078. 映画プロデューサー・監督の 貞末 麻哉子氏との対話

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■078. 映画プロデューサー・監督の 貞末 麻哉子氏との対話 (2019.5.11)

 


「山襞の叫び」のフィルムを埋めた粥仁田峠の地蔵

 
 「シャルロット すさび」の岩名監督が紹介してくれた秩父困民党を描いた映画「草の乱」(神山征二郎監督)をきっかけに始まった、映画プロデューサーの 貞末さんとの対話が何やらコメントで埋もれさせてしまうのはもったいないような内容だったので、ここに別途再録して保存しておく。「たまたま秩父を散策し ていたら、秩父事件困民党の無念の思いが自分の肩に乗った」渡辺 生さんの思いがこんどはわたしの肩に乗ったのかも知れないなぞとうそぶきながら。永遠に失われてしまった8mmフィルムはわたしたちにもういちど撮り直せ と言っているようだ。粥新田峠の地蔵をわたしはいつかきっと訪ねるだろう。

 

  「シャルロット すさび」の岩名監督のTLから。  「神山征二郎監督の「草の乱」が期間限定のユウチューブで現在見られます。是非この機会に! 「草の 乱」はご存知かと思いますが今から140年ほど前に起こった秩父困民党による一斉蜂起(農民たちは「革命」と言っています)を描いた力作です。 この映画 を見ると時代が変わったとはいえ、いかに権力構造が強固に人々を弾圧/差別してきたかがよくわかります。薩長政府権力の横暴、高利貸の擁護、司法との結 託、軍事費調達のための容赦ない税の強制など、まさに今の日本社会を彷彿とさせます。違うのは現在の人々が全く「動かない」ことです。140年前の農民た ちも決して英雄ではありません。権力の暴力/搾取におののき、それでも戦ったのです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」がいわば権力側から明治を見たとしたら 「草の乱」はまさしく地べたに這いつくばった人々の「抗いのアングル」で明治を描いています。多分伊藤博文や山県有朋の実像はこの映画の描写の方に’より リアリティ’があるのでしょう。(画像に多少問題がありますがそれでもご覧になりたい方は是非!)
https://www.youtube.com/watch?v=oRHEtySO3q8&list=PLQim8m606m2v4B9Z_RBVby4i0ZgZIXZw7&index=379&fbclid=IwAR1S_BaytA3yKZ7QdICKbA-F4sTDB41LxoG9Q7Yv-9WKGimq-vlMaZUozHQ

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貞末さん「貴重すぎ」

わたし「とりあえず裏DLしてまだ見てませんが、こういう映画はいまつくっても上映してくれるところがないでしょうね・・」

貞 末さん「「草の乱」俳優陣も素晴らしいですね。編集の手が思わず止まってしまいました。秩父事件に関する劇映画はほんとうにめずらしいと思っていましたの で、見ることができてよかったです。 拙作の照明技師だった渡辺 生さん(故人)という方が、ドキュメンタリー作品で、40年ほど前、「秩父事件 山襞の叫び」という映画を8mmで制作されました。ひとりで秩父の山々を8mmキャメラを担いで撮影して制作されたものです。 ナレーションは佐藤英夫さ んで、わたしは上映のお手伝いをさせていただいたのですが、制作者のたいへん深い想いと情熱を賭けた作品でした。撮ることになったきっかけは、たまたま秩 父を散策していたら、秩父事件困民党の無念の思いが自分の肩に乗ったのだと話しておられました。 そこから私費を投じて、こつこつと数年かけて渡辺さんは この映画を完成されたのです。生さん齢60歳の頃です。 主には事件の詳細を、秩父の山々を歩きながら記録してゆく手法でしたが、制作者がとらえようとす る困民党の情念が写っているようで、見応えのある作品でした。 まさにそれは「不在」を追う作業だったのだと思います。
 「不在」現在にもいろいろな意味で大きなテーマではないかとわたしは考えています。 もう観ることができないのが残念です。 それと、その渡辺さんが、 秩父事件の重要な地である粥新田峠にお地蔵さんを建てられているのです。主には渡辺さんが、自分の撮影したフィルムに写った(ていると思われる)霊を供養 するために建てられたものです。 ここにも実は深い「不在」のテーマが隠れています。 秩父事件について詳しい方にはわりとよく知られているお地蔵様なの ですが、フィルム供養の地蔵としては一部の映画人にしか知られていないと思います。」

貞末さん「粥仁田峠(現在は粥新田峠)地蔵建立碑」
https://www.google.co.jp/maps/place/粥新田峠/@36.0424151,139.1542144,15z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x601ecf15149bcd57:0xcbd4637574ec3698!2z57Kl5paw55Sw5bOg!8m2!3d36.042732!4d139.154713!3m4!1s0x601ecf15149bcd57:0xcbd4637574ec3698!8m2!3d36.042732!4d139.154713

わたし「「たまたま秩父を散策していたら」肩に乗った。渡辺氏のフィルム、見たいです。もうどうにも見れないんでしょうか?」

貞末さん「残念ですよね。見られないです。おそらく不可能だと思います。8mmはすでに世に一本しか完成できないものなのです(デュープというのですが、いわゆるコピーが作れない)16mmだったらまだ可能性があったのですが。」

わたし「唯一のその8mmが損失されてしまった、ということですね。」

貞末さん「損失はしなかったと思うのですが、度重なる映写会でフィルムはボロボロでした。おそらく故人が処分されずに保管されていたと思うのですが、わたしたちが故人宅におじゃましたときには、フィルムはありませんでした。」

わたし「映画に使わなかったフィルムをこの峠の地蔵の下に埋めたと書いてますね。それだけが残されたわけですね。永遠に日の目を見ることもないでしょうが。」

貞 末さん「この場所に、フィルム供養のお地蔵さんがあることを知る者もそう何人もいないのです。なので、生さんが亡くなったとき「山襞の叫び」をここに埋め られないかと思ってフィルムを探したのです。 8mmなのに、当時きちんと16mmフィルムのケースに入れて、生さんが保管されていましたから。 それが 見つからなかったときはがっかりしましたが、もしかしたら生さんがご自身でここに本篇フィルムの一部を埋めて(すでにお地蔵さんの完成時にNGフィルムを 埋めていたので)処分されたのだろうと思いました。 埋まっていたとしても、フィルムの一部がということだと思います。」

わたし「だれかが遺志を継いで撮りなおすということですかね。紡績女工の無縁墓などを追いかけてばかりのわたしにはこの渡辺さんの思いはひとしお迫ってきます。いまお話をきいただけで。「不在」の穴ぼこを埋めたいと願ったんです、きっと。いや〜 見たかったな・・」

貞 末さん「會田さんに、この話しをいつかしたいとわたし、思っていたのですよ。チャンスがあってよかったです。わたしは当時、こうした映画を上映できるス ペース(自主上映会場)を持っていましたので、生さんのこの映画を毎週土曜日数年間、上映し続けました。 それで生さんとはすっかり仲良くなって、やがて 映画作りを一緒にする仲間となっていただいたのです。 で、上映する際に、映画のパンフレットを制作しました。(もちろん手書きのパンフレットです)探せ ばどこかから一部くらいは出てくるのではないかと思うのですが。 出てきたら見ていただけるようにしますね。 いろんな意味での「不在」の穴ぼこ、これを 埋めていかねばならない使命をわたしも背負っているのだと思っています。 いや〜 お見せしたかったです。 わたしの中でもすでに40年前の記憶でしかな い「不在」の映画なのですが。」

わたし「そうか! すみません、うっかり。貞末さんの「老いて生きる」の渡辺生さん、ですね!ここに出てきますね、映画作りの話も。うっかりしていて、いま気が付きました(^^)」
http://sharaku.sugoihp.com/shosan.html

貞 末さん「そうですそうです。「おてんとうさまがほしい」と「風流れるままに」はわたしが制作しましたので、ご覧になっていただくことができます。たぶん 「おてんとうさまがほしい」は、「不在」をテーマに語ったらとんでもない作品です。見ていただける機会をつくりたいです。こちらのURLでご覧ください
http://www.motherbird.net/~otentousama/

わ たし「「鉱山の足跡」などの他のフィルムももう見れないんですね。思えばわたしの家が北茨城に引っ越して、たまに日立の本屋やレコード屋なんかに立ち寄っ ている頃、渡辺生さんは近くにおられたんですね。あるいは日立駅あたりですれ違ったこともあったかも。 貞末さんが撮られた二作、いつか拝見したいです。 きっと「散歩していて肩に乗っかった」人の生きざまが描かれているんだろうと思います。映画は見れなくても。」

貞 末さん「折に触れて山々や史実を追って歩かれ、忘れ去られた無縁墓や碑にさまざまな「不在」を探されている會田さんの投稿を読ませていただくと、いつも生 さんの姿が思い出されていました。 生さんも秩父の山々を歩くようになったのはちょうど、會田さんの年齢くらいでした。 こつこつと時間を見つけては秩父 を訪ね、肩にその使命を背負って以来、史実を追って村に当時まだ住んでおられた困民党の遺族の方などとも訪ねて、多数関係をつくっていかれました。 その 方たちとの関係からお地蔵様が建立されることになっていきました。 粥仁田地蔵の開眼供養のときは、粥仁田峠の道ばたに案山子をたくさん飾り建てて、村の 衆が総出で建立を祝っておられました。わたしたちはその後も幾度か訪ねているのですが、お地蔵様の建立祝いが何年後かまで度々あって、生さんについてゆく と、村の方のお宅におじゃまして、さんざんごちそうになったものです。その桃源郷のような山の居住まいの美しさが忘れられません。 生さんは「自分は小学 校しか出ていないのでフィルムを使って表現するしか方法がないんだ」とよく話しておられましたが、會田さんは類い希な筆力をお持ちです。 多くの史実が時 間に隠されてしまった「不在」の穴ぼこを、ぜひ埋めてください。それができる方はそうそういませんので。 そんな生さんのお話ができて、今回はそれだけで もほんとうに財産です。生さんのことを知ってくださってありがとうございました。映画みていただけるようにします。少々お時間ください。」

◆秩父事件を追ってF 粥仁田峠
https://blogs.yahoo.co.jp/nonki_harumi/10043157.html

◆渡辺 生(しょう)さんの 横顔
http://www.motherbird.net/~kaze/_info/syousan.html

2019.5.11

 

 

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