107. 映画「MINAMATA」

体感する

 

 

■107. 映画「MINAMATA」 (2021.10.5)





  
 
  まっすぐな映画だ。映画のなかでユージンが言う――写真は撮る者の魂の一部も奪い去る。つまり写真家は無傷ではいられない。撮るからには本気で撮れ。何万 キロも離れた安全地帯で送られてくる記事をコピペするだけでは分からない真実があるんだよ。つまり、ひとを刺せば返り血を浴びる距離、だ。あるいは、保険 の効かないやつの前歯をへしおってやるというような覚悟、だ。表現者は饐えた悪臭を嗅ぎ、酸い血を味わい、痛みに呻かなければならない。「これら写真の中 の人々が私の家族でありえたから・・・・ そして私の娘が、妻が、母が、息子が・・・・ 苦しめられてゆがむ他人種の人々の顔に映し出されるのを見た。生 まれの偶然、故郷の偶然・・・・ 戦争へと至る人間の腐敗のいまいましさよ! 血まみれとなって死にゆく子どもらを我が腕に抱くその一刻一刻、その子の生 命は溢れ出し、私のシャツを通って、燃え上がる憎悪で私の心を焼き尽くした・・・・ あの子は私の子どもだったのだ」 おれはもっと入って行かなくてはい けないなゲートの向こう側権力が剥き出しの棒切れや靴の爪先でおれの白々した骨を蹴り上げる場所まで。この映画で「MINAMATA」は二度目の 「MINAMATA」となった。一度目は1975年、ユージン・スミスとアイリーンによって。そして2021年、ジョニー・デップと監督のアンドルー・レ ヴィタスによって。「MINAMATA」はまだいちども「水俣」にはなっていない。「FUKUSHIMA」がいまだ「福島」にならないように。これは日本 人であるわたしたち全員の恥だろうな。「MINAMATA」は世界へ拡散する、日本の現在のあらゆる恥部へ拡散する。「MINAMATA」が「水俣」にな る日まで。真田広之演じるヤマザキが勝利判決の直後に演説する姿はまるで「太平洋食堂」の大石誠之助のようだった。「この明治42年が此の世の終わりでな い限り、この先も失敗、敗北が繰り返される。だが負けて、負け続けて、いつかは正義が来る。勝てなくても前に進まなくては! ただ、声を上げる、その瞬 間、瞬間にだけは、我々は刹那の勝利を手に入れる、それだけは誇れるはずや」 その瞬間、1973年3月の水俣病第一次訴訟の勝利は1911(明治44) 年の大石誠之助らの死刑執行につながる「無情な時間に抗うように」。1971年、東京の小田急百貨店で催されたユージン・スミスの回顧展のタイトルは Let Truth Be The Prejudice ――真実(Truth)を先入観(Prejudice)としよう、だった。おれは10代のガキの頃からディランのこんな曲の一節が好きだった。But to live outside the law, you must be honest (だが法の外で暮らすには、誠実でなきゃならない)。真実を先入観とするためには、ちっとばかし根性と覚悟が要るってことだ。この映画はそのことについて も語っている。

2021.10.5

 

 

体感する