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■106. 石川県野々市市 ルンパルンパ 大西茅布 初個展「Requicoros Gravel mass」 (2021.6.20)
出張先の宿から金沢陸軍墓地までグーグルマップの上でおよそ十キロの直線を引くとそのギャラリーはちょうど線上の中間あたりに位置した。この世では熱望を
しながらも容易にたどり着けない場所もあればぽとりと樹の間から足もとに落ちてくる花弁もある。ぶらぶらと歩きはじめた足もとは水流の豊かな北陸の鄙びた
集落からやがて交通量の多い幹線道路へと変わっていった。CHIFU ONISHI Requicoros Gravel
mass のパンフが貼られたウィンドウに画廊主の足が見え、上の方から声がする。すみませんねえ、ちょっとこのシェードが調子わるくって。どうぞ、お入
りください。最年少の18歳で岡本太郎賞の大賞に輝いた《レクイコロス》は「レクイエム」と「コロナウイルス」を組み合わせた造語で、「コロナの悲惨さの
みならず、なにか運命的なものに殺された人々の、怨嗟を合唱するためにつくった作品」だという。のっけから、画面いっぱいに描かれたモノたちの迫力に圧倒
される。描かれたモノたちはどれも異形だ。まるで世の常識などはお構いなしで生まれ落ちた姿かたちそのままを隠そうともしない。異形のモノたちは、だが不
思議にどれもなつかしい。話好きの画廊主がこれが彼女の原点でありこの作品はだれにも売らないのだと説明してくれた15歳のときの大作があった。悪魔のよ
うなローマ法王が描かれ、民衆を虐殺したナタを持ったアフリカの大統領が描かれ、アメリカの有名な殺人鬼が描かれ、その画面のすみのほうで干からびた胎児
のようなモノがコトバを奪われた口をあけている。音もなく、乾いた世界。それに比べて数年後の《レクイコロス》の一連の作品群に登場するモノたちには「水
分」がある。姿かたちは異形だが、細胞はいのちに満たされている。かれらが異形であるのはわたしたちがかれらの存在を黙殺してきたからだ。排除された無意
識の側溝の奥底のどろどろとした暗がりから作家はこれら異形のモノたち・見棄てられた存在たちを拾いあげて肯定している。けっして気持ちのいい景色ではな
いのに嫌な気持ちにならず、逆に深い懐かしみやぬくもりすらも感じるのはそのせいだ。これらを受けとめ、肯定するには、どれだけのものと格闘しなければな
らなかったろうか。矢は「下から」、おのれの精神の深みから放たれる。わたしがいちばん好きだったのは人間の胎児に授乳する猿や暗渠の水面に横たわる女性
などを描いた4連の作品だった。画廊主はそれがいちばんあたらしい作品だと教えてくれた。異形のモノたちは動き始めている。水(いのち)がたっぷりとあ
る。異形なるモノたちの聖なる行進はカラフルで、アンディ・ウォ―ホルのようにポップだ。かれらのすすむ先へわたしもついて行きたいと思った。
(2021年6月20日、石川県野々市市のルンパルンパで大西茅布初個展を見た)
2021.7.1
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