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■040. 京都・旧崇仁(すうじん)小学校 「Open Diagram」 (2016.2.14)
娘の家庭教師が終わってから、11時頃に出発。高速を使って、八瀬着が12時半頃。このごろ、京都づいている。 前回、大原の不思議な人形展「マリアの心臓」を見た折にたまたま立ち寄ったのが昨年の5月だったからもう一年近く経ってしまったわけだけれど、かつて天皇 の棺をかついだと伝承される八瀬童子の地でもある八瀬、その比叡山ケーブルの麓近くにある鮒寿司の店・はなだは、「店」というよりは謎めいた才色兼備の小 野お通がひっそりと暮らす隠れ屋敷のようにも思える。子はずっとここの鯖寿司がおいしかった、品のある女将さんがよかった、部屋の雰囲気がよかった、また ぜひ行きたいと言い続けていた。前回と同じく客はわたしたち二人だけで、女将さんは一年前の父娘を覚えていてくれた。前回は「どうでしたか?」ときかれ て、「おいしかったけど量がちょっと。三人分くらい食べられそうです」と思わず言ってしまったわたしにお抹茶のセットをサービスしてくれたのだが、今回も 「昨日つくったお鮨の方がおいしいと言うお客さまもいて、よかったら食べ比べてくれませんか?」と追加の鯖寿司がふた切れ、膳のかたわらにそっと置かれ た。華道の家元だった亡くなったご主人と二人で暮らしていたという家は、恰も窓下を流れる高野川の小さなよどみのように時間もとまっている。食事を終えた わたしと娘はしばらく窓から見える冬山や斜面の苔むした石積み、そして河原沿いに枝をはり出した柚子や椿の樹について話したりしていた。帰り際、女将さん は「よかったら」と漆塗りの大きな椀に盛ってあった銀杏を袋に入れて、呉れた。「つぎはまた、半年後かなあ」と言うわたしに、「もうわたしも歳なんで、お 店もいつまであるか」と笑うのだった。小野お通もいつかは歴史の彼方に消えていく。
それからまた白川通りから東大路へ、京大、博物館、八坂神社などを横目に見ながら市内を南下して目的の旧崇仁(すうじん)小学校付近に着いた。京都市立芸 術大学の学生やOBたちによって企画された展覧会「Open Diagram」。着いたはいいのだが、土曜日の周辺のコインパーキングはどこも満車で、おまけに雨まで降ってきた。一時間近く車を走らせて困った挙句、 会場の受付に立っていた学生さんに「裏門あたりに停めさせてもらえないだろうか」とかけあったら、それが今尾栄仁さんの息子さんであった。「もしかし て・・」と息子さん。「ええ。お父さんにはまだ直接お会いしてないですけど(^^)」 きれいな眼をした若きアーティストは、それからわたしたち親娘を案 内して丁寧な解説をしてくれた。 ここへ来るまでわたしは知らなかったのだけれど、鴨川の下流の河川敷に近いこの崇仁地区は京都でも有数の被差別部落なんだな。というのも階段の踊り場に掲 示していた、かつての子どもたちがしらべて作ったのだろう学校をめぐる歴史年表に「全国水平社創立大会」「崇仁隣保館」などの記述を見つけて、ああ、と 思ったのだった。崇仁小学校はその前身から数えて137年の歴史を経てきた(1873年(明治6年)開校、2010年(平成22年)閉校)。その間、いろ んなことがあっただろうと思う。だから尚更、黒板にいまも残る閉校式に寄せた言葉や、あちこちに散見する校歌、お知らせ、子どもたちの絵、などがある種の 感慨と不思議な酩酊感を誘う。 今回の「Open Diagram」はそんな(ある意味、いまも呼吸をしている)小学校の校舎のそれぞれの場所が持つ磁場のようなものと、若きアーティストたちの感性が触れ あい、呼応しあって生まれた作品であるような気がする。たとえば今尾拓真さんの作品は、かつて音楽教室だったぽっかりとひろがった空間に、当時の天井据付 型の空調機にジョイントされた塩ビ管の先に取り付けられたハーモニカがあえかな音色を響かせる。空調機の電源は制御版で断続的に入り切りが繰り返され、照 明(天井の蛍光灯)もおなじように空調機とは異なるタイミングで点いたり消えたりを往復する。音と灯りのズレという意味では、ガムランの音楽や1960年 代のスティーヴ・ライヒなどによるミニマル・ミュージックを想起させられる。そんな波のような空間に換気扇の羽根がどこかにひっかかっているカタカタとい う断続音が重なる。作者は「外部」と「内部」というその境界に於ける、あたりまえにあるのにふだんは無自覚で気づかない空気の循環に「ハーモニカの音」や 「換気扇の羽根がひっかかっている音」などによって色をつけて目に見えるようにした。そのことによって同時に「じぶん」と「他者」の関係性を浮き立たせよ うとした。そんなことを話してくれた(あるいはちょっと違っていたかも知れない(^^) わたしたちはさらに、そこが廃校になった小学校の音楽教室であっ たという観念から、この若いアーティストによる作品が、古びた校舎に眠っていた記憶やざわめきや匂いなどを呼び覚ます様を目の当たりにするわけだ。それは 得難い、特別な空間だった。娘は校舎のあちこちに爆弾のように仕掛けられた他の作家たちの作品群を一巡したあとで、もういちどあの音楽教室へ行きたいと 言って戻ってきた。そうして音と灯りと記憶と問いが幾重もの波のように寄せては返す薄暮の汀(みぎわ)にだまって立ち続けていた。 https://www.facebook.com/yousuke.aida.10/posts/1533376436956592
(他の作家の方たちの感想はここでは端折るけれど、どれもおなじように面白かったし、刺激を受けた。日常のあたりまえの風景を眼球を入れ替えて見つめなお すこと。結局、そういうことによってしか世界は変わらない。娘が次に気に入ったのが独特な女性性で「気配」を物語った南條沙歩さんのアニメーションと「夢 日記」と題した白い小部屋の悪夢。とにかく娘が「どれもすごい面白い」と目を輝かせて、階段の多い校舎も気にせずに歩きまわり、佇み、食い入るように見て いたことが大きな収穫だった。「大学に行ったら、こんなふうに好きなことを思いっきりやれるよ」とわたしは彼女に言った。「お父さんは大学に行ったことが ないから分からないけど、たぶんね」)
※ちなみにこの旧崇仁小学校の敷地は、京都市立芸術大のキャンバスが移転する予定だそうで、校舎が見れるのはいまのうちかも知れない。 3時間近く、小学校にいたかな。外はもう暗くなっていた。そして土砂降りの雨。帰り道は途中、第二京阪から京奈和道へ乗り換える際に曲がり道を通り過ぎて しまい、リロードしたナビが誘導したくらい山道が通行禁止になっていて、次の誘導先はおなじような山越えの枚方カントリー・クラブの私道だったりで、手間 を食ったけれどアートで活性化した娘はそれすらも面白がって上機嫌だった。 結局、家に帰り着いたのは7時半頃。もう途中で夕飯を食べて帰ろうかとも言ったりしたのだが(つれあいは仕事で帰りが遅かった)、今日はくだんの「塩レモ ン」を使ったメニューをすでに考えていたので、奈良市に入った国道沿いのスーパーで鶏のもも肉などを買って、大急ぎでジップの散歩・夕飯をあげてから、 「塩レモン」をつかった鶏肉、ポテト、そして塩レモンとはちみつのプリンまで二人で協力してこしらえたのだった。料理はもちろん、うまかった。 しかし、疲れた。でも実り多い、充実した一日だった。満足。
◆八瀬 はなだ http://www.yase-hanada.com/
◆Open Diagram https://opendiagram.wordpress.com/
◆imao takuma - imao takuma works http://imao-takuma.jimdo.com/
◆第1弾「アートで目覚めるvol.3」作家インタビュー:今尾拓真https://artosakablog.wordpress.com/…/%E7%AC%AC1%E5%BC%BE%E…/
◆崇仁小学校 http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=104005&date=20100312&no=0
◆崇仁協議会(SUZIN CONFERENCE) http://www.suzin.com/
2016.2.14
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