041. 大和郡山 「日本少女歌劇座展」

体感する

 

 

■041. 大和郡山 「日本少女歌劇座展」 (2016.3.6)

 






 

 【日本少女歌劇団 1/3】  お昼のお好み焼きを家族三人で食べてから、家の補修など小さい用事をいくつか済ませて、商店街へ一人ぶらぶらと。 かつてこの郡山に本社を置いた興行会社が経営していた「日本少女歌劇座」の、当時の公演プログラムや絵葉書などを京都文教大学の先生が古書店などで集めた コレクションをメインにした展示。 詳細は以下のリンク記事に譲るが、面白かったねえ。ちょうど当の鵜飼正樹教授もおられて質問というか、お話も伺えた。 ひとつは本社建物がいまも市内西岡町に現存しているという話。居住はしていない様だが、夜には門灯も点灯して、管理者はいるらしい。むかしからそんな状態 なので、近所では「お化け屋敷」と呼んでいる人もいるとか。鵜飼氏は「できたら町で保存するとかして、残して欲しい」と言っておられた。 西岡町といえばかつて郡山にあった赤線地帯が有名で、じっさいに近鉄の線路をはさんで東西に隣接している。そんなことから、むかしは遊女たちの診療所もか ねていたんじゃないかという話もあるらしいが、「関係はなかったと思いますね」と鵜飼氏は言う。ただ場所柄的にもしかしたら、往時はその辺りは郡山の「千 日前」のようだったのかも、と空想を膨らませてみたり。 もうひとつは1年をかけて全国をまわった巡業先の地図があったのだが、どれも東京・名古屋・大阪などの大都市は避けて、比較的ひなびた地方都市をメインに まわっている。これは大手の劇団を避けたのと、大都市の人々は目も肥えているのでまだ歌劇団など見たことがない地域を選んでまわっていたのだろう、という お話であった。 敗戦を経た昭和26年頃の機関紙では、かつて馴染みだったスターの誰某がいないという観客からの投稿に「○○さんは残念ながら終戦時に死亡しましたが」と 回答している一節もあったりして、さまざまな人間模様が偲ばれるが、残念ながらこの「日本少女歌劇座」に関するまともな記録はほとんど残されていないらし い。 そんなわけで鵜飼氏は「日本少女歌劇座」に関する情報を求めている。舞台をじっさいに見た人、パンフレットや絵葉書を含む資料をお持ちの方は、ぜひ以下 へ。

 京都文教大学総合社会学部 鵜飼正樹 メール m-ukai@po.kbu.ac.jp

朝日新聞 奈良)お宝ずらり「日本少女歌劇座展」 大和郡山 http://www.asahi.com/articles/ASJ2Y0RJFJ2XPTFC00V.html

読売新聞 奈良拠点に巡業、日本少女歌劇座の活動明らかに http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160224-OYO1T50022.html

© ニュース「奈良の声」2016  http://voiceofnara.jp/news542.html 京都文教大学校友会・文化人類学支部のブログ http://nocnok1996.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

 【日本少女歌劇団 2/3】  というわけで、その「日本少女歌劇座」の興行拠点であった、市内西岡町にいまも現存するという「島興行社」の建物を、さっそく探偵犬ジップと調査してきた。 場所はココ。 https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92639-1014+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E7%94%BA%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%97/@34.643918,135.7782934,17z/data=!4m2!3m1!1s0x60013a9019cc46a9:0xbfede3e061e869b0?hl=ja

近鉄線の線路に近いが、かなり狭い路地に面していて、ちょっと分かりにくい。現在の風景では、もうほとんど城下町の南端が途切れて、金魚の養殖池が広がっていこうという付近だ。 左半身は日本家屋、右半身は洋館という、その奇妙な「キメラ館」は薄暮の中でひっそりと佇んでいた。 先にあげた機関紙では、劇団員たちは寄宿生で、この奈良の本社で稽古などもしていると書かれていたから、あるいは当時はもっと敷地が広かったのかも知れない。 ここで飛び交ったさまざまなことば、人々の顔、そしていろいろの物音などを想像してみた。人の一生なんてあっけないが、輝いていた粒子はいまも空気中に残っているような気がする。

 【日本少女歌劇団 3/3】  「島興行社」の社長、島幹雄をWebで調べていたら、「松川事件」とか出てきたよ・・

◆少女歌劇(Wiki) 日本少女歌劇団(地方巡業):1926(大正15)頃 - 1955(昭和30) 島幹雄(本名・富永朝太郎)が創設し団長を務めた。戦前は満州を含む各地を巡業、戦後も活動した。1949年8月16日には福島県松川町で1日のみの公演 を行い、一泊して翌日に移動したことから、同年8月17日未明に同町で起こった松川事件の真犯人と何らかの関係があるのではないかと言われたことがある。 この件は1964年の国会(衆議院法務委員会)でも取り上げられた([2][3])。別称・日本少女歌劇座。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%AD%8C%E5%8A%87

◆日本の黒い霧−4 ”松川事件”(続き) 事故現場の松川駅の近くには松楽座という劇場があり、事故当日に一夜限りの興行が催されている。観にいった人の供述調書や操作報告者はあるのに主宰者や団 員のものがない。裁判では取り上げられることもなかったが、この時の団員の宿泊者の人数が各人の証言で会わず団員数より多く泊っていたことも指摘されてい る。 団長は島幹雄、そして興行を立てたのは福島県の興行のボスである北島源市であり、戦前から満州、中国などを渡り歩き、戦後は国鉄、警察そして米軍と多くか かわっていたと。 http://www.geocities.jp/t_shimizu2003/kiri_4_2.html

◆衆議院会議録情報 第46回国会 法務委員会 第14号には、「日本少女歌劇団」と松川事件についての記述がある。 ○志賀(義)委員 では警察のほうで、その点を局長お調べを願いたいと思うのです。  そこで島団長は、当夜松楽座に泊ったのは、女は別として男は二十人と言っております。他の団員たちは十二、三人泊ったと今日証言しておられます。七人の 食い違いがあります。この七人前後の食い違いという点が一つの重要な問題になってくるのでありますが、この七人はどこに行ったのか、だれとだれであったの か、この問題の解明のかぎが数十回にわたって調べられた野地タケの証言にあると思います。ここまで申し上げておきますから、その点をお調べいただきたいと 思います。団長と団員の二、三の君たちの証言、二十名あるいは十二、三名というので食い違いがあるのであります。これはだれとだれであったか、またどこへ 泊ったのか、福島方面に行ったというのですが、その福島がどこの福島やら、経路はどういう経路をとって行ったのか、車に乗せた人もあるでしょう、そういう 点をお調べ願いたいと思うのです。島それから北島源一、野地タケ、その他関係者の供述書、捜査復命書及び警察で領置してあるはずのいろいろな書類その他全 部、ひとついままで申し上げたのを、委員長、私どもにも見せてくれるように、なかなか委員長ものわかりがいいからその点をお願いいたします。ひとつ出して くださいよ。もしこれらの点について捜査がなかったとしたら――先ほどから伺ってみると、どうもあなたは認めないような認められるようなことを言っておら れるが、捜査上の大失態だと思います。その点をどうかよろしおく願いしたいのです。  なお、日本少女歌劇団長島幹雄、本名を富永朝太郎といいますが、この人物は当局でお調べになったはずです。いかなる人物でいま何をしており、また当時ア メリカ軍政部、CICなどと関係が深かったように思うがその点はどうか、この点をお答え願いたい。 ○後藤田政府委員 ただいま私が承知をしておるのは、この富永なる人物は宮崎県興業の社長である、こういう点だけでございます。 ○志賀(義)委員 そこにホテル・ニュージャパンという大きいホテルがあります。それの八百六十八号室をずっと借り切ってこの人がおります。いま東京に来 ているはずであります。私どもの調べたところでは、その部屋の長谷川達という人の名義でこういうパンフレットが出ております。これは「自衛隊父兄会協力会 隊友会の友、内外情勢研究会、東京都千代田区永田町二丁目二十九、ホテル・ニュージャパン八百六十八号」これを出しているところが、島君がずっと借り切っ ているところです。東京では何をしているのでしょうね。これは当然、あなた方は初め知らなかったのは手落ちでなかったかとも言われているので、この人物に ついて、いま東京に来ているのについてお調べになったことがありますか。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0488/04603130488014c.html

◆書籍を読む - 旬報社 「松川十五年 編著者名:松川事件対策協議会編」 12ページあたり。 http://www.junposha.com/library/pdf/60004_22.pdf

◆『私の戦後史と日本共産党論』(中井準之助 文芸社)のp119には松川事件に「日本少女歌劇団」と名乗る劇団についての記述がある。当館には所蔵なし。(googleブック検索でヒット。 http://books.google.co.jp/books?id=E8HHhggPynAC&pg=PA119&lpg=PA119&dq=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3%E3%80%80%E6%9D%BE%E5%B7%9D&source=bl&ots=FkDYsSx0pT&sig=ed_MnJFeyrb8mbGB0g7w5106R_o&hl=ja&ei=Fr-4SbzrBoGI6gPY8-zzBA&sa=X&oi=book_result&resnum=7&ct=result

2016.3.6

 

 

 



 

 

 

体感する