いつも、孕んでいるものは、何気ないものだ。草いきれで充ちた夏草のしげみ、木立のおくのぼんやりとした空間、影のはりついた足もとの地
面、殉教者たちのようにあるいはなんの意図もたくらみもなくひろげられからみあった枝や葉、古い伝承をたたえた水辺、マッチ棒のような電信柱、石と空。風
がわたっていく。どこにでもあるような場所だけれど、いま、ここにしかない。ひとが足をとめると、植物たちがざわめき、木立はひめごとを語り出し、水面は
しんとはりつめる。いつも、孕んでいるものは、何気ないもので、何気ない場所だ。「小姓ヶ淵」と題された作品の前を、娘はながいことうごかなかった。画家
はもう5年ほど、この絵をいじりつづけていると云う。『日本書紀』による推古天皇27年(619年)4月のくだり、「蒲生河に物有り。その形人の如し」。
殺された「人の如し物」は、はたして異形の漂泊者であったか。ひとがふたたびあるきだすと、モノは息をひそめて、ひとの一挙手一投足を注視する。
※ galleryサラ 福山敬之展「静かな風景」
2022.6.18