■体感する
■046. 茨木市千堤寺・クルス山 上野マリヤ墓碑 (2016.12.26)
クルス山、というのはかれらがそう呼んでいたわけではなかったらしい。おそらく、と史料館の係の女性は言うのだ。当時は山の尾根にたくさん十字架がなら んでいて、それで村の人々がそう呼んだのがずっと言い伝えられてきたのではないでしょうか。上野マリヤと銘うたれた花崗岩の墓碑はここに眠っていた。隠れ キリシタンの存在を調べていた隣村の和尚から訊かれて、そういえばなにやら変わった石がうちの山にころがっている、と案内したのがそもそものはじまりであ る。墓碑には中央に十字と、それから「慶長八年」 「正月十日」の文字が名前の両端に刻まれていた。慶長八年は西暦でいうと1603年、関ヶ原の戦いで勝 利した徳川家康に征夷大将軍が授けられた年。その年の正月に、マリヤという洗礼名の女性は村の美しい棚田を眺望できるこの尾根筋に葬られたのだった。周辺 のいわゆるキリシタン遺跡の発掘調査によれば、当時は座棺による埋葬が一般的だったが、山の尾根筋から見つかったキリシタンの人々の埋葬跡は、どれもまっ すぐ仰向けに横たわった状態であったという。それからこの山は、人知れぬ山となった。そしていつしか忘れら去られた。墓碑はころがって、地に突っ伏した。 上野マリヤの魂魄はずっとここでこの人知れぬ山中でイエスを夢見続けただろうか。わたしは信仰を持たないけれど、信仰を隠して生きていかなければならない というのは、なんとなく共鳴できるような気がする。たとえばここへたどり着くまでのうねうねとしたさみしい山道を車を走らせながらカーステで聴いてきた、 新村(シンチョン)ブルースという韓国の古いブルース・バンドの通奏低音にそれは似ていないかとも思うのだ。上野マリヤの墓碑があったという場所の向かい に、二本の樹木の根元がくっついてちょうどいいくぼみをつくっている木があって、わたしはそこに腰かけながら、きっとおなじようにここにすわって真新しい 墓に話しかけていた者がいただろうと思った。それは先週の水曜日だったかも知れない。わたしはこんな場所に、ひとりぽつねんと佇んでいるのが好きだ。わた しはだれとはなしをしているのだろう。堆積した落ち葉が天上の絨毯のようだ。葉を落とした木々に囲まれた山はひっそりとやわらかい。ずっとこうしてここに いたい。ずっとこうしてここにいたのだ。
▼茨木市立キリシタン遺物史料館 http://www.city.ibaraki.osaka.jp/kikou/kyoikuiinkaikyoikusoumu/syakaikyoiku/menu/bunkazai_jigyou/kirishitan_ibutushiryoukan/1443404767707.html
▼野崎キリスト教会>河内キリシタン研究会 https://nozakikirisutokyoukai.jimdo.com/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6/
▼<河内キリシタン>墓碑発見 新たなロマン(The Yomiuri Shimbun) http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140720-OYTAT50000.html
2016.12.26
■体感する