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■053. 奈良国立博物館 「源信 地獄・極楽への扉」 (2017.7.28)
奈良国立博物館へ、1000年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」を見に行く。暑い夏の隈取る光から隔絶した仄暗い展示室はさながら夕暮れのふたかみの
ふもと世界のようであった。昼と夜のあわいのようなくるった灯ともし頃にひとはよく夢まぼろしを見る。肉体からたましいがあくがれ出でて遊離した中将姫で
あれば、金色の髪の豊かに垂れかゝる片肌のうわごとに「なも、阿弥陀ほとけ。あなたふと、阿弥陀ほとけ」と思わず洩れたことばがそれである。阿弥陀であれ
地獄の餓鬼であれ、ひとはもうひとつの世に飢えるのだ。たとえばほら「西方極楽世界十六観想画讃」などはユングの「赤の書」の一頁であったとしても驚かな
い。無意識の深みより立ち上がるげっぷを可視化して二次元に貼り付けたらこんなものができる。それよりもわたしは滋賀・荘厳寺の異形の空也立像に思わずや
あとつれそって仲良く立小便をした。それからひさしぶりに再会した「一遍聖絵 巻七」もそうだ。ほらあの画面のはしっこ土塀の陰にたたずんだ白頭巾の男は
「もののけ姫」にも出てきたな。京都鴨川の橋の下にもそらなにかがいるぞと娘の耳元にささやいていたら隣の初老の男性がこれは牛馬の処理をするところです
わとつけくわえてくれた。ああそうですかこの場面がなるほどそうかとわたしはふかくうなずいて至極ご満悦である。地獄はこの世にあってわたしの臓腑をいま
もぎりぎりと喰い散らかしている。浅川マキをフォークで突き刺した青鬼もそのひとりに間違いない。さあ悪魔でかけようぜとロバート・ジョンソンも言った
じゃないか。わたしはそんな奇怪な臓腑のおくにちいさな阿弥陀をひとつかくしもっている。
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