■体感する
■077. 大阪・九条シネ・ヌーヴォ 岩名雅記監督「シャルロット すさび」 (2019.4.1)
2019.4.1
新「元号」の発表が黄沙の如くこの列島に舞い狂った翌日。大阪駅前第三ビルのいきつけの店で450円の鶏カツ丼をつついているとテレビが昨日の映像を流
し出した。街の広場を埋め尽くす有象無象の鵺のような群れが押しあいへし合いしながら必死の形相で号外に手を伸ばしている。くしゃくしゃになった紙面を伸
ばした号外を誇らしげにかかげ「時代の大事な記念だから、もらえてほんとうによかった」と興奮気味に若者が語る。わたしはまるで反吐が出そうになる。沖縄
で人々の希望が圧殺され、フクシマで土地と人間がゴミのように棄てられ、入国管理局で留学研修生たちの現場でいのちが消しゴムのように消され、密室の中で
国家によって殺人が行われ精神病者が断種され、100万もの人間がひきこもり毎年万単位の自殺者が出るこの国で、この空虚なさながらテーマパークのパレー
ドのような明るいさわぎにまといつく熱狂はいったい何だろうか。わたしの胃は目の前のテレビの映像を呑みこむことを拒否する。異物として吐き戻すだろう地
面にぶちまけたそれらをわたしは絶望的にながめ苛立つだろう。だれかこのおれに「チョーセン野郎はとっとと国に帰りやがれ」と言ってくれないか。じぶんが
生まれそだった国のはずなのに、まるで見知らぬ国のように思える。スタンレー・ブラザーズの The Rank Stranger To Me
でも歌おうか。「ともだちを探したが 見つけられなかった / まったく見知らぬ人々ばかりだった / いつか佳き日に 天国でみんなに会うだろう /
そこでは わたしを知らぬ人は誰もいないだろう」
前日。松島新地にちかい大阪・九条のシネ・ヌーヴォ前の喫茶店で、上映を終えたばかりの「シャルロット すさび」の岩名監督から「あなたの思想形成につい
ておしえて欲しい」と言われたけれど、うまく喋れなかった。まあもともと、喋るような内容もないのだ。 (中断)
2019.4.4
(岩名雅記監督へ 私信)
おつかれさまでした。監督にお話したいと思っていて言い忘れたことがひとつ、ありました。アメリカがアフガニスタンの地を蹂躙していた頃、ある日わたしは フランスに住む見知らぬ日本人女性(たぶんわたしよりも年上の)から一通のメールを受け取りました(当時はSNSはなかったので)。彼女はわたしがネット 上にアップしていたディランの曲(Masters Of War)の訳詞を見たようで、当時彼女が翻訳をしていたアメリカの月刊誌(The Progressive)に乗っていたオーデンの詩“1939年9月1日”を「あなたならどんなふうに訳すのか、見てみたい」というものでした。それから わたしたちはメールでたくさんのやりとりを交わしました。ある日、彼女はアフガンの男たちについて、こんなことを書いてきました。
体を張って生きているからだね? 違うかな。
でも私たちはいったいどこに行こうとしているのか?
最後の頃に彼女は、(ひょっとしたら酔っ払っていたのかも知れませんが)じぶんの携帯電話の番号を送ってきて、フランスに会いに来て欲しい、どこどこ駅に
着いたらここに電話して欲しい、と書いてきました。わたしは返事を書きませんでした。娘がまだ生まれたばかりだったもので(^^) 彼女とはそれきりにな
りました。
彼女から依頼を受けて、辞書を片手に必死になって訳したオーデンの詩をときどき思い出します。拙い訳ですが、監督の「シャルロット すさび」がオーデンのいう「光のアイロニックな粒」となって人々の心を照らし出すことを祈念しております。
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夜のもと、無防備に
ぼくらの世界は呆然と横たわっている。
それでも、
そこかしこで
光のアイロニックな粒が
どこであろうと、正しき者たちが
そのメッセージを取り交わすのを一瞬
浮かびあがらせる。
かれらとおなじように
灰とエロスからできているこのぼく、
おなじ否定と絶望に苛まれているこのぼくに
もしできることなら、
ひとつの肯定の炎を見せてやりたい。
2019.4.5
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