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■058. 伊藤詩織 「ブラックボックス」を読む (2018.1.24)
いまではもうあっちの世界へいってしまったレナード・コーエンが、名曲「ハレルヤ」のなかで描いたセックス・シーンはこんな歌詞だ。
But remember when I
moved in you
And the holy dove was moving too
And every breath we drew was Hallelujah
わたしがあなたの中でうごくとき
聖霊もともにうごく
わたしたちの一息ごとが主への賛美だった
セックスとは、そういうものだとわたしは思っている。意識のない相手や、嫌がる相手に無理強いする欲望に、いったいどんな喜びがあるのだろうか。そして、そんな暴力に心も体もぼろぼろにされた、たった一人の人間さえ救えない社会とは、国とは、いったいなんだろうか。
伊藤詩織「ブラックボックス」(文藝春秋)を読んだ。いちばんつよく心に残ったのは「世界報道写真展」でたまたま著者が出会ったメアリー・F・カルバート の写真――――米軍の中で頻出している一連のレイプ事件を追いかけた報道写真について語られる場面だ。上司にレイプされた海兵隊員の日記帳に描かれたリス トカットされた手首の絵。IF ONLY IT WAS THIS EASY (これがこんなにも楽だったら)と添えられた言葉。 「「これ」とは、血の流れた手首の絵のことだろう。死ぬこと、この痛みに終止符を打つことを指してい る。そして、実際に彼女は命を絶った。」 彼女の死後、在りし日の娘の写真が置かれた空虚な部屋に立ち尽くす父親の写真はこころを締め上げる。
事件後、私も同じ選択をしようとしたことが、何度となくあった。自分の内側がすでに殺されてしまったような気がしていた。
どんなに努力しても、戻りたくても、もう昔の自分には戻れず、残された抜け殻だけで生きていた。
しかし、死ぬなら、変えなければいけないと感じている問題点と死ぬ気で向き合って、すべてやり切って、自分の命を使い切ってからでも遅くはない。この写真に出会って、伝えることの重要さを再確認し、そう思いとどまった。
キャリーさんの口からは、もう何も語られることはない。だが、一人のフォトジャーナリストのカメラを通して、彼女は強いメッセージを残した。私にはまだ話せる口があり、この写真の前に立てる体がある。だから、このままで終わらせては絶対にいけない。
私自身が声を挙げよう。それしか道はないのだ。伝えることが仕事なのだ。沈黙しては、この犯罪を容認してしまうことになる。
A氏は私に、「この事件の教訓は、次の事件に生かします」と言った。「次の事件」と考えた時に、大好きな人々の顔が浮かんだ。彼らがこんな目に遭ったら、 と考えるだけでゾッとした。今、この瞬間にも苦しんでいる人がいる。そう考えたら、このシステムを変えようと今動かなければ、一生後悔することもわかって いた。
もしも沈黙したら、それは今後の私たちの人生に、これから生まれてくる子どもたちの人生に、鏡のように反映されるだろう。
レイプは魂の殺人である。それでも魂は少しずつ癒され、生き続けていれば、少しずつ自分を取り戻すことができる。人にはその力があり、それぞれに方法があるのだ。私の場合その方法は、真実を追究し、伝えることであった。
いくら願っても、誰も昔の自分に戻ることはできない。しかし今、事件直後に抱いたような、レイプされる前に戻りたいという気持ちは一切ない。意識が戻ったあの瞬間から、自分と真実を信じ、ここまで生きてきた一日一日は、すでに私の一部になった。
なにもこの本の著者にかぎらない。わたしたち一人ひとりにも、「もしも沈黙したら、今後の私たちの人生に、これから生まれてくる子どもたちの人生に、鏡の ように反映される」ことがあるに違いない。声を挙げること、伝えることが生きることであり、そんな魂に“聖霊”も降り立ち、ともにうごく。
2018.1.24
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