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■113. 金子文子「何が私をこうさせたか」を読む (2022.1.14)
金子文子の遺体が仮埋葬された栃木の合戦場墓地の現在
おそろしいほどの沈黙に凍りついた深夜の無縁墓地の地中で百年前の腐爛屍体が語るのを耳にするやうだ。国家によってあらゆるこの世の股の間からひりだされ
た悪意によってわずか22年6カ月のいのちみずからを縊らねばならなかった金子文子が獄中で記した大部の自伝的独白「何が私をこうさせたか」を読みながら
わたしはそう感じて仕方ない。遺骨は朝鮮半島へと運ばれたが刑務所担当官によって地下4尺の湿地土中に埋められた彼女の腐爛屍体はこの国の大地の薄暗
い地下茎に在って水でぶよぶよにふくれあがった唇を突き出していまも物語っているのだその涅槃経のようなつぶやきが聞こえるか。彼女が語る幼年期からのじ
つに微に入り細に入りの豊かな回想はわたしに百年の歳月を忘れさせまた彼女が百年前に縊れて死んだことすらも忘れさせる。2022年のしみったれた冬を生
きるわたしの耳元で彼女は髑髏(しゃれこうべ)になったりさみしい瞳を持った少女になったりまた土中の腐爛屍体になったりとさまざまに変化するのだ実際そ
れが不思議でならない。時がひとを隔てるというのはまやかしであってわたしは百年前に死んだ彼女と実際会話しているのではないか互いにきれいな白装束で背
と背をあわせ腰をおろした三途の河原のような異界で。わたしたちはあれからずっと別れたきりだった遠い世紀を。「無籍のものとはな、いいかい。無籍者とは
生れていて生まれていないことなんだよ」 つめたい股の間からひりだされた悪意にそう言われてわずか10歳の彼女は抗うのだこの世のすべての悪意に生れて
いて生まれないことだと言ってもわたしは生れて生きていたのだと。彼女がいまも腐爛屍体としてこの国の土中にいるのならわたしも腐爛屍体となって物語ろ
うと思ふ。彼女が百年前を生れて生きているのだとすればわたしは百年後を死んで死にゆきながら語るのだきれいな骨にもならずきっとそうしてやる。たれかそ
れを聞け死者であっても生者であっても生首であっても良い。
2022.1.14
*
金子文子「何が私をこうさせたか」を読了する。獄中記とあって当初は薄っぺらな、勿体ぶった主義主張をちりばめた文章を勝手に予想していたのだが、もっと
いじましくピュアでまっすぐな、そしてさしずめ宝島や巌窟王を読んでいるかのような読み心地であった。父親が籍を入れなかったために「無籍者」として両親
から棄て
られた彼女は、横浜、浜松、山梨、朝鮮半島と親類の家々をたらいまわしにされ、小学校すら満足に通わせてもらえず、酷使され、差別され、その絶対の不条理
を耐え忍びながら、まさに底辺の生活をこ
ろがりつづけるわけだが、そのなかで肉親や教師や寺の坊主や商人を通して世の中の欺瞞、搾取、弱肉強食と愛のない糞ったれの社会システムを自覚してい
く。彼女は記している。
実際私はこの頃、それを考えているのだった。一切の望みに燃えた私は、苦学をして偉い人間になるのを唯一の目標としていた。が、私は今、はっきりとわかっ
た。今の世では、苦学なんかして偉い人間になれるはずはないということを。いや、そればかりではない。いうところの偉い人間なんてほどくだらないものはな
いということを。人々から偉いといわれることに何の値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければなら
ないのではないか。私は私自身でなければならぬ。
私はあまりに多く他人の奴隷となりす
ぎていた。余りにも多く男のおもちゃにされてきた。私は私自身を生きていなかった。
私は私自身の仕事をしなければなら
ぬ。そうだ、私自身の仕事をだ。しかし、その私自身とは何であるか。私はそれを知りたい。知ってそれを実行してみたい。
1922(大正11)年、19歳の頃の描写である。そして運命の朴烈と出会った彼女は、こう記す。
何ものか私の心の中で跪(もが)いていた。何ものか私の心
の中に生まれていた。
彼のうちに働いているものは何であろ
う。あんなに彼を力強くするものは何であろう。私はそれを見出したかった。それを我がものとしたかった。
――そうだ、私の探しているもの、私
のしたがっている仕事、それはたしかに彼の中に在る。彼こそ私の探しているものだ。彼こそ私の仕事を持っている。
待って下さい。もう少しです。私が学校を出たら私達はすぐに一緒になりましょう。その時は、私はいつもあなたについていきます。決してあなたを病気なん
かで苦しませはしません。死ぬるなら一緒に死にましょう。私達は共に生きて共に死にましょう。
短い生涯のほとんどを屈辱に耐え忍びながら最後の数年、彼女がようやくじぶん自身を見出し、朴烈と出会い、朝鮮人や日本人の若者たちとさまざまな活動を始
めた東京での日々は、きっとめくるめくような愉しい時間であったろうと思う。そして刑務所の中にあっても朴烈と正式に夫婦となり仕合せだったかも知れな
い。死刑判決から「恩赦」により無期懲役に減じられ、それぞれ別々の刑務所へ移管されてもう二度と会うこともないというゆるぎない現実が彼女に死を選ばせ
たのか。彼女の死については、独房のなかで「麻糸をよったひも」で首をくくったと記述されている。手記の中で彼女自身が記しているが、幼少期に彼女の母は
麻糸をつなぐ内職をしていた。いまわのときに彼女はそんな、じぶんが幼かった頃の母の姿を麻糸をよりながら思い浮かべただろうか。
わ
ずか23歳で自死した金子文子について、わたしは何故となくシモーヌ・ヴェイユの影を重ねてみる。頭でっかちの主義や理屈ではない。曇ることのない伸びや
かな魂が自由をもとめて羽ばたいたとき、肉を経由して精神はこのような直截で豊かなことばを紡ぎ出すのだ。1922(大正11)年の帝都にあって、わたし
は朴烈のような「犬ころ」でありたかった。そして彼女と出会いたかった。彼女のいじましくピュアでまっすぐな肉を抱きしめたかった。彼女を地下4尺の湿地
土中に埋められた腐爛屍体とさせたこの国の鵺をはげしく憎む。ぶよぶよに腐爛した彼女の肌に薔薇色の生気をとり戻してやりたい。
何が私をこうさせたか。私自身何もこれについては語らない
であろう。私はただ、私の半生の歴史をここにくりひろげればよかったのだ。心ある読者は、この記録によって充分これを知ってくれるであろう。私はそれを信
じる。
間もなく私は、この世から私の存在を
かき消されるであろう。しかし一切の現象は現象として滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思っている。
私は今平静な冷やかな心でこの粗雑な
記録の筆を擱く。私の愛するすべてのものの上に祝福あれ!
私は犬コロでございます
空を見てほえる
月を見てほえる
しがない私は犬コロでございます
位の高い両班の股から
熱いものがこぼれ落ちて私の体を濡らせば
私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる
私は犬コロでございます
(朴烈)
2022.1.16
*
本日の釣果。「金子文子・朴烈裁判記録」は全400頁強の半分をとりあえずコピーした。散見した程度だが金子文子・朴烈のほか、二人をとりまく肉親や友人
たちの調書、それに判事に宛てた手紙などもあって興味深い。一次資料であるこの貴重な記録はアナキズム団体「黒色戦線社」から出版されたものだが、古書で
もまったく出回っていない。「金子文子の東京生活」は彼女の最初にして最後の花開いた時期を当時の世相と共に追った小論で貴重。「新聞集成 大正編年史
大正15年度版(中)」には栃木の合戦場墓地に仮埋葬されたときの寒々しい墓標の写真があった。わたしは金子文子は、もし捕らえられずに生き続けていた
ら、いつか朴烈を追い越してかれの元を去ったのではないだろうかと思う。長い屈辱と忍耐の末に、まるで冬の凍てつく寒さに内なる蕾を用意していたその弾け
る瞬間に逝ってしまったのだ。雑誌「考古学」に収録された「山城木津惣墓墓標の研究」は先日訪ねた木津惣墓の古典的研究論考。雑誌「山林」収支の「日本筏
流技術の大陸進出」は明治39年に端を発した軍用木材廠に於ける和歌山からの筏師募集を記録する。わずか数ページだが「地学研究」に収められた「和歌山県
大勝鉱山、奈良県堂ヶ谷鉱山、および和歌山県大塔鉱山の近況」は、数少ない北山村四ノ川上流の大勝鉱山、そして紀州鉱山とおなじく石原産業による北山鉱山
の様子や写真を載せている。ふだんPCで調べ物をしていて、国会図書館や県立図書館で入手できそうなものは資料情報をプリントして「図書館のクリアファイ
ル」に放り込んでおいて、まとめて持って行く。今日はコピー代で三千円以上も使ってしまった。夕方に帰ってからニトリでクッションを買いたいという母を乗
せて、つれあいと三人でニトリ〜イオンモールの買い物。駐車場から見た夕陽の空がきれいだった。
2022.1.18
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