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■088. 大阪・八尾 『よろぼし〜手湯と草〜』を YouTubeで見る (2020.7.9)
「草、やめようか。かなしみがちかよってくる」 俊徳丸の出自とつたわる大阪・八尾の山畑で野外上演されたなかええみさんのライブ・パフォーマンス
『よろぼし〜手湯と草〜』を YouTube
で見た。草とはたとえば中上健次が書いた、風になぶられ、腹と腹をこすりあい、日にさらされて、がらんどうのような身体のなかでふるえ、光とまじり共鳴す
る草の茎や葉や地面とおなじか、と思った。これもいつであったか、ある寒い冬の夜に、四天王寺西門の黒光りする参道の地べたにこうべをつけて横たわってみ
た。掃き溜めのように、かつてここにあつまった無数の癩者、乞食、非人、転びキリシタンたちの手触りや吐息や饐えたような体臭がぬらりとした地面から音も
なくわきあがってくる。あれらもまた、草であったか。無数の草のいのちであったか。「草はいのち。(薬草が)効かないのは、あなたのせいだ。草ではない」
とよろぼし(弱法師)は最後に抗う。「もう、見えているだろ。見たものを、放っておくのか。悲しみを、放っておくのか」 最後に目隠しをはずしたよろぼし
の目に見えたものは、がらんどうのなかでふるえ、草木とこすれあって音を奏でるじぶん自身であったろうか。奇しくも二年前、仕事帰りに途中下車をしてさみ
しい夜の町を抜けたどりついた、まるで町はずれのサーカスのような八尾・常光寺の境内でまぼろしの如く聴いた流し節・正調河内音頭はこのよろぼし、俊徳丸
を物語っていた。「さては一座の皆様よ ちょいと出ました私が 詠みも上げます段の儀は 河内の國で名も高い 高安郡は山畑の 二代長者は信吉の
三代世を取る俊徳が 真の母にと死に別れ 後妻おすわの手に斯かり 継子虐めに遭うと云う 苦心談をば詠み上げる さても此の時おすわめが
重ね箪笥の中よりも 用意の白無垢取り出して 綸子の丸帯締めまして 五寸鏡を胸に当て 見つけられては一大事と 裏の潜りを抜けて出る
急げば間も無く早いもの 春日の森にと相成れば 一の鳥居や二の鳥居 三の鳥居も潜ってぞ 両の手仕えて春日様 今宵そなたに参りしは
おすわの願いで御座居ます おすわの願いと申するは 憎さも憎いのは前の嫁 産み残したる俊徳が 今年五つに成りまする 刃物で殺せば傷が付く
あなたのお力借り受けて 祈り殺して下されや 此の願叶た暁は 石の灯籠を千建てる青銅灯籠千建てる 銅灯籠千建てる 三千灯籠建てまする
此れでも願いが通らねば…」 ああ、俊徳丸の出自とつたわる大阪・八尾の山畑の風になぶられてこの舞台をあじわいたかった。
2020.7.9
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