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■099. NHK-BS「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」 (2020.12.28)
2020年の師走に、アフガンに半生を捧げた日本人医師の番組を見る(「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲
73年の軌跡〜」NHK-BS)。あのニューヨークのツインタワーにハイジャックされた旅客機が突っ込んだとき、そのもっと以前からかれは日本から何千キ
ロも離れたあの石だらけの大地でまともな医療さえない最底辺の人々と格闘していたのだ。そして復讐心に燃えたアメリカを主とする多国籍軍がその貧相なアフ
ガンの大地に爆弾を雨あられの如く降り注いでいたときも、やはりかれは米軍のヘリが飛び交うその真下でアフガンの人々を飢餓から救うための用水路をみずか
らショベルカーを操縦して掘削していた。そしてみずからの最愛の息子が病で死の淵にいるときも、かれは空爆や飢餓のためにおなじように死に瀕している多く
の「息子」たちのために駆けずり回っていた。そのかれが最後にたどりついたのは、奇しくも足尾銅山事件で消滅した谷中村のために半生を捧げた田中正造が心
した治水論であり水の思想であった。「治水は造るものにあらず。治とは自然を意味、水は低き地勢によれり。治の義を見れば明々たり」(1944年8月30
日日記)。みずから大地を削り、アフガンの人々とひとつひとつ石を運び、自然と格闘し汗したかれには、水によってこの世の本義が見えていたと言えるかもし
れない。「彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。彼らはいかめしい重装備、我々は埃だらけのシャツ一枚だ。彼らは暗く、我々は楽天的
である。彼らは死を恐れ、我々は与えられた生に感謝する。彼らは臆病で、我々は自若としている」(ペシャワール会報・2005年度を振り返って)。あの頃
(世界がテロとの戦いと称して世界でも最貧国のひとつだったアフガンを空爆していた頃)、わたしはフランスに住むじぶんより年長の日本人女性と長いメール
のやりとりをしていた。ある夜、彼女がアフガンの人々について書いてきた。「しかし、なんであそこの男たちはこんなに sexy
なのか? 何であんなに笑えるんだ? なんであそこの子供たちは本当の子供たちなんだ? なんでみんな詩を歌い上げるのだ? 体を張って生きているからだ
ね? 違うかな。 でも私たちはいったいどこに行こうとしているのか?」 わたしは彼女に請われて、オーデンの詩をひとつ苦心して訳した。
夜のもと、無防備に
ぼくらの世界は呆然と横たわっている。
それでも、 そこかしこで
光のアイロニックな粒が
どこであろうと、正しき者たちが
そのメッセージを取り交わすのを一瞬
浮かびあがらせる。
かれらとおなじように
灰とエロスからできているこのぼく、
おなじ否定と絶望に苛まれているこのぼくに
もしできることなら、
ひとつの肯定の炎を見せてやりたい。
(1939年9月1日 W.H.オーデン)
その世界はいまも変わらず継続している。むしろあの頃よりもっと大手をふって、堪えがたい腐臭を強めて。鋼鉄製の軍用ヘリが無言の暴力で威圧して頭上を飛
び交うその真下で、かれはシャツに貼りついた汗をぬぐい、大きな河原の石を人々と運び、そして水を浴びてわらう。人の一生などは一瞬だ。その一瞬のなかで
わたしたちは一瞬を超える価値をときに手にする。2020.12.28
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