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■069. 三重県総合博物館MieMu 「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎 ―見る、集める、伝える―」 (2018.9.25)
名古屋での同僚の送別会がてらに立ち寄った津の三重県総合博物館MieMu(みえむ)で見た企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎 ―見る、集
める、伝える―」はじつに圧倒された。「軽くお茶でも」と思って入った店がやたら旨いカレー・ステーキ・スイーツ食べ放題のバイキングで、出てくるときに
は苦しいほどお腹がぱんぱんに膨れてあがっていた、とでも言ったらいいか。幕末の伊勢国(いまの松阪市)で和歌山藩領の地士の三男として生まれ、16歳で
家出をして江戸へ出奔、17歳で習いたての篆刻で路銀を稼ぎながら諸国放浪。一時、幕府老中・水野忠邦の屋敷で奉公したものの、翌年には四国八十八カ所霊
場を巡り、21歳の折に出家して長崎平戸で寺の住職になったのもつかの間、イカ釣り漁船に便乗して壱岐や対馬を遊歴。母の死をきっかけに古里へもどって還
俗し、蝦夷地踏査を志したのが27歳。その後、北海道6度の踏査を含む全国を行脚し、見たもの聞いたものを書きとめ記録し、畳何畳分もの地図やいまでいう
ガイド本を出版し、土地土地でさまざまなものを蒐集し、また北方の国防意識の高まりから幕末の志士や明治の官僚たちとも交流を持ち、新政府から「開拓判
官」を命じられて北海道の道名・国名・郡名の選定に寄与したものの、アイヌ民族に対する行政を批判して職を辞し、あとは悠々自適。東京の神田五軒町に居を
構えて著述に専念、古物展を開いたり、60歳を越えて大峰修験道や大台ケ原、富士山にいくども登拝し、71歳で大往生した。「武四郎涅槃図」という絵があ
る。武四郎の依頼で河鍋暁斎が足かけ6年を費やして完成させた作品で、死にゆくブッダならぬ「昼寝する武四郎」がみずから集めた古画、古神仏像、郷土玩具
などの蒐集品たちに囲まれ、満足げに片肘をついて寝そべっている「涅槃図」である。またおなじ頃にかれが自宅庭に建てた「一畳敷」なる、まさに畳一枚の広
さの書斎がある。かつてじぶんが旅した各地の友人・知人から提供された神社仏閣の古材を用いて立てられ、その畳一枚の上で武四郎はみずからの旅の人生を思
い、訪問客を遇しては旅の思い出を語った。そしてじぶんの死後にはこれを取り壊し、古材で亡骸を焼いて遺骨を大台ケ原に埋めて欲しいと遺言したという。ま
さに、好きなことを好き放題やりきって死んだ。パーフェクトな人生ではないか。こんなかっとんだ奴が三重にいたとは恥ずかしながら知らなかった。松阪市に
はこの武四郎の生家と記念館がある。妻子を質に出してでも、行かねばなるまいて。
◆三重県総合博物館MieMu http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/
◆松浦武四郎記念館 https://takeshiro.net/
◆武四郎涅槃図の世界 http://sada.la.coocan.jp/ta/nehanzu/nehanzu.htm
◆012 一畳敷 | 建築ノ虫 http://archinsects.jp/012/
◆北海道の名付け親「松浦武四郎」生誕200年。NHKでドラマ化決定!松阪市出身の探検家の生涯を詳しく紹介します
https://www.kankomie.or.jp/report/detail_266.html
2018.9.25
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