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■039. 生田 武志「ルポ 最底辺―不安定就労と野宿」 (2016.2.1)
生田 武志さんの「ルポ 最底辺―不安定就労と野宿」 (ちくま新書)は、たしか大河内 次雄さんのTLで教えて頂いた(「釜ヶ崎から」はこれに加筆して文庫化されたもの)。 学生時代の釜ヶ崎(西成あいりん地区)におけるボランティアから、ついに実際の日雇い労働、ドヤ住まいまでを長年、まさに身を持って経験してきた内容は詳 細で、説得力がある。素晴らしいレポート。 いうまでもなく日雇い労働者が集まる釜ヶ崎は、この国の象徴的な縮図である。そしてその釜ヶ崎でホームレスになるということは、市場(労働現場)・国家 (行政)・家族というセーフティネットから、すべてころげ落ちてしまったということになる。たとえば野宿者が「よく言われるセリフ」というのを、著者は上 げている。 「公園や路上などの、みんなで使う場所にいるのは迷惑だ」 「家(実家)に帰ればいいんじゃないか」 「福祉とか、困った人が相談に行くとこがあるのではないか」 「仕事をしようともしない。働けばよい」 「努力が足りなかったのではないか。貯金でもしていればよかったのではないか」 これらがどれも必ずしも適当でないことは、本書を読んで欲しいが、最後に著者は次のように言う。 「一言でいえば、これらの「野宿者がよく言われるセリフ」は、「市場」「国家」「家族」は充分に機能しており、野宿者を生むような事態はわれわれの社会に は存在しないはずだという「信念」を語っていると考えられる。「市場の失敗」「国家の失敗」「家族の失敗」などというものは存在しない、あるのは「個人の 失敗」だけだということだ。この種の「信念」が、野宿者への強い偏見と差別を生み出している」 ときどき新聞やニュースなどに載る野宿者への襲撃は、10代の少年少女が圧倒的に多いという事実は極めて象徴的であり、暗示的だ。 話は逸れるが、わたしはこの視点は子どもたちの「不登校」にも当てはまると思う。「教育制度の失敗」「学校現場の失敗」「教師の失敗」などは存在せず、た だ「個人の失敗」だけがある、と。(だからこそいじめや不登校にあって、「家族の失敗」だけは避けなければいけない) つまり、こうした社会的弱者がどのような場所にいるのかというのは、その社会の成熟度を測る物差しではないか、とわたしは思う。そういう意味では、この国 はもはや物差しすらも放り投げているのかも知れない。 「日雇い労働者がリハーサルをし、フリーター層が本番をする」という著者の指摘は、この国の未来を占う鮮やかな通告である。 かつてこの国がバブルに浮かれていた時代には便利な調整弁として重宝された釜ヶ崎の日雇い労働者たちは、バブルがはじけると共にまっさきに切り捨てられ、 その多くが野宿者として路上へ放り出された。「日雇い労働」がカタカナの「派遣会社」に名前を変え、「ドヤ(木賃宿)」が「ネットカフェ」や「レストハウ ス」に姿を変え、全国で400万人いるというフリーターを支えている。もちろんやがて年齢を重ね、病気や事故で働けなくなれば「派遣会社」や「ネットカ フェ」から自動的にころげ落ち、かれらもまた野宿者となるのだ。 これまで釜ヶ崎で起きてきたことが全国へ波及し、やがて、日本全体が「釜ヶ崎化」していく。 釜ヶ崎暴動の全国版がいまから待ち遠しい。そのときはわたしもどこかで投石するよ。パレスチナの子どもたちのように、この国への憎しみをこめて。
◆生田武志さんのサイト http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/lastdate.htm
◆NPO法人 釜ヶ崎支援機構 http://www.npokama.org/
◆たまたま本書の前に読んだ今野 晴貴「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」 (文春新書) も併読すると、この国の断片がさらに見えてくる。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%99%E5%A6%96%E6%80%AA-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BB%8A%E9%87%8E%E6%99%B4%E8%B2%B4-ebook/dp/B00B45DLNI
2016.2.1
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