を無造作にたたき落とすことがあります。部屋の明かりに寄ってきただけで、実害を与えていないのにもかかわらず「気に障る」だけで命を絶たれる理不尽さ。対象が1ミリ程度の虫だから問題にならないが、これが小動物、犬、猫などのペット、ついには人間へ広がるのには、想像に難くない。昔は、蚊から身を守るために蚊帳を張るなどしていたのが、現代殺すことを奨励するCMが毎日流れる。社会全体がこのような日常行為を肯定している限り、悲惨な事件の根はなくならない気がします。

 

 これは世間から背を向けて蚊や蟻だけをこよなく愛しているいじけた昆虫少年のつぶやき? 自分の友人だからって言うんじゃないが、私はこういう感覚・視点こそが実は見落とされている、そして私たちが考え直さなくてはならない大事なものじゃないかと思う。ところが「成熟した」大人や政治家たちは相変わらずの呆けた頭でこんなことを考える。学校の警備体制を強化しよう。昼間は校門を閉ざして、監視ビデオを設置しよう。識別カードで学校へ出入りする者をチェックしよう。子供や教師たちに護身術を教えよう。学校に催涙ガスの噴射機を備え付けよう。危険な精神病者を隔離しよう…… 現代の薬と同じで、即効性のみの皮相的な代物ばかり。根はどこへも届かない。

 先日、テレビで例の小学校の校舎を別の代替地へ移設する方針を大阪府が決めたというニュースが流れていた。ああ、相変わらずだなあ、とりあえず封印しちまおうといういつもの発想だ。例の金属バット事件の一柳展也宅も取り壊されてしばらく更地になっていた後、突如ディズニー・ランドのような明るい住宅が建ったという。空から撮ったらしいカメラが横へ移動すると、住宅地の真ん中にちょうど小学校と同じくらいの緑の公園が写った。そこが予定されている代替地だという。移設して、そこでもう一度同じような事件が起きたら、また別の場所に引っ越すのかしら、とつれあいが言った。そう、20年おきに似たような事件が引き起こされて、そのたびに並んだふたつの土地で校舎が交互に建て直される。やがて小学校は「聖なる悪の儀式」に支えられた新しい伊勢神宮になり、肥大化した欲望を隠し持った聖人たちが各地から集うことだろう、とこれは私が頭の中でこっそり呟いた。

 

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 朝から某医大の脳神経外科へ行く。前回の小児外科より見立てはさらに悪くなった。医者は赤ん坊の下肢を検診して、左足の動きが少し鈍く足首の骨が硬い、また、微妙なことだが足の変形が始まっているようだ、と言う。これらのものは症状が出てしまってからの完治は難しく(つまり、歩行障害の可能性もある、ということだ)、おそらく排尿排便も自分で制御することができなくなるだろう。今後、整形外科で変形を矯正するための装具をつけたり、術後は排尿排便の訓練や長いスタンスでのリハビリが必要となる。手術自体は難しいものではないが、脂肪腫が神経を巻き込んでいるため、電気信号を流して神経と脂肪を肉眼で識別しながら取り除いていくことになる。そのために手術は一度で終わらない場合もある。(同時にまた、脂肪腫によって固着されている神経が成長するに従って引っ張られるために、成長が止まるまでの年齢に応じたケアも必要になるかも知れない) そして手術に際して今後さらにCTによるスキャン、整形外科での診断、水頭症を合併していないかどうかの頭部の検査などをするために1〜2週間程度の検査入院が必要で、これは空きベッドが出来次第、病院より連絡がくることになった。

 同時にあるところより、東北の某医大の脳神経外科が二分脊椎の治療に秀でているという情報を耳にして、電話での問い合わせやわずかなつてを使い現在調べている。また大阪の(二分脊椎を含む)小児の整肢治療を主とした某病院をインターネットの検索で見つけ、今日つれあいが電話で聞いたところ、そこの二分脊椎担当の医師が「二分脊椎を守る会」のような活動をしていて様々な情報が集まっているので一度話を聞きに来たらよいと電話に出た看護婦に言われたので、とりあえず明日、朝から行って来ることになった。今日の医大で撮ったMRIの画像をポジフィルムとして別に出力して貰ったので、それも持参して見てもらうつもり。

 とにかく毎日、めまぐるしく、重苦しい時間の連続である。数日前からわが家へ泊まりに来ているつれあいの両親と共に朝からあちこちの病院へ行き、夜は両家双方の拙い人脈や電話やインターネットやその日の診察結果から得た情報をまとめて、就寝時間まで素人ばかり雁首揃えて侃々諤々の議論をしている。関東にいる私の母は私の妹への電話口で柄にもなく涙声になっていたといい、つれあいの両親はときおり凍りついたような深刻な表情を見せ、つれあいは無理に陽気に振る舞い、私は私でこれが運命ならば仕方ないが、せめて出来るだけの精一杯のことをしてやりたい、と考えている。が、ひとり何も知らず、じいちゃんばあちゃんに囲まれていつも以上に無邪気にはしゃぎ回っている赤ん坊が、誰よりいちばん不憫に思えてしまって仕方ない。

 

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参考・「のぶの二分脊椎症に関するホームページ」より抜粋させて頂いた

 

 二分脊椎症とは、生まれたときに脊椎に生じる病気の一種です。これになるといろいろな部位に‘障害’が生じ、多くの方は身体障害者になります。

 人の体は脳と、脳からの命令を伝える神経組織によって動いていますが、そのメインの神経の束を脊髄をいい、脊柱(脊椎骨)の中に納まっています。

 二分脊椎と言うのは、その脊椎骨が先天的に形成不全となり、本来ならば脊椎の管の中にあるべき脊髄が脊椎の外に出て癒着や損傷しているために起こる様々な神経障害の状態を言います。主に仙椎、腰椎に発生しますが、稀に胸椎、頚椎にも生じ、その発生部位から下の運動機能と知覚が麻痺し、内臓の機能にも大きく影響を及ぼします。

 出生後速やかに脳神経外科医か小児外科医によって手術をします。二分脊椎の半数以上に水頭症が合併します。脳や脊髄は脳脊髄液が満たされた骨の中にあるのですが、この脳脊髄液の循環器機能が阻害されて脳圧が上がってしまうと脳神経に重大な障害を引き起こすため、脳圧を一定に保てる様に「シャント」という管で脳室と心臓または腹腔を短絡し、脳脊髄液を逃がす手術をします。

 二分脊椎に因る運動機能障害は多岐にわたり、特に下肢の麻痺や変形、膀胱・直腸障害に因る排泄障害が見られ、その為、二分脊椎の治療、医療管理には脳神経外科、小児外科、泌尿器科、整形外科、リハビリテーション科を中心に眼科、皮膚科、内科等を含め、トータルなケアが必要とされています。また、様々な障害の程度があり、各々に合わせた適切な医療、教育、就職、結婚の問題までケースワークが求められています。

 

 

 

 朝から大阪・中央区の法円坂にある大手前整肢学園へ行く。大阪府が赤十字に委託して設立した下肢に障害をもつ小児のためのセンターで、見ると院内学級のような施設も隣接している。玄関口で5,6歳児らしい男の子が膝立ちの姿勢でぺったんと座っている。母親らしい女性が入ってくると、嬉しそうな顔をして女性の後をカエルのように四つん這いのまま跳ねてついていく。靴箱の前にもう少し小さな女の子も立っているが、よく見るとその両足の形は幾分奇妙に歪んでいる。しばらく待たされてから、尿の検査と、レントゲン写真、エコーなどを撮られた後、泌尿器科の先生の前に通される。泌尿器についていえば、いまのところ顕著な異常は見当たらないと言う。二分脊椎の場合、失禁などはまだ良い方で、重いケースになると尿を排泄することができずに腎不全を起こし命を落とす危険もある、と。手術後にもう一度診てもらい、場合によっては奈良県内の二分脊椎の子供の処置に長けた医師を紹介してくれると言う。短くはない話の最後に、手術をする病院を迷っているのであれば、と整肢学園の真向かいにある国立大阪病院に二分脊椎を専門にやってきた知り合いの医師がいるから相談してみたらどうか、とその場で電話で連絡を取り、紹介状をしたためてくれた。婦長さんが寄ってきて、ふだんは滅多に紹介状なんて書かない先生なんですよ、とそっと耳打ちをする。

 指定された午前中の受付がぎりぎりだったので、私だけ先に走って初診の手続きを済ませる。建物は新しくはないが、さすがに国立だけあって広く堂々としている。あとでつれあいの父が、作家の司馬遼太郎がここで亡くなったという記念のプレートを見つけて教えてくれた。脳神経外科のY先生は50歳くらいの女医さんである。はじめに妊娠中と出生時の状況を詳しく聞き、両足の太さをメジャーで測る。右足より左足の方が2センチ細い。ゴムの金槌のようなもので足のあちこちを叩く。次に紫乃さんを腹這いにして遊ばせ、両足の動きをしばらく観察する。持参したMRIの画像を指しながら、説明してくれた。

 二分脊椎を介在した脂肪腫脊椎、というのが正式な病名である。脂肪腫自体は良性のものであるが、この脂肪腫が脊椎の神経を巻き込んだ形で癒着しているため、成長するに従って神経を引っ張り様々な障害を引き起こすことになる。この子の月齢ではそうした成長過程にはいまだ至らないので、現在出ている、とくに左足の膝下部分の神経麻痺による運動障害などの症状は、形成時に脂肪腫が神経の発達を阻害したためと思われ、先天的なものである。故に発見がもっと早かったとしても避けられない類のものであったし、現在は分からないが今後このような異常がさらに見いだされる可能性もありうる。これらはリハビリによる回復の可能性もあるが、完治は望めない。この子の場合は、おそらく軽い歩行障害は避けられないと思われる。足に装具(補助具)を取り付けることにもなるかも知れない。また脂肪腫脊椎の場合、排尿排便の困難も同時に見受けられるケースが多い。排尿は失禁、排便は便秘の形で現れる。水頭症を併発した場合は知的障害などの脳神経への影響も出るが、一般に脂肪腫の場合は水頭症の併発は少なく、この子の場合も見たところたぶんないだろうと思う。つまり手術は、すでに発症している症状を治すものではなく、これ以上の症状を出さないための予防処置だと考えて欲しい。手術の時期は医者によっても様々な見解があり、個々のケースにもよるが、すでに症状が現れ始めている現状を見ると、私はもうすぐにでも処置をした方が良いと思う。

 某医大の医師が「手術自体はそう難しいものではない」と言っていたことを告げると、とんでもない、と頭を振った。肉眼で絡み合った神経と脂肪を判別しながら取り除いていくので、医師には細心の注意が要求されるし、通常7時間近くかかる大変難しい手術である。脂肪腫をあまり後追いしすぎても誤って神経を切断してしまう危険がある。そこまで進んで、ふと話の間合いが空く。背後で立って聞いていたつれあいの母が、“私に任せてください”と言ってくれやんのかね、とそっと私に耳打ちする。そんな空気を感じとったのだろうか、一瞬の沈黙の後、「もしこちらに任せてもらえるようでしたら、私としても精一杯やらせてもらうつもりです」とのY先生の言葉。これはあくまで、しろうとの直観のようなものである。私はなぜか、この先生ならきっと、と思った。経験に裏打ちされた真摯な姿勢を感じたのだ。つれあいと顔を見合わせて肯き、「では先生、お願いします」と言っていた。そう口にしたとたん、何か得体の知れない感情がぐいと喉元へこみ上げてきて、思わず噛みとどめた。それが悲しみなのか、祈りなのか、一抹の安堵であったのか、よく分からない。ただオネガイシマスという無音の言葉をもう二つほど、震える奥歯で噛みしめて、それは去った。

 入院予約の申し込みをした。目安は今月(7月)中で、手術の際のモニター担当を専門としている阪大の医師も呼ぶので、そのかねあいと空き部屋の状況を含めて手術日を決め、その一週間前より入院をしてもらい、手術日までに必要な諸々の検査を行う。脂肪腫はそのすべてではなく、障害を引き起こさない必要最低限を切断・除去し、最後にゴアテックス素材の薄い膜を被せて縫合する。元々の膜の切れ端が周囲に残っていればそこへ縫いつけるが、切れ端が残っておらず細胞に直接貼り付けるしかない場合は、稀に骨髄液が漏れる心配もある。術後の入院は順調にいって通常、約一月が必要。そのうち最初の二週間は、(脊椎の開口部を上にして)手術箇所の保護や骨髄液の液漏れを防ぐために、患者にはうつ伏せの姿勢を保持することが強制される。入院は基本的に完全看護なので付き添いは認められないが、子供の状況によっては手術日前後に特別に許されることもある。その辺りは婦長さんなどと相談して欲しい、とのこと。

 天王寺へ出て、駅ビルのうどん屋でやや遅い昼食を済ませ、近鉄百貨店でつれあいの両親に、入院時に着る紫乃さんの夏のパジャマを数枚買ってもらう。ディズニー関連の店先で“くまのプーさん”のぬいぐるみが目に入り、紫乃さんに買ってやろうと入っていったのだが、これも払いはお義父さんに押し切られてしまった。絵本を見ていても、この子はクマの出てくる場面がとくに好きなのだ。「アメリカ文化には触れさせないって言ってたのに」とつれあいがいじわるく私に言う。紫乃さんはプーさんの鼻を囓りながら、やがてベビー・カーの中で眠ってしまった。

 和歌山へ帰るつれあいの両親とホームで別れて、大和路快速に乗り込む。いつもの見慣れた景色が窓の外を流れていくのを漫然と眺めながらふと、この子はもうふつうの子供のように、野原を駆けまわったり、子羊のように無邪気に跳んだり跳ねたりすることはできないのだな、と思う。正直に言って、悲しかった。とめどなく悲しかった。心の奥にぶらさがった頭陀袋に無数の穴が空いて、そこから涙が噴き出すように溢れ出る。空っぽになってもまだ果てしなく流れ出ていく。そんな悲しみだった。だが、と思い直してみる。人には与えられなければ手に入れられないものが確かにある。私はこの子が産まれたときにそれを思った。ならばこの病気も、おなじように与えられた「意味のある何か」ではないのか。今日、整肢学園で見た子供たちの姿は、自分の子供がこのような病気を持って生まれてこなかったら、おそらく生涯出会うことのなかったろうまた別の世界の風景だ。紫乃さんもやがて成長するに従って、自分の身体が他の子供たちと少しだけ違うということに気づくことだろう。私は彼女が、それをきっかけに物事を深く考え、さまざまなことを感じ、さまざまな風景を見、学び、そしてそのことによって特に社会の弱い立場にいる人たちのことを考え、また他人の痛みが分かるような人間になってくれたらと願う。「欠損」ではなく、与えられたまた別の意味ある形なのだと教えてやりたい。そして親子でこれからずっと、その「財産」を共有していきたい。私は、そのように受け取りたい。

 

*

 

 前の晩に彼女はこう言う。いまは気が張っていて、いろいろ忙しいし、悲しみにふけっている余裕もないわ。私はこれからこの子にずっと専念して、いろいろ頑張らなくちゃいけないんだもの。

 昼に彼女は言う。悲しくならないのは、気が張っているからじゃなくて、この子はきっとちゃんとふつうに歩けるようになる、何故かそんな気がするからなの。そう言うと見開いた両眼から涙があふれてきて、慌ててティッシュを引き抜く。

 そして夜に彼女は、まとわりついてきた子供の背をさすりながら言う。大丈夫、お母さんがきっと治してあげるよ。お母さんの神通力は、すごいんだぞ。

 

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 私の実家からの提言で、紫乃さんの入院中に大阪のウィークリー・マンションを一月ほど借りて身内で共同使用することにした。つれあいも病院での付き添いが認められるかどうか分からないし、関東からは私の母と妹がしばらく滞在し、それにつれあいの実家も和歌山からこまめに通うのも大変だから便利なときもあろう。なるべくなら病院まで歩いていけるくらいの距離がよい。現在インターネット検索などで調べているところだが、今年はUSJなどもあるから夏休みにはいると結構混むかも知れない。

 今日は夕方、つれあいが以前勤めていた派遣会社より、前の職場の博物館で欠員が出て一日だけ手伝ってもらえないだろうか、と電話があった。紫乃さんは見てるから行きたいんなら行ってきなよ、こっちは構わないよ、とそばで私は答え、結局彼女は受けることにした。少しは気分転換になっていいかも知れない。

 ここまできたら、早いところ病院から連絡が来て手術の日取りが決まって欲しい、と思う。一日でも早く処置をして欲しいというのもあるし、物事が進み出して自分たちがその忙しさに気を紛らせたいという気持ちもある。合間があくと、何だかいろんなことばかり考えてしまう。彼女は昨日あたりから紫乃さんを抱えて、立ち歩きの練習をしきりとさせている。医者の説明では左足首を動かす神経が麻痺しているために左足がよじれてきちんと着地しないのだが、それを矯正しながら歩ませ、少しづつ良くなってきたような気がする、と言う。

 昨夜はつれあいのリクエストで見たNHKの番組で、作家の瀬戸内寂聴が「神さま・仏様はその人が耐えられないような苦しみはけっして与えない」といったことを話していた。ああ、確か聖書にも同じような言葉があった、とぼんやりと思った。私だけのことなら、そう受け取りもしよう。どんな理不尽な苦しみでも甘受しよう。だがまだ何も分からず微笑んでいる無垢な赤子の身に科すには、あまりにも酷な仕業ではないか。ならば私のこの両足を切断してくれた方がずっと、よかった。

 

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 昨夜はこんな夢を見た。以前の葬儀関連の花屋の仕事に自分は戻っていて、数台の軽トラを連ねて下町の町工場のような敷地へ入っていく。煉瓦造りの雑然とした建物の地下へ入っていくと、まだ産まれて間もないような赤ん坊が裸のまま運ばれてきて、パイプベッドの上で大きなビニールの袋を被せられて窒息死させられる。自分たちはこの赤ん坊の葬式の仕事に来たのだと私は気づき、「なんてことをするんだ、やめろ!」と叫んだところで目が覚めた。夢の中の赤ん坊のように、私の中でも何かがひとつ死んでしまったように思ったのだった。かつては赤ん坊の無邪気な仕草を見てこちらもおなじくらいに無邪気な幸福を感じていただけであったが、いまは微笑みの中にも、痛みがある。

 これを読まれている、特につれあいの身内や知り合い関係のひとたちにこの場を借りてお願いしたいことがある。心配をしてわざわざ電話をかけてきてくれるのは有り難いことなのだが、そのときに彼女に病気に関する説明をあまりさせないで欲しい。それらはこの拙文を読んで済ませて欲しい。あちこちで同じような説明を、無理に陽気にふるまって話そうとしている彼女を見るのが忍びないのだ。病気に関する詳細なら私が承るので、どうかお願いします。

 日曜の今日は昼前につれあいが家の掃除をしている間、紫乃さんを連れてふたりで近くの小さな公園へ行って来た。水飲み場の蛇口をひねると、赤ん坊は差し出したちいさな手でその水を受け、自分の足に水滴をかけてはけらけらとしきりに笑っていた。往生際が悪いと言われるかも知れない。私はときどきいまも、すべては夢の中のことで、いつかこの夢は覚めるのではないかと思う。

 午後からは近くのサティへ三人で買い物に行き、つれあいは病院で使う500円のスリッパをひとつ買った。

 

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 赤ん坊の湿疹が少し目立ってきたので念のために、昼からつれあいが県立病院の皮膚科へ連れて行く。私は午前中にバイクで職安をまわって、昼過ぎに隣町の図書館で合流。セサミストリートの英語の歌やミッフィーなどの、紫乃さんのビデオ数本に、折り紙の本などを借りた。

 つれあいが雑誌を見ている間、私は児童書のコーナーの隅にあるプレイルームの中で、紫乃さんをベビー・カーから降ろして遊ばせる。プレイルームには私より年輩の父親が息子に紙芝居を読んでいる。それから、学校帰りの暇をもてあました中学生の女の子たちが数人、車座になって何やら話し込んでいる。そのグループから離れて、ひとりぽつねんと座っていた女の子が紫乃さんの前にきて、やや遠慮がちに赤ん坊をかまいだした。これが仕事というように赤ん坊が本棚から絵本を根こそぎ放り出していくのを、はたからまた棚へ戻していってくれる。赤ん坊が、ん、なんだ? というふうに女の子を見る。女の子は黙ったまま紫乃さんを見つめている。

 病院の待合室や電車の中や店先や公園で、よくつれあいは赤ん坊をきっかけにいろんな人と気さくに話し合うのだが、男の私はどうもああいうのは苦手で一歩を引いてしまい、いまだ馴染めない。それに小学生くらいの子供なら結構心やすくて友達みたいになれるのだが、中学生の、しかも女の子となると、なぜかどうもいけない。別にロリータ趣味はないのだが、こちらに“衒い”のようなものがあるみたいなのだ。つれあいが来てくれたらなあと探すが見当たらず、紫乃さんも泣かずに遊んでいる様子なので「ちょっと見ててくれるかな?」と女の子に言って、そそくさと外へ煙草を吸いに出た。

 戻ってくるとつれあいが赤ん坊を挟んで女の子と何やら話をしている。私が行った後で紫乃さんがつかまり立ちをしたらしい。初めてのことだと言うと、女の子は「お母さんやお父さんが見ていると緊張するのかな」などとつれあいにぽつぽつと話す。貸し出しを済ませて図書館を出る。つれあいの話では、女の子はいつも学校帰りに一時間ほど図書館に立ち寄るという。お母さんは共働きで、誰もいない家にひとりで帰るのが嫌らしい。家まではかなり歩くらしくて、私たちが車だったら乗っけて行って欲しいようなことを匂わせていたと言うのだが、残念でした、わが家は車はないのです。図書館のすぐ前の駅の改札までつれあいと赤ん坊を見送ってから、ひとり図書館の駐輪場へ引き返す。

 走り出したところ、さっきの女の子が図書館の正門の柱に体を凭れてぽつんと立っていた。目があったのでバイクを止めて、思わず「バイクでよかったら後ろに乗っていく? 家まで送ってあげるよ」と言う。女の子は一瞬躊躇していたが、じゃ、と言って素直に乗り込んできた。後部のステップを降ろして足を乗せてやる。信貴山の麓の上り坂を女の子の言うままに駆け上っていく。少し汗ばんだTシャツの肩をしっかりつかまっている。こういう光景はどんなものだろうな。この道は? 左。あの回転寿司を右。はいはい。そんな言葉しか交わさない。あ、お母さんだ。もう家の近くだと言う辺りで、白い乗用車に出くわした。運転席で、こちらに気づいた母親がちょっとびっくりしたような申し訳ないような顔をしていた。バイクから降りて道ばたに停車した母親の車の方へ走っていく女の子を確認して、私はなぜか自分が誘拐犯のような気持ちで、そそくさと逃げるようにバイクを発進させたのであった。

 

 ところで今日は私の実家から、日本二分脊椎症協会から発行されている「二分脊椎症の手引き」という冊子が郵便で届いた。私の母親が世話になっている共産党の市議さんの奥さんがわざわざ取り寄せてくれたものだという。母親いわく「読んでると憂鬱になってくる」内容らしい。ともあれ、さまざまな人たちの有り難いご厚意に感謝、です。

 

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 入院及び手術の日程が決まった。入院は来週の17日(火)、手術はその翌週23日(月)。

 

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 うちのホームページでもうだいぶ以前からリンクもしているヒサアキさんのサイトがある。写真関係のサイトを辿っているうちに偶然見つけたのだが、アマチュアのカメラマンで長崎の定時制高校の教師をしているヒサアキさんには実は重度の障害者の娘さんがいて、その娘さんを撮った作品が土門拳文化賞を受賞した。しばらく前にヒサアキさんの愛読する哲学者ドゥールズについての本を囓り読んだ。ご本人に確かめたことはないけれど、ドゥールズのいう「差異」についての解説を読み私は、ヒサアキさんの中でドゥールズと娘さんの存在は深く結びついているのだろうな、と漠然と思った。本の方は第2章の「高等数学」ではやくも躓きそのまま投げ出していたのたが、またそれを手に取り読み直してみた。たとえばこんなくだりだ。少し長いが引用したい。

 

 健常者と障害者は、身体において違う。違いはどこにあるのか。違いは、両者の間にある。差異が、両者の間にある。太郎には手がなくて、花子には手が二本あるとしよう。両者を比較すると、私たちは、どうしても太郎には手が「ない」と否定形で書いてしまう。そして太郎に欠如があって、太郎の側に間違いがあると語ってしまう。しかし現実はそのようになってはいない。現実には、太郎と花子の間に、手の数量の差異があるだけだ。0本と2本の差異としての2、2-0としての2があるだけだ。それなのに私たちは、肯定的な差異を、否定や欠如にすり替えてしまう。こんな思考習慣を捨てなければ、差異を肯定的に認識することはできない。健常者と障害者は、身体の内部においても違う。内蔵の機能に差異があるし、内蔵が産出する酵素の濃度に差異がある。ところが私たちは、一方を健康と評価し、他方を病気と評価する。一方を正常と、他方を異常と評価する。こんな思考習慣を捨てなければ、差異を科学的に認識することはできないし、健康と病気の差異、正常と異常の差異について、まともに考えることはできない。

 肌の色の違いがある。ところが人びとは、そこに対立や否定しか見ない。「一人は黒い(白い)。しかしもう一人は黒く(白く)ない」というわけだ。文化の違いがある。ところが人びとは、文化の差異は文化の間にあるのに、対立や否定を認知しては騒ぎ立て、類似や相違をあげつらっては悦に入る。これに対して、差異の哲学は、肌色の差異や文化の差異が、どこから出現するのかを探求する。そうしなければ、民族や文化について、まともに考えることはできない。

 

 そうしてドゥールズは「生物学の知見によれば、ダウン症候群を発現する人間の染色体の中で、二十一番染色体に形態と数量の異常が見られる。正確に言い直せば、二人の人間の二十一番染色体の間に、形質の差異と数量の差異がある」と言ったあとで、次のように記す。

 

 繰り返すが、顔面の差異を認知することと、染色体の差異を知覚することは、まったく等価である。したがって、染色体の差異を理由として胚細胞を流すことと、顔面の差異を理由にして人間を殺すことは、まったく等価である。もちろん人びとは、理屈を並べて両者の道徳的価値の違いを言い立てるだろう。そのとき何が見失われるか。染色体の差異を発生させる場、顔面の差異を発生させる場が見失われる。差異を発生させて二つの個体を分化する原理、二つの個体を個体化する原理、要するに、生きる力が見失われるのだ。

(以上、小泉義之・ドゥールズの哲学・講談社現代新書 より)

 

 最後の強調部分は、私が読みながら傍線を引いていた箇所である。そのときどんな気持ちでここに線を引いたのか、よく覚えていない。とにかく鉛筆で何気なく引いた線が残り、いままた別の気持ちと温度でそれらの文字を静かにたどりなおす。

 ドゥールズは私にとっても大切な存在になるだろうという予感を胸に。

 

*

 

 この間、新聞の書評で、現在世界に五千から六千七百くらいあるといわれる言語の内、大部分は一万人以下の話者しかいない少数言語で、さらにそのうちの50人から300人くらいの話者しかいない小言語がニューギニアに約一千、アフリカに約二千密集している、という記述を読んだ。特筆すべきは、それらの密集地帯が植物や動物の種が高い密度で分布しているところであり、つまり「生物の多様性と言語の多様性は密接に連動しているらしい」というのである。(消えゆく言語たち・Daniel Nettle/Suzanne Romaine・島村宣男訳・新曜社) さもありなん、と私は思う。言葉も、植物や動物や昆虫とおなじ生命の円環から派生した。人の魂も、またしかり。そして書評の文章は次のように続く。この言語と生命の多様性が、経済的要求から単一言語を目指すグローバリズムのもとで急激に失われつつある、と。

 前述したドゥールズの哲学は、さまざまなものとものとの狭間に横たわる違い=差異を、一方が正しいとか劣っているとか正常だとかいった二元的な対立で色分けする認識の習慣をわれわれは捨て去らなければならない。なぜならばそのような差異=多様性こそが私たちの世界を豊かに動かしていく「生きる力」のみなもとなのだから。差異=違いから命の運動は生まれ、互いの差異を理解し合うことから愛情が生まれる。そんなふうに言っているように思える。

 森の中で、一抹の風が木々の間を吹き抜けていくとき、私の言葉もまたふるえる。そのようなものと、私はつながっていたい。

 

*

 

 看護に使うウィークリー・マンションを確保した。病院から近い物件は二件あったのだが、ひとつは料金がかなり高いので見合わせ、もうひとつはすでに満室であった。やはり夏休みのせいか特にツインの部屋は8月までどこも満室で、結局、天王寺に近い環状線の駅に近いシングル・ルームを、入院の日よりとりあえず二週間借りることにした。保証金を含めて二週間で78,000円は高いのか安いのか。それと別途でレンタルの布団を一組手配した。こちらは5,000円くらい。私の実家から母と妹が手術日の数日前に来て約一週間滞在することになっている。病院でのつれあいの付き添いが認められるかどうか分からないが、状況を見ながら適当に人数を振り分けて使うことになるだろう。

 今日は和歌山のつれあいの妹さん宅より桃が届き、中に小学生になる姪っ子のSちゃんからの手紙と、紫乃さんに宛てた手製のお守りが入っていた。夕方にはつれあいの実家より電話が来て、入院を二日前に控えた日曜にお母さんがこちらへ泊まりに来るという。いてもたってもいられない、というところだろうか。

 夜、つれあいとテレビでエディ・マーフィーのコメディ映画を見ているうちに、遊び疲れて赤ん坊は先に眠ってしまった。抱き移した布団の上で、三角のあどけない口を開けてすやすやと眠っている。気がつくとふたりして黙ったまま、その寝顔をじっと見つめている。しばらくしてつれあいが、手術をしたらよくなるような気がしない? と静かに口を開く。少しの沈黙の後で私は、ん、そうだな、とつぶやく。あとはまた黙っておだやかな寝顔を眺めている。

 

*

 

 彼女と赤ん坊が先に眠りに就いて、ひとり机に向かって浮かんでくるのは、いつも行き止まりのおなじ思いばかりだ。これがいっそ夢であってくれたなら。奇跡が起こってふつうのこどものように歩いてくれたなら。だが一方で理性が、これは受け入れなければならない確かな現実であり、医者が告げた完治は望めないということばを覚えている。告白しよう。はじめて診断を聞いた日の夜、私は、これは自分の業(ごう)がもたらしたものではないか、と思った。私の悪業がこどもに災いを転化したのだと思った。いや、馬鹿らしい。そんな迷信じみたことなど信じない、と思いながらもそれを拭いきれなかった。それもあり得る、と思ったのだった。受け入れようと覚悟をしながら、一方で受け入れることの出来ない弱い自分がいる。現実に背を向け、できることなら忘れてしまいたいと願っている自分がいる。私はいまだ神を信じることはできないが、神を呪うことはできる。表面ではきれいごとも言うが、心の奥では答えのない問いと醜い呪いの言葉でいっぱいだ。

 

われわれは神から幸いをうけるのだから
災いをも、うけるべきではないか

(旧約・ヨブ記)

 

 理不尽な苦しみを受けたヨブが、なぜ神と和解できたのかと考えている。

 

*

 

 朝からつれあいの実家の両親が和歌山から泊まりに来た。昼食は新鮮な鰺の刺身と魚のアラの味噌汁。夜はタケノコご飯と冷や奴。風呂上がりに皆でアイスを食べながら、お義父さんから四国にある造船所で建造した船の話を聞く。進水式のときに笛の合図で整然と立ち回る作業員たちのさっそうとした姿。綱を切り、数百トンもの船体がするするっと海へ下りていく、その感激。配られたおいしいクッキーを親類の家に譲り、まだ小さかったつれあいと妹さんが嘆いたこと。十数年を働いたその船がアジアのどこかの国へ売られていくことになったときは、まるでわが子を知らない土地へ送り出すような気持ちで、見送りながら涙が出た。まだ使える道具も取り外して、油も片道分のぎりぎりしか積まずに行ってしまい、可哀相に、いまもどこかの見知らぬ国で働いているんだなと思うと気の毒で仕方ない、とお義母さんが言う。二間しかない部屋の間のふすまを外し、五人で枕を並べて眠る。老いた船のたましいが海を渡ってやってきて、ざぶんと波の音を聴いたように思う。

 

*

 

 いよいよ明日から入院である。私も時折、大阪のマンションに泊まり込むこともしばらくはあるかと思うので、この項も自宅へ戻ったときに書き継いでいくことになるだろう。

 ところでふたたびこの場をお借りして身内の業務連絡、である。入院中の見舞いであるが、手術の内容もあり、環境の変化で赤ん坊も精神的にも不安定になるなど、どんな状況になるか分からないので、基本的に病室への見舞いは遠慮して頂きたい。また退院後に落ち着いてからいらして下さい。それでもどうしてもという方は、メールか留守電にてあらかじめこちらへ連絡をください。また念のためですが見舞いの、特に金銭に類するものは辞退させて貰いたいと思っているので、その旨どうかお酌み取り頂きたい。

 

 

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