■037. 和歌山・新宮で「第4回 大逆事件サミット」に参加しアンモナイトについて思案する
2018.10.7
全国各地で大逆事件の犠牲者を顕彰・研究してこられた活動家の方々へ。わたしは何の肩書きも持たない平凡な一市民ですが、みなさんに提言をしたい。二年 前、わたしはひょんなことからみなさんの活動を知り、大阪・天満でのサミットにはじめて参加させていただきました。そして大いなる刺激と共に、大いなる失 望と苛立ちをもまた感じたものです。刺激はみなさんが半世紀に及ぶ長きにわたって地道に、粘り強く、そしてきっと何ものかに抗いながら継続してきたものに 対して。そして失望と苛立ちはその旅路の果てにみなさんがいま充足して立っておられる枯山水の庭園に対して。わたしはこの国の「歴史における実時間」に生 きる平凡な一市民として、いまから百年前に冷たい処刑場で縊られ、あるいは暗い独房でみずからを縊った者たちのさびしい、頚椎のまさに折れる音、その瞬間 に無数の小さな泡のように無辺へ弾けとんだかれらひとりびとりの想念に思いを馳せ、それはいま此処なのだ、まさにこの時間なのだと感じながら、うめきたい 気持ちで、それらをわが身に呑み込もうとしてもだえます。みなさんもかつては、そうだったに違いない。そういうのっぴきならない、ひりひりとした皮膚感覚 と共に始められたのだろうと、わたしは思います。けれども二年前の大阪と今回の新宮と、二度のサミットの末席に座らせていただいてわたしが見たものは、熱 い蒸気をもうもうとあげていた薬缶の中身がすでにぬるま湯となり、「やあ、お元気でしたか」「なんとおひさしぶりで」と言った会話がもてなしの酒で赤らん だ顔と顔の間でのどかに行きかう年に一度の同窓会の風情でした。怒りが、足りない。縊られ、へし折られる音が聞こえない。そう語ることは不遜でしょうか。 今回のサミットに参加するために、わたしは前の晩に仕事を終えてから、暗い熊野の山道を延々と車を奈良から走らせてきました。そうまでして得たいものが あったわけですが、それは残念ながらあまり満たされることはありませんでした。形ばかりの講演と、形骸化した報告と、みなさんの和やかな同窓会をはたから 眺めていただけです。大逆事件サミットと平行してここ数年、わたしは戦前の朝鮮人に対するこの国の残虐な行為を糾弾する在日の人々の集まりにも幾度か出席 してきましたが、まだかれらにはもう少しひりひりする怒りがありました。それはいまもかれらが「在日」という容易にぬぐえぬくびきを負っているからなのか も知れません。甲府で宮下太吉の墓が無縁仏として整理対象になっている、という報告がありました。わたしもいま地元の大和郡山でやはり百年前に死んだ紡績 工場の女工たちの名が記された過去帳と、かつて河口慧海とも親交があった地元の名物教師の無縁墓を後世に残したいと、役所の教育委員会などに話を持って いっていますが、人間としての愛と知識に欠けるかれらには一片の興味さえ湧いてこないようです。百年という歳月に思いを馳せるとき、ひとつの象徴的なサイ クルとして墓場の整理というものも回ってきているのだろうと思われます。そして失礼ながら、半世紀を絶え間なく歩んできたみなさん自身がいま、 宮下太吉の墓石と同じなのだと思うのです。墓石を保存するか整理するかは、墓石自身であるみなさんには決められない。奈良盆地ではかつて海軍の飛行場建設 の地に強制的に連れてこられた朝鮮人女性の慰安婦たちがいたと記された案内板が近年になって市の判断で撤去されました。みなさんが懸命の思いで全国各地に 建てた顕彰碑も将来、どうなるかは分からない。みなさんは次の世代へ継いでいかなくてはいけない。みなさんが積み上げてきたものをある意味、手放していか なければいけない。すこしづつ、「かれら」へ。みなさんという無縁墓をどうするかは、「かれら」でなければ決められない。だからみなさんは、みずからの手 で積み上げてきたあらゆるものを手放していかなければいけない。引き渡していかなければならない。みなさんの長い旅路の果てがちいさな閉じられた円として 完結してしまう前に、全方向に開放して明け渡していかなければいけない。なぜなら、みなさんが顕彰・研究してきたその成果は、みなさんのものではないから です。それは次の世代を担っていくこの国の見知らぬ「かれら」のものです。そこで何の肩書きも持たない平凡な一市民のわたしは、今後のサミットについてみ なさんに勝手な提言をしたい。まずは、若い年齢層をもっと取り込む必要があります。40代、50代でもまだ駄目だ。20代、ことによっては中学生や高校生 たちを招いたっていい。みなさんの言葉はいじめやスクール・カーストなどのシビアな世界で生き抜いている中高生たちに果たして届くだろうか。どんな対話が 成り立つだろうか。上から下へおろすのではない、相互の対話として。中高生のかれらから新しい視点を授かることもたくさんあるに違いない。そもそもサミッ トのスケジュールすらネット上で見つけることが難しい。ろくなホームページすらない。これで若い世代の目にとまるわけがない。SNSでもなんでも利用して もっと積極的に若い世代に発信するべきではないか。基調講演についていえば、40〜50分の枠を三つくらい。ひとつは大逆事件に関する内容の濃い発表。あ とのふたつは大逆事件そのものではないが現在につらなる発表。嶽本さんが触れていた横浜事件でもいいし、かつてのオウム信徒たちの話だっていい。大石誠之 助や高木顕明たちが大逆事件で有罪となったとき、残された遺族はこの新宮の町でどのような扱いを受けたのか。そのときの新宮の町といまの新宮の町はまった く違うのかおなじなのか。大逆事件はそんなふうに粘菌のように、いまもわたしたちのふつうの日常にひろがり増殖しているはずです。それがいまの「歴史にお ける実時間」のなかでかれらを思うとき、百年後のわたしがひりひりと火傷のように皮膚が痛む理由です。基調講演の三つの枠はそのように、お互いがそれぞれ の菌糸を伸ばし、暗がりを食い合うようなものであった方がよい。活動報告は特筆すべきものだけとする。どうせこれからお悔やみの報告が多くなる。そしてそ んな時間よりも、懇親会のときもいろいろな肩書きや経歴を持った方々が前に呼ばれて喋っていたけれど、それよりもこれからは例えばわたしのようなはじめて 顔を見る新参者、どこの誰か素性の分からぬ者、誰も知り合いがいないのにこのサミットにのこのこやってきた者、そうした者たちに前へ出て、ひとりづつ喋っ てもらった方がいい。なぜここへやってきたのか、どんな思いを抱いてきたのか、ここへ来てなにを感じたのか。みなさんは一歩も百歩もさがって見知らぬ「か れら」の話をだまって聞く。そうして懇親会の席はシャッフルする。おなじ匂いの者同士で群れない。80歳の爺さんは中学生と喋り、大学教授は自転車で日本 一周を目指している正体不明の若者と相席し、仏教者はクルド難民と語り、市長は浮浪者と抱き合い、脚本家はアイドルおたくと激論を交わし、政治学者は不登 校児と杯を交わす。もちろん、それぞれの大逆事件についての思いを語るのだ。政治や組織や団体や肩書きは持ち込まない。名刺などいらない。だれかの立場で なく、じぶんの孤独な言葉で喋ったらいい。絞首台の前の孤立無援のはだかの個として語り合うのだ。いやあ、いいサミットだなあ。そうしてみなさんはいつか 整理対象の墓石になる。あのとき熱く語り合ったアイドルおたくの息子があなたの墓石を保存してくれるかも知れない。あなたの残した研究や思いと共に。これ がわたしからの真面目な提言です。如何でしょうか。ぜひご検討ください。
2018.10.9