■ 差別、あるいは差異化についての覚え書き もどる
以下の文章は大阪人権博物館元理事・木津譲氏のために書かれた。 他者との関係がいまほど問われている時代はない、と思う。
はじまりのとき、おそらく自分は世界であり、世界はまた自分であった。やがて「認識」という名のもとに世界は自分と対峙し向き合うようになる。あらゆる線引きがなされる。皮膚の内側と外、内部と外部、集団、人種、宗教、土地と国家の境界。また橋のこちら側とあちら側。「内部」は守るべき秩序であり、「外部」は理解し得ぬ脅威と混乱であり、境界はそのはざまにおいて戦場となる。(そして私たちはそのように〈教育〉されてきた)
おそらく「差別」というものも、そうした人々の心の闇や奥襞から分泌され、産み落とされるものなのであろう。「〈異人〉とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である」とある民俗学者が記していたことは示唆的だ。
*
鎌倉時代の僧・明恵がある時、堂の中で座禅を組んでいて、ふと弟子のひとりを呼び寄せた。軒先の鳥の巣をいま蛇が狙っているから追い払ってきなさい、という言いつけだった。弟子が見に行くと、果たして巣の中の雛に蛇がまさに忍び寄っていくところだったので追い払った。不思議がる弟子に明恵は「こんなことは特別なことでない。修行をしていれば誰にでもできるようになることだ」と言ったという。
この話を心理学者の河合隼雄はユングの共時性の理論を援用して、「かれの〈こころ〉の状態と、下界の〈もの〉の世界の状態は不思議な対応をもち」離れたところのものが見えたのだ、と説明している。ある透徹な意識が、皮膚の殻である〈境界〉を蹴やぶって、森羅万象まで拡張したのだ。
イヌイット(エスキモー・これは西欧人たちによる蔑称なので使わない)たちの先祖が夢の中で獣に変身するとき、またアイヌの人々が熊の魂を送るとき、おそらくかれらの精神もこのような状態に近かったのであろう。〈私〉と〈他〉の境界が崩れ、隔てが消失し、他の生命の痛みが同時に自らの痛みであるとき。
これらは「差別」の世界と対極に位置する世界であるように思う。
*
聖なるもの/穢れ、清浄/不浄、秩序/混沌、正/負、内部/外部、これらはみな、おなじひとつのコインの裏表のように思える。こうした「無限に反復される二元論」の影は、歴史上からいくつでも拾い上げることができるだろう。
たとえば紀記における黄泉国の不浄のモチーフ(清浄/不浄)、スサノオの高天原へのカオス的乱入(秩序/混沌)、また貴種流離覃の物語である小栗判官における聖/穢れの反転。これらの神話や物語の中で、秩序は常に混沌におびやかされ、聖なるものは穢れと奇妙な関係を保ち、不浄はある種の儀礼を経て清浄へと反転する。容易に移り変わるこれら二元論の主題は、その両義性に収斂される。
デュケルムの著作から引用しよう
浄と不浄とは、…別個の二綱ではなくて、すべての聖物を含む同じ綱の二変種である。聖の二種があって、一方は吉で、他方は不吉である。しかも、相反した二形態の間には、継続の断絶がないばかりでなく、同一物が、性格を変えることなしに、一方から他方へ推移できるのである。浄から不浄が作られ、不浄から浄が作られるのである。聖の曖昧さは、これらの変形が可能であることに起因している。
(宗教生活の原初形態)
つまり、有り体に言えばこれらは常に二つでワンセットなのであり、互いに分かち難く、両極から世界を補完し合い、それ故に両者は容易に反転し得るが、もともとは同じひとつの由来に根ざしている。それは対照的な二つの貌を持ったひとつの暗い地下茎である。
*
日本史における差別の歴史を語るとき、「天皇」の存在を欠かすことはできない。部落差別を語る者は、同じくらいの熱意と注意深さもって、いまもなお存続しているこの「古代的」な系統について考えなければならないだろう。
「天皇」制とは、部落差別のもう一端の貌である。なぜなら部落差別が下への差別であるなら、「天皇」制は上への差別であるからだ。ここにも聖なるものと穢れの二元論の展開が見てとれる。
この両極の点が交差する場所が興味深い。南朝の歴史においてかの後醍醐天皇が共同体の異端者である悪党や修験者たちと裏のネットワークを結んでいた事実は象徴的であるし、また同じように共同体から逸脱していた存在である山人の系譜にあたる漂泊の木地師やサンカといった集団、あるいは羽黒山の修験者たちが一様に開山の祖や自らの出自に「天皇」の系譜を抱いていることは、現世の実際的な利便(出自の正統性や交通の許可証の類)もあるだろうが、それ以上に根の深い両者のつながりを感じる。
*
おそらく日本においては、中世に「聖なるもの/穢れ」における価値観の変遷があったものと思われる。「中世」は第二のキーワードである。
死の儀礼や祭礼に関わるほかいびとや犬神人といった「天皇、神仏に結びついてキヨメに携わる」職能民たちが、その価値観の変遷とともに没落し、聖なるものから穢れを背負ったものへと転落した。これは後述するが信仰形態の変化や社会的な変化、中央の集権化とそれに伴う共同体の強化によるものと思われる。
後の時代のある祭礼の場には、乞食・非人・鉢たたき・唱聞師・猿つかい・盲人・いざり・腰ひき・おし・えた・皮剥ぎ・勧進の聖等の異形異類の者たちが数知れず馳せ集まったという。かれらは零落した古代のまれびとの幻影、いわば「神の資格において祭りの庭に現れる神人の末裔」であった。
いやしめられる身分の者であったからこそ、逆に神聖なるものに変身しうる社会的な約束が成立していたのであるし、また神聖なものに変身しうるものとして物をもらうがゆえにいやしめられた、ともいえるであろう。
(戸井田道三・能 神と乞食の芸術)
いわばかれらは、上への差別から下への差別へと反転したのだ。
聖性を宿すものは常に畏卑の対象である。
*
中世の職能民たちの転落を、近世の狂気の歴史と重ね合わせることは暗示的である。共同体からの排除という共通項でくくると、両者のよく似た系譜が浮かび上がってくる。
『日本の狂気誌』の中で小田晋は精神医学の立場から江戸時代の文化を「決して従来考えられていたほど無知蒙昧で封建的なものではない」として、「日本では、狂気におちいった者が、西欧の17世紀以後の社会のように、社会から切り離されたり隔離されたりすることなく、ひとつは民間信仰がらみで、他方には、村落や家族などの共同体のなかにとりこまれる形で、一般の生活の中に溶け込んで存在していた」と記している。
たとえば知恵遅れの者を町内で共同で面倒をみたり、「狂乱して道にあくがれ出たもの」を遍路や鉢叩き、節季候(せきぞろ) として路上の群衆の中へ受け入れるシステム。また寺院弟子、巡礼や旅芸人、修験山伏、旅の絵師や俳諧師といった「常民社会に適応できない非順応者」のための場や座。修験道がらみの「水行」といった形での精神病治療のシステム。さらに小田は、江戸における弾左衛門支配の「非人」の集団が差別の対象でありながら、「元売春婦や自殺未遂者そのほか非常に広範囲の不適応者」を受け入れる、一種の「社会的安全弁」の役割を果たしていたとさえ記している。
ここで印象的なのは、幕末から明治という時代の変化がもたらした「啓蒙的意識」の普及によって、古来より狂気に付随していた「聖性」が「迷信」の名のもとに完全に削ぎ落とされ、ひとびとの中での居場所を奪われたことだ。いわば中世の職能民たちの転落に始まった「文明化」の輪が完結したわけである。小田は書いている。
それまでならたとえ一時的な狂気であっても憑依状態は多少とも畏敬の念で見られた。たとえば狐憑きになった女性は即席の神となって、赤飯や油揚げなど、農民の思慮の及ぶ限りのご馳走にありつくこともあったのに、脳病や神経症というレッテルを貼られることになった者は、癲狂院の鉄格子のなかに、そのディスクール(論述)を閉じこめられるか、または、私宅監置の闇に沈むほかはなかったのであった。
(小田晋・日本の狂気誌)
どのような形であれ、たとえ蔑視や差別・異化といった不当な視線に晒されながらも、少なくともかつてはまだ、かれら異形の者たちに対する共同体の態度には、かれらの存在を受け入れ、かれらの言葉を聞き、その居場所を提供するだけの余地はかろうじて残されていた。「交通」のための回路が開かれていた、と言い直してもよい。そしてまた、中世以来の「聖性」の残滓も僅かに。近代の合理主義がしたことは、それらの「異物」をより徹底的に共同体より排除・隔離して管理した───かれらから言葉を奪い、その「交通」を完全に遮断してしまったことである。「交通」が途絶えたのであるから、かれらはもはや人でも神でもなくただの「異物」、あるいは正体の見えぬ恐怖の対象でしか過ぎない。
そして現在、精神病院の建設予定に地元住民がパニックを起こし、若者は公園の浮浪者を「汚物」として襲撃する。果たして近代の精神は、江戸時代の狐憑きを愚かな「迷信」として嗤えるだろうか。
*
「穢れ」とは何であるだろう。それはどこから到来するものなのか。
死の穢れも、女性の月の障りや出産に由来する穢れも、連続する日常を突然に寸断する深い亀裂である。メアリ・ダグラスはその著書『汚穢と禁忌』の中で、穢れを「体系的秩序において拒否されたあらゆる要素を包括する、一種の全体的要約」と表現している。「いわば、無定形の混沌(カオス) によって秩序が侵されるとき、穢れは発生する」(赤坂憲雄)
死や出産(誕生)を問いつめることは、一見永続するかに見える日常を根底から揺るがす疑問へと繋がってゆく。(「感ずることのあまり新鮮にすぎるとき/それをがいねん化することは/きちがいにならないための/生物体の一つの自衛作用だけれども」と妹の死に際して宮澤賢治は記した) それは共同体/秩序にとっての脅威と混乱を意味する。そのためにかれらは「外部」からの侵入者たる混沌 を、形を変えて秩序の中に取り入れるか、あるいは何らかの方法で(後述するが、例えばある種の犠牲(スケープゴート) を作り出すことによって)それらを再び「外部」へと送り出す必要に迫られたであろう。
それが「浄化」や「清め」の儀式の構造であった。
*
われわれは前述の共同体による犠牲(いけにえ) の一例を、阿部謹也による興味深い『ハーメルンの笛吹き男』の論考の中に見ることができる。
中世ヨーロッパを舞台にしたこの有名な伝説の原型───130人の子どもたちが突然一斉に消え失せた顛末を、阿部は当時の中世社会の諸相を巡りつつ、最終的にそれが緊迫した社会状況と貧しい日常の中で催された祭り(ハレの場)の最中に突発的に起こった悲しく象徴的な事故のためであり、その理由をつけ加えるために、漂泊の旅芸人である「笛吹き男」が子どもたちを連れ去ったというストーリーが後に添付された可能性について記述している。
社会的身分の区分けが厳しかった当時のヨーロッパにおいて、定住をせず、土地所有の価値観から疎外されていたために「市民」などの共同体の秩序やさらには教会の支配からも排除されていた「笛吹き男」は、いわば「外部」からのアウトサイダーであり、格好のスケープゴート であった。当時のハーメルンの市民は、その癒しがたい(受け入れがたい)悲劇の出来事の原因を、「外部」からの来訪者である異形の「笛吹き男」に転嫁し送り出すことによって、共同体の秩序の回復を計ったのである。
これと同じ隠蔽された「闇」の深層である「異人殺し」の主題が日本の民俗学からも提出されているが、代表的な小松和彦の『異人論』からの引用でとどめておく。
…それはひと言でいえば、民俗社会内部の矛盾の辻褄合わせのために語り出されるものであって、「異人」に対する潜在的な人々の恐怖心と"排除"の思想によって支えられているフォークロアである。
「異人」とは民俗社会の人々からしるしづけを賦与された者である。そして「異人」は社会のシステムを運営していくために、具体的行動のレベルでもその"暴力"と"排除"の犠牲になり、また象徴的・思弁的レベルでもその"暴力"と"排除"の犠牲にされていたわけである。
つまり、民俗社会は外部の存在たる「異人」に対して門戸を閉ざして交通を拒絶しているのではなく、社会の生命を維持するために「異人」をいったん吸収したのちに、社会の外に吐き出すのである。
(小松和彦・異人論)
部落差別に関する例をあげるならば、昭和の狭山事件などもそのひとつに数えることができるだろう。
*
ギリシア語の「聖なる hagios」という語は古代には「汚された」という意味をもっていたという。古代の原初的社会において言葉は、世界とおなじように常に両義的な意味を帯びていた。
死のような、人間を超えたはかりがたい運命の力に対して、ひとびとは聖/穢れを包括した驚き・畏怖・嘆き・憎しみ・忌避といった多様な感情を抱き、その未分化の全体が一種の大文字の「聖なるもの=マナ」であったと思われる。おそらく女性の出産や月のものにまつわる穢れ観も、もともとは死と同様に生命の神秘を目前にした、そうした両義的な聖/非日常のはかりがたい何物かであった。
それが時代を経るに従って、社会制度や権力・男社会・家の制度・経済・宗教等の変遷の中で、両極の一方である「聖」が抜け落ち、「穢れ」のみが女性性の 禁忌(タブー)として社会のシステムの中に組み込まれていったのである。また、そうした未分化の「聖なるもの」の両極が同じように、一方の「聖なるもの」が天皇へ、もう一方の「穢れたもの」が非差別部落へと、制度の中へすくいとられ変容を遂げていったと見ることもできるかも知れない。
*
中上健次・原作の映画であったか、重畳たる山並を前に山仕事に来ている男が豪快に放尿をしつつ「山のカミさんがわしの魔羅(もの) を見て喜んどるわ」と、確かそんな科白(セリフ)を言う場面があった。危険な山仕事の中で、男たちが怖れ、敬い、神秘を感ずる「山のカミ」は古来、女であった。男たちは生を怖れるように女を怖れ、死を憎むように女を憎み、そして子宮への郷愁に抗うように女を愛した。
修験を含め山の「聖域」は長く男の世界であったと言えるかも知れない。だがその「聖域」を見えない力で支配していたのは女であった、とも言えるように思う。深い山中の魔道に堕ちながら男たちはそれを知らされたし、里で待つ女たちはそれを無意識に知っていた。それを知っていたから女たちは、山へ入る必要がなかったのだ。なぜなら、女は大地であったから。
列島の山中にはいまも古層が眠っている。それらを手繰り寄せ、さまざまな制度や歴史のために歪んでしまった原初の素朴な形・ありようを、もう一度取り戻す手だてはないものか。
*
かつて熊野の地を訪れたとき、次のような文を記した。
〈縄文〉に魅かれる。
それを想うとき、地は戦慄し、光が溢れ輝き、物の陰が濃く在る。山がざわめき立ち、森の樹の葉の一枚一枚が言問う。言葉が言霊であったとき。ひとが鳥獣と交信し、山川草木にカミが宿っていたとき。
日本でいうなら縄文から弥生への移行は、一種の全的な存在の革命、例えれば人類が二本足で立ち、あるいは火を発見したとき以来の、二度目の歴史的な大変化であったと思う。
〈火〉はここではひとつの符号、暗示である。 新宮の市内から仰ぎ見ることのできるゴトビキ岩は、古代からの拝所であったという。『日本書紀』の神武代に記された「熊野神邑の天ノ磐盾」に比され、ここはいわば新宮のヘソである。速玉大社の神も、以前はこの地に鎮座していた。ここで毎年2月6日に、荒らぶる神々による勇壮な“ 火祭り”が行われる。
何が進行したか。稲作と定住、所有、鉄の出現。富が蓄えられ、差別が生じ、殺し合いの中で権力がそれを束ねていった。森は伐採され、神々は忘れられ、川が堰止められ、山が切り崩されていった。サンカといわれる山の民の息の根を止めたのも、同じ手段による。徴兵と納税と教育の義務によって、最後の縄文の遺児たちは滅ぼされた。山はもう自由の地ではなかった。それは誰かのもの、国のものであったり、個人の所有物だった。神々のものではなかった。
熊野は〈縄文〉の充ちる場所であると思う。東北は都からの距離によって、熊野はその険しい地勢によって。〈火〉は、その始源の記憶である。
それを想うとき、時間は歪み、空間は疾走する。
(「熊野巡礼」)
*
歴史において、言葉(ロゴス)も「所有」も、男性性が支配していた。言葉を用いて名付けるという行為は、ある種の「線引き」を含めた所有を意味する。言葉は権力である。
言葉の揺らぎ、あるいは「名付け得ぬもの」のために、あえて言葉/文字を残さなかった幻の民を夢想する。そこでは時間は直線ではなく、区別ではなくゆるやかな循環が、異化ではなく静かな共生が、モノとモノの間(あわい) には境界をひくことの出来ない神秘な連なりが存在し、まったく別の景色が見えていたのかも知れない。
───キリスト教は宗教である以前に言葉(ロゴス)であった。
*
ウチナーグチ(沖縄言葉)に、こんな諺があるという。
他人(ちゆ)に殺(くる) さってん寝(に)んだりーしが、他人(ちゆ)殺(くる)ちぇ寝(に)んだらん
(他人に傷めつけられても眠ることはできるけれど、他人を傷めつけたら眠れない)
また、かつてイヌイットの猟師が言ったこんな言葉を聞いた。
「あなたが幸福なら、わたしも幸福だ」と。存在と存在との間(あわい) に渡された、かれらの言葉の何と豊かでやさしいことだろう。あなたはわたしの一部であり、われわれはみな共通に大地の風のひと吹きなのだ、と言っているようだ。ここでは言葉は存在のあわいを吹き抜けるやわらかな風の通い路のようだ。
言葉がそのようであるとき、所有という概念もまた空しい。
*
繰り返そう。〈内〉と〈外〉に反復する二元論。われわれの皮膚、家族、人種、国家、宗教、言語───あらゆる場所にその〈境界〉は横たわっている。
われわれは混沌を切り取り、線引きをし、あるいは所有し、内部に意味と秩序と安定を見いだし、収まり切らぬ異物をその境界の外部へと疎外し続けた。また秩序の更新のために微細な外部を巧妙に取り込み、かつ内なる深部の膿を犠牲(いけにえ)に仮託し放逐した。それがわれわれの歴史における文化の形であった。切り取られた内部の秩序およびその境界は、混沌に荒れ狂う外部から共同体を守る城壁である。その〈内〉と〈外〉のはざまに、汚れを纏った異人は飽くことなく分泌され続けていく。内部 /外部 ・秩序 /混沌 ・清浄 /不浄 ・自己 /他者 といった無限に反復・再生される境界のはざまに。
「内部/外部の分割、という際限もなく繰り返される〈強迫的なるもの〉」そう記した赤坂はかれの著書『異人論序説』の末尾で短く、それらの束縛から離れた文明の スタイルと可能性に言及している。
〈異人〉とはくりかえすが、共同体とその外部の〈交通〉にまつわる物語である。内部/外部という強迫的な二元論に呪縛されていない、たとえば狩猟採集を基調とする遊牧民にあっては、この物語はまったく異質な貌をしているにちがいない。世界の中心をたえず移ろいずらしてゆく、したがって、閉ざされた円環によって世界=宇宙を静態的(スタテイツク) に認識することを知らない遊牧民(ノマド) にとって、強迫的な〈異人〉表象=産出のメカニズムも無縁であったかもしれない。
(赤坂憲雄・異人論序説)
あらためて縄文がたち現れる。
*
最先端の科学書の中で、「遊行僧」の文字が俄に飛び込んできた。「カオス的遍歴 chaotic itinerancy」とは「いくつかの秩序的な状態の間が乱れた状態を経由してスイッチしていく」部分秩序相における現象である。それをある科学者が遍歴の職人・芸人・遊行僧、つまり歴史における反秩序/混沌の漂泊者のイメージに仮託して語っていた。
21世紀を目前にまだ始まったばかりの複雑系の理論とはいわば、世界の多様性を粗暴な秩序のなかに閉じこめてしまう機械論的世界観を始源のカオスまでフィードバックさせる試みだが、たとえば「ホメオカオス homeochaos」といわれるシステムについて次のように語られる。
多数の自由度をもつ弱いカオス的振動が、完全にそろうわけでもなく、かといって完全にばらばらになるわけでもなく、お互いに影響し合い、依存し合いながら、つまり多様性を保持しながら───あるいは多様性をもつがゆえに───大筋ではあたかも基準となる状態があって、そこから逸脱しないかのようなふるまいをする、動的な安定状態である。
(吉永良正・複雑系とは何か)
これらを読んだとき、まるで華厳の教典に記された種子宇宙ではないかと思った。
科学とはひとつの価値観・世界観で、いつの時代も文化と密接なつながりがあった。ニュートンの古典力学やハイゼンベルグの確率論が、一般のひとびとの日常生活で語られることはなくても、意識下にあまねく浸透していくものだ。ゴッホの向日葵の絵が様々な改革のための運動よりも、現実の支配的な価値観を覆す新しいモノの見方を教えてくれた、とかつてミヒャエル・エンデ氏が語っていたように。差別や穢れ観が文化のシステムとして分泌されるものであるなら、こうした科学の分野における「世界を見ることを学び直す」ための新たな提唱はひとつのかすかな希望であるように思う。
*
ユダヤ人は抹殺されるべきかと問われたヒトラーは答える、「そうではない。そうなったらわれわれはユダヤ人を作り出さねばならぬことになる。人は、抽象的な敵だけでなく、はっきりと目に見える敵を必要とするのだ」と。
社会秩序における危機の風景を『批判への意志』の中で今村仁司はこう記述する。
差異は秩序の安定条件である。ところが、秩序の危機においては、差異化のメカニズムは崩壊して、対他的同一化または模倣が一挙に噴出する。パニックなどはその典型である。突出した模倣欲望の働きによって、ひとびとは、互いに模倣し合うのだから、互いに同質化する。それが「分身」状態である。
分身化とは、差異の消去である。差異の消去とは、秩序の崩壊である。しかし、分身のリアルな状態は、カオスと暴力への没落である。分身は、集団自身の分裂状態であるだけでなく、個人のレベルでも分裂状態である。自己とその影への分裂、そしてオリジナルとコピーとの殺戮のしあい、あるいはどちらが本体か分からなくなるような人間の妖怪化、これが模倣欲望がリアルにひきおこす帰結である。
(今村仁司・批判への意志)
───第三帝国下のドイツ国民の憑かれたような精神的昂揚、浅間山荘での革命を夢見た若者たちの陰惨な殺し合い、均質化された新興住宅住民の精神病練建設への異常な恐怖、民俗学における異人殺しの諸相、元オウム信徒のかぎられた逃れ先、だが何よりも、ここで今村が描いた「人間の妖怪化」の異様な風景は、驚くほど現在の子どもたちのいじめの構造に酷似している。
いじめの対象とされる「しるし」はア−プリオリなものとして存在するわけではない。それらは容易に、あるいはささいなきっかけや気まぐれで移り変わり、教室という閉ざされた 系(システム)の中で痛ましくも果てることのない乱反射の鏡像を成す。またわれわれは同じような風景をごく最近、食中毒の集団感染におけるパニックとその後遺症の中に目撃した。「O-157」とあだ名をつけられ忌避されたこどもとその家族たち。それらはまた差別の風景にも極めてよく似ているように思う。
内部/外部においては常に犠牲となる異人を分泌し、閉ざされた秩序の崩壊においては無差別に互いを異人化しなくてはならない、歪んだ構造としてのシステム。
*
野間宏らが編纂したいまはなき朝日ジャーナル誌上での対談集『差別・その根源を問う』で、中上健次がアメリカにおける黒人の人種差別と日本の部落差別の違いについて言う。黒人の人種差別は血の問題だが、日本の部落差別は文化というシステムの生み出す問題ではないかと。部落民という遺伝子的な血脈は存在しない。日本の部落においては、さまざまな人間が入れ替わり、移動を繰り返し、脱入を繰り返していたのではないか。
「エタ・非人」とはなべて存在しない幻の呼称であった。だが実体のないものが現実には拭いがたく存在しているということの空恐ろしさと呪縛。虚の空間から哄笑は響きわたる。
*
また同じ対談の中で安岡章太郎が語っていた。「人間から差別をなくすことが理想だとは思えない。それよりも差別をどのような方向へ持っていくかということの方が問題じゃないか」と。危うい言葉だが、炯眼である、と思った。ことは〈悪〉の問題と密接だ。ニンゲンにおける〈悪〉という存在について。
かつてある新興宗教の女性が訪ねてきた。彼女はにこやかな笑みとともに一冊のパンフレットを差し出した。その色刷りの表紙には裸のニンゲンの男女がどこか南の島の楽園のようなところでライオンと隣り合わせに並び立っていた。そのような世界が楽園=パラダイスだとは思えなかった。女が帰り、ひとしきり眺めてから破り捨てた。ライオンは肉を裂き、喰らうべきだ。
───イエスは悪魔とふたりで荒野へ行った。戻ってきたときはひとりだった。イエスには悪魔が必要だったのだ。内なる悪魔との対決が。
*
差別とは現代文明という名において構造化された内部の共同体における秩序の安定と活性化のために不断に繰り返されるシステムの営みから生み出されるものである。それらの差異化された恐怖の対象としての〈異人〉は、内部/外部といったあらゆる二元論の境界をひとが設ける、その場所において発生する。その点においては、人種差別やあらゆる宗教・民族間の争い、いじめや浮浪者襲撃・生命の軽視、障害者の問題、痛みの欠如、環境問題、世界観、所有、0157の感染者やエイズ患者や元オウム信徒に対するまなざし、ありとあらゆる「差異化」の風景の下に隠された地下茎と部落差別のそれとは同根であるように思う。
将来、部落差別というもの自体は消滅する日がくるかも知れない。だが差別や穢れ観を生み出してきたシステム自体を変えない限り、別の形の差別=差異化として絶え間なく分泌されてゆくことだろう。部落差別について考えるということは、もっと広く、宗教や哲学、歴史、経済、民俗学、生物学、科学、医療、倫理、あらゆる分野の知恵と発見を取り込みながら、「新しく世界を見直」していく壮大な試みの一端ではないか。それは現在の文明の形・有り様を痛みを伴って根本から疑うことから始まるのではないだろうか、と思う。
*
中上健次が「すべての芸能は差別から発生した」と言うとき、その言葉は危うい顫えをもって暗い地下茎に突き刺さる。ユングは少年期に神が汚物にまみれた壮大なビジョンを夢に見た。そこには原初の創造についての暗く深い闇が横たわる。だがとりあえず、ここでは触れるまい。
日本の部落の地域には固有の文化(食生活・職業・共同体等)が存在していたように思われる。そこには押しつけられた境遇もあったかも知れないが、誇るべき歴史性と独自性もあるのではないか。法を変え、暮らしを変え、職業を変え、それでもなお「部落」というものが残るのだとしたら、それは残しても良いのではないか。ただし、差別ではなく区別を、ひとつの規範ではなく多様な文様に彩られた社会のシステムとして。
皆が一様に同じになることが豊かな文化だとは思えない。男と女が異なる存在であるように。畏怖や賎視や穢れといった形でなく、異なるものを理解し、受け入れ、学び、驚き、許し、尊敬し、共存していくような別の形として。自然がさまざまな姿形の植物や魚、昆虫たちを造形したように、われわれに欠けているのはそうしためくるめく多様性への開かれた感性ではなかったろうか。
*
いつであったか、障害者の運動に関わり自らも車椅子の生活をしている長年の知り合いの女性と久しぶりに電話で長話をしていたときに、ごく自然の成り行きで、周縁をなぞりながら、手探りで、符号のようにたどり着いた言葉が一致したのは、「これからの新しい価値観というのはたぶん、いままで弱者の立場にいて排除されて来た者、障害者や、自閉症の若者や、いじめにあって自殺を図った者、不登校児、社会に適応できない者、そうした中から出てくるのかも知れない」という話だった。もちろん被差別の苦しみを受けてきた人々の歴史や、さらには元オウム信徒や酒鬼薔薇君に至るまで。
そうした「はずれ方」に心が寄り添おうとする。負性の価値観というものがあるのではないか。あるいは、マイナスの意味が劇的に反転する瞬間(とき) 。同じ様な意味で、これまで触れてきたアイヌやイヌイットをはじめ、ネイティブ・アメリカン(インディアン)、オーストラリアのアボリジニやアマゾンの先住民であるインディオ、モンゴルの遊牧民(ノマド) たち、日本の縄文文化・サンカやマタギ、古ヨーロッパのケルト民族、近代化の果てに、西欧の文明・哲学・価値観・経済が進歩と効率の名の下にふるい落とし蹂躙してきたこころやさしくつましいかれらの知恵の言葉にも心惹かれる。
たとえばインディオのある森の哲人の次のような言葉。
私たちは子どもにこう教えるのです。『地上にやってくる時には物音をたてずに鳥のように静かに降りたち、やがて何の跡も残さずに空に旅立っていくのだ』と。『人は何かを成すために存在する』という西側哲学は銅像を作り、人の偉業を記録に残そうとしてきた。だけど、T人は何もしないために存在してもいいじゃないかUと思うのです。生命を受け、生きていること自体が素晴らしいことなのですから。
貧しい人々がやさしいというのは不思議だよね。バナナを二本持っている人は、請われればその一本を分けてくれる。だけど、トラックいっぱいに持っている人はバナナを分けようとしない。人間は持ちすぎると良くないのかも知れないね。ノルデスチ地方の貧しい農家で厄介になったとき、家には魚の骨とわずかのトウモロコシしかなかった。でも、それでスープをつくり、みんなで食べたことがある。分け合い、未来を考える人々が新しい時代を創っていくことができるんじゃないか。そう信じているから、私は毎朝、寝床から起き出すことができるんだ。
(長倉洋海・鳥のように、川のように〜森の哲人アユトンとの旅)
こうした言葉は差別とは対極の場所から生まれるのではないか。〈内なる悪魔〉は常にわれわれの隣を歩む。だがかれらなら、それらを差別や穢れ・不浄といった形でなく、ハレの場である祭りやある種の共同体としての伝統的儀式が〈悪〉を別の形に昇華させ、微生物が汚物を栄養素に分解するように、〈差異化〉を伴わない循環としてのシステムを持ち得るのではないか。そんなあえかな希望を真夜中に夢想する。
後ろ向きの希望なのだ。光に目が眩み、闇の方向に進むように。われわれの掌からこぼれ落ち、われわれが忘却し、踏みにじり、失くしてきたものたち。
*
始めの問いに戻ろう。差別を生み出すあらゆる共同体内の差異化、または穢れはどこから来るのか。その答えの指標として次の言葉を置きたい。
最大の問題は〈内〉と〈外〉あるいは内なる異質性の問題です。
(栗本慎一郎・相対幻論)
それは〈外部〉ではなく、われわれ個々人の〈内部〉の深奥の闇に在る。ひとりひとりが各々の深奥の闇に目を凝らし、その異形の似姿と対峙するとき、あらゆる「差別」の呪縛が解き放たれる小さな(同時に大きな)最初の一歩のきっかけとなるだろう。そんな気がしてならない。
拙くささやかなこの小論の最後に、まるで童話のような、自然学者ライアル・ワトソンの以下のレポートを添えたい。種としての人類と遺伝子がほんの僅かしか違わない猿たちの神話である。
日本近海には多くの小さな島が点在している。そのうちのいくつかの島に棲みついている日本猿の群の生態が、ここ二十年来たえまなく観察されてきた。科学者たちが補足的な食べ物を与えることもあったが、猿たち自身、自分で掘ったさつまいもを土のついたまま食べていた。
この行儀の悪い食べ方は、何年も変わらずにつづいていたが、ある日、一匹の雄猿が、その伝統を破った。食べる前にいもを海にもっていって洗ったのである。彼は母猿にそのやり方を教え、母猿は当時のつれそいにそれをやってみせた。こうして、その文化は群全体に伝わり、いわば百匹中九十九匹までがいもを洗って食べるようになった。
そして、ある火曜日の朝十一時、最後に残った百匹目の猿がその習慣を身につけた。それから一時間もたたぬうちに、それまで食物を洗うそぶりも見せなかった、海をへだてた他の二つの島に棲む猿の群の間にも、その習慣が現れはじめたのである。
人間の社会でも、種々の思想は同じようにしてひろがるものと私は信ずる。多くの人があることを真実とみなすようになると、やがて、それがすべての人の真実となるのだ。それ以外に、いまのわれわれに自由になりそうな限定された時間のなかで、何か意味のある総意に達することなどできないだろう。ローレンス・ブレアもそのことに意義はあるまい。彼は“ひとつの神話は、大多数の人々に共有されたとき、現実となる”といっている。
(ローレンス・ブレア『超自然学』に寄せた序文)
ひとつの小さな森が神話を所有し、神秘を孕むように、世界はきっとこのような奇蹟に満ちている、と信じる。カミの 字謎(アナグラム)として隠された暗号のように。願わくばわれわれひとりひとりがその小さな領土において、百匹目の猿たらんことを。
これはいわゆる「正統」の伝聞ではないが、かつて二千年前にイエスというひとりの男が次のような言葉を述べたという。
* * あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、あなたがたが、一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、そのときにあなたがたは、〔御国に〕入るであろう
(トマスによる福音書・22節)
差別、あるいは差異化についての覚え書き〈了〉 December.1998 ■ 差別、あるいは差異化についての覚え書き もどる