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■049. マーチン・スコセッシ監督 「沈黙 サイレンス」を見る (2017.2.4)
手元の文庫版「沈黙」の奥付には1982年12月30日の日付が鉛筆で記されている。当時は購入した日付をなぜか必ず記していた。わたしは高校2年生 で、翌年の2月の記載がある単行本の「キリストの生涯」もあるから、この頃に遠藤周作のキリスト教に関する一連の小説やエッセイを貪り読んでいたのだと思 う。シュバイツァーの「イエスの生涯」(岩波文庫)を買っているのも同じ頃だ。たしか高校3年のときに倫理の授業の発表の時間をつかって、イエスについて 30分ほどみんなの前で話をした。みんな退屈そうにして、ろくに聞いちゃいなかったな。担当の若い女の先生だけ、ひどく感動してくれた。中学の卒業式の日 に校門の前で見知らぬ男が配っていた英語と日本語が併記されている新約聖書を、わたしはぽつぽつとめくるようになった。前掲したフランチェスコの映画に慟 哭するのはそれから20年後、というわけだ。
マーチン・スコセッシの「沈黙 サイレンス」を土曜の午後、ひとり自転車で、佐保川の平城京の羅城門跡を越えて見に行ってきた。娘も誘ってみたのだが、 スマホで内容を確認した彼女は「いい映画なんだろうけど、きっと心が折れそうになるから、いまはやめておくわ」と答えた。果たして、彼女の言うとうりだっ たね。わたしのこころは、それこそ折れまくっていたな。原作の「沈黙」はもうたぶん20年以上、読み返していない。だからその分、いろんなものが一気によ みがえってきて、奔流のようになった。とくに前半はモキチの死に様だ。波打ち際の十字架の上で、隣のじいさまの昇天を祈り、くりかえす満ち潮に耐え、ひと り聖歌を歌い続け、4日目に息絶えたその右手が縄をはずれて身体がだらりと折れ曲がる。人はだれしもがあのように立派な態度のまま殉教できるものでもな い。その対極に、卑怯でみじめなだけの、虫けらのようなキチジローがいる。それがわたしたちの合わせ鏡だ。虫けらのようなキチジローは、最後には主人公で あるパードレの影になって寄り添う。パードレもまた“ころんだ”のだ。なんども棄教し、なんども罪の許しを請い、人々から嘲笑され、石もて追われる虫けら のようなキチジローこそが、じつは神の具象化であるのかも知れない。
ザビエルがこの国に来たのは戦国時代の末期で、各地で戦国大名が割拠し、室町幕府の権威は地に失墜していた。応仁の乱以来続く戦乱で国土は荒廃し、多く の人々がその戦乱の犠牲になり、その日の糧に苦しむ貧民・窮民が絶えなかった。天変地異も頻発し、水害・旱魃・疫病・地震なども相次いだ。その後、浄土真 宗の宗徒による一向一揆が力をもつが、やがて信長によって徹底的に弾圧・虐殺される。1587年、秀吉によってキリスト教が禁じられ、1613年には徳川 幕府によって禁教令が全国に広げられる。キリシタン弾圧が過酷の一途をたどり、1637年には困窮した農民たちによる島原の乱が起きるが、「最終的に籠城 した老若男女37,000人は全員」が皆殺しとなった。映画はその数年後を舞台としている。幕府がキリシタン禁令をたてに「宗門改め」を制度化し、仏教寺 院と共に「民衆の思想統制」、「戸籍管理による身分統制」を強めていった時期にあたる。親鸞から蓮如に連なる底辺の人々の覚醒は根絶やしにされ、他の既成 の仏教は人々にとっては何の力にもならず、物や人の自由な往来も制限され、すべての希望が潰え、多くの人々はただ虫けらのようにしか生きていくより他がな かった。
「宣教師ザビエルと被差別民」の中で沖浦和光氏は、当時の仏教各派と僧侶たちから完全に見捨てられていた癩病者や身体障害者、非人などの被差別民、「不 殺生戒」を犯した河原者、「張外れ」の漂泊民や芸能者、遺児、秀吉の朝鮮侵攻以来の朝鮮人捕虜たちといった卑賤視されていた人々が多く、キリスト教の洗礼 を受けたことを指摘している。イエズス会によって日本人ではじめてイルマン(準司祭)に認定されたのが、もともと目の不自由な琵琶法師であったロレンソ了 西であったのは有名な話で、近畿の有名なキリシタン大名・高山右近もこのロレンソ了西によって受洗している。大阪の堺出身で下層の念仏聖であったと思われ る熱烈な信者・ダミアンも盲人であった。そういった人々を当時の既成仏教は「前世の業」として差別し、見放していたのだった。
1614年の大弾圧の際に、家康の居城だった駿府でも数十名の信徒が入牢させられた。仏教への転宗を拒否した者は灼熱の鉄で額に烙印を押され、手の指と 足の腱を切って野に棄ておかれた。その拷問に耐えて四人が生き残った。そのひとりペドロ宗休は、癩者たちの小屋の近くに住んでいたので、常日ごろから彼ら にイエスの愛を説いていた。
野に棄てられた宗休は癩者たちの小屋にかくまわれていたが、立入り調査にきた役人によって、彼ら癩者もキリシタンであることが判明した。棄教を促す役人 の説得に応じず、肉体が朽ち果てる前に神の慈悲に救われたいと申し述べたので、ついに一同斬首された。その癩を病んでいた聖者の名は、フランシスコ、ガス パール、パウロ、トメ、マティアス、ルカの6人だった。
1622年9月、長崎で55名のキリシタンが処刑された。「元和の大殉教」である。イエズス会・ドミニコ会・フランシスコ会に属する外国人司祭9名をは じめ、婦人13名、3歳から12歳までの子どもも8名含まれていた。その中には朝鮮人アントニオとマリアの子二人がいた。このうち25人を火焙りにする際 に、近くの癩者小屋に火種を探しにいったが、彼らはそれに協力しなかった。
沖浦和光「宣教師ザビエルと被差別民」(筑摩選書)
贅沢なリクエストかも知れないが、映画の中にわたしはそんなかれらの姿も登場させてもらいたかったな。なぜかれらが、異国からきた神を、あれほどまでに 命がけで信仰したのか。その答えは、それらの風景の中にあるような気がするからだ。無数の、痛烈な、また沁みいるようなひとつひとつの場面場面の中に。現 実はスコセッシが撮った映画の何十倍も何百倍も強烈で、荘厳だったに違いない。そこにはぎりぎりの生のなかで、善きいのちにたどりつきたいと希求する無数 の無名な人々の気高い闘いがある。こんなことを言ったらスコセッシ監督に怒られるかもしれないが、そんなかれらの輝きに比べれば、苦悩する映画の主人公で あるパードレも「脇役」に過ぎないのかも知れない。
司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと 信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足 の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。
遠藤周作「沈黙」
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という、わたしの好きなゴーギャンの作品がある。高校生の頃にわたしのこころに楔を打ち込んだ遠藤周作の小説も、30数年後に見た スコセッシの映画も、そしてそれらの風景を織り成す歴史に埋もれてしまった無数の名もなき人々の生き様も、そのゴーギャンの絵とおなじ深みに突き刺さって 容易に抜けないところが好きだ。考えてみろよ。17世紀のあらゆる自由を奪われていたこの国の底辺の人々が命がけで追い求めたものと、現代のぼくらがここ ろの底から望むものは案外と近いのかも知れない。時代は変わっても、わたしはいまもモキチになりきれない虫けらのようなキチジローだ。そんなキチジローも 最後に胸からぶら下げていた聖画を役人に見つけられて画面から消えていくとき、ついにおのれの足で立つことができたような気がする。いのちを何で削いでい くのか。
スコセッシの映画「沈黙」はそんなもろもろのことを、あらためて思い起こさせてくれた。
2017.2.4
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