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■028. 二上山 (2015.6.13)
子の演劇部の発表会(6月公演)が當麻であり、先週の日曜は先行組みの学校の発表、そして本日の土曜は明日、本番を控えてのリハーサルということで延べ 3日間、おかかえ運転手の次第である。(ちなみにこれは“高校生の発表会”であり、高校生の先輩がトミに少ない子の学校は特別に、中高6年制を利用して中 学生の参加を認めてもらっている) 當麻の方もふだんはなかなか訪れる機会もなく、またいったん自宅へ戻るにはそれなりに距離があるので、折角だから待ち 時間を利用してこちらもささやかな休日を愉しむことにした。
奈良盆地の東に座する三輪山と、西に座する二上山(“にじょうざん”ではない。ふたかみやま、と呼びたい)。どちらも古代人の精神世界を語るに欠かせな い特別の頂(いただき)だ。東の三輪山はカミの山、日出る峰であり、その山中には縄文時代の磐座が群居し、蛇身であるオオクニヌシの神話を有する。片や西 の二上山は西方浄土、日の没する峰であり、その山塊には貴重な岩石であるサヌカイトを有し、また悲劇の大津皇子や中将姫の伝説を湛える。わたしはこれまで 幾度となくこの二つの聖山をのぼってきたけれど、三輪山がどこか厳粛さと緊張感を秘めた、いわば父なる頂であるのに比べ、二上山は懐の深い、やわらかな包 容力のある母なる頂であるような気もする。そういえばかつて失業中でなかなか仕事が決まらなかった一時期、職安通いに疲れたわたしはときどき250ccの バイクを麓に止め、この二上山の山中をひとりあるきまわった。わずか500メートルほどの標高だが、ひとの籠もれる場所はいくらでもある。暗い樹林帯の岩 場、なかば埋もれた杣道のわきに残る往古の草堂跡、そして地上をはるかに見下ろす巨大な岩棚の上。竹之内街道沿いの山道で迷い人の貼紙を見たこともある。 母なる頂の山懐は、ときに冥府のように暗く、ひと一人を容易に隠すくらいに深い。わたしは屯鶴峯から二上山、葛城山へと連なる峰々をさまよい歩きながらあ の時期、じつはこの世からあの世へのあわいを踏みとどまっていたのかも知れない。母は救いでもあり、破壊でもある。
先週の日曜は待ち時間が長かったので、ひさしぶりに二上山へのぼった。当麻寺をさらに奥へ進み、山懐の苔生した祐泉寺から雄岳、雌岳の間の馬の背へ至る ルートがいちばん好きだ。暗い樹林帯をあえぎあえぎのぼり、往古の天空のハイウェイであった稜線へ抜けるその過程は、あるいは曼荼羅の胎蔵界、金剛界とお なじで、まさに経から自然への写実であったかも知れない。経から肉体への写実、と言い換えても良い。はじめてこのルートをのぼったときのように、息を切ら し、シャツを吹き出る汗でしとどに濡らし、喘ぐように胎蔵界を一歩一歩あがっていった。馬の背の葉陰でしばし休んだ。それから雄岳へ向かった。地面が陽炎 のようにゆらいでいた。人気のない大津皇子の墓と伝わる土饅頭のはたで、緑色の気品のある一匹の蛇に出くわした。折りしも吉野裕子氏の蛇にまつわる考察を 読んでいるさなかであったから、驚いた。氏によれば、人は産屋によって蛇から人へ産まれ出で、喪屋によって人から蛇へ還っていく。10分か1時間くらい、 その大津皇子の蛇体と対峙した。世も変われば、こんどはこちらが蛇で、あちらが人であったかも知れない。とってかえしてのぼった雌岳からは、悪い癖が出 て、埋もれかけた杣道を下っているうちに道を失い、寂れた植樹林の急斜面をそちこちの枝を命綱代わりにつたい、転げるように滑り落ちた。羊歯の生い茂る樹 の間でまるで山の鬼子のように持ってきた握り飯を頬張った。銃を持った狩猟者であれば何時間でもここにひそみ、じっと獲物が現れるのを待つのだろう。わた しはこの氾濫する羊歯植物に埋もれ、いったい何物の出現を待っているのだろうかといぶかった。
約一週間後の今日は持ち時間が二時間半ほどであったため、会場である文化会館の駐車場にそのまま車を残して、歩いて当麻寺を覗いてきた。いったん当麻寺 駅へ出て、そこから西の参道へ向かう。当麻寺はたしかもう十数年も昔に、名古屋の知り合いと一度だけ訪ねた気がする。今回久しぶりに再訪し、南大門の前に 立って切り取られた二上山のふたつの峰を見たとき、ああ、三輪神社が三輪山をご神体とするこの国の最古の神社の形態を残してあるように、この当麻寺も二上 山を本堂とする巨大な拝殿なのだ、と気がついた。だから仏でも神でも、浄土宗でも真言宗でも、何でも構わないのだ。山がカミであり、ホトケである。ただし ここでも、三輪神社がどこか鋭角な祭祀の場を形成しているのに対し、母なる二上山を祭ったこの「当麻神社」はのどかにひろがった伽藍といい、どこかゆるや かで、そして空が広く、明るい。そんなわけで山がご神体であり本地なのだから、今回は本堂拝観も宝物館も無視して、このゆるやかに広がった伽藍を味わうよ うに、ただぽつぽつと歩いてみた。辿りついたのは人気の殆ど無い大師堂と、それを取り囲むようにひっそりと佇んでいる苔生し、崩れ、落剥しかけた古き墓石 たちである。そもそもわたしは昔から、こうしたむかしの石仏や墓地を見るのが好きだ。見るというよりは向き合って、わたしと入れ違いにこの世に生を受けて ひっそりと過ぎ去っていった者たちの、その来し方を思い、過ぎ方を思い、勝手な対話をするのが好きなのだ。石仏もそうだ。いくつも立ち並んだうちから気に 入ったひとつを見つけ(まるで海岸の石をひとつ見つけるように)、カメラを向けて、近づいたり離れたり、横に寄ったり正面から見たりしながら、勝手な対話 をしている。あるとき、向こうから寄ってくる。こちらへ世ってくる。当麻寺を辞したあとは、もう少し時間があったので、そのままふるびた路地を南へ下り、 竹之内古墳群のある「史跡の丘」(雑草でほぼ埋もれかけていた)をまわって竹之内街道へ出て、そこからぐるりと帰って来た。
さて明日の本番はYも休みを取っているので、二人で朝から夕方まで、文化会館のシートに座して高校生たちの演劇を観劇するのである。
2015.6.13
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