018. 沖浦和光講演会「淀川河畔 江口の遊女 大江匡房の遊女記を読む」

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■018. 沖浦和光講演会「淀川河畔 江口の遊女 大江匡房の遊女記を読む」 (2009.9.12)

 






 沖浦先生講演会、2回目の出席。「淀川河畔 江口の遊女 大江匡房の遊女記を読む」。仕事を5時で切り上げて動物園前 駅から地下鉄に乗り、天満橋筋商店街でうどんを喰って6時に会場着。正面のいちばん前の席に座ったものだから、相変わらず演台でじっとしていない先生が常 に30センチほど前に立っていて、ときおり喋りの最中にじっと目を覗き込まれるものだから、杉良太郎に見つめられたおばちゃんのようにくらくらしてしま う。内容はあちこちの著作ですでに触れられているものだからさして目新しいものはないけれど、いわば楽屋裏的な取材の折の体験談や、たとえば柳田国男の文 章とリズムについての短い詠嘆、明治の新しい時代の空気の中で歌舞伎に対して漱石は「野蛮人の芸術」と否定し、鴎外は筋書きを近代化するという折衷案を唱 え、荷風はそのまま残せと主張した話、また明治天皇崩御を受けて乃木将軍が追い腹で死んだ記事について志賀直哉が日記に「大馬鹿者なり」と書いてから訪ね てきた武者小路実篤と連れ立って遊郭へ遊びに行ったエピソードなど、話の合間にぽろりぽろりとこぼれ落ちる断片が心に残る。そして相変わらず話はあちこち に脱線して、「(江口の遊女について)とても残り一時間じゃ話終わらない。もう一回、日にちを設定して続きをやるから」と、最後は大好きなインドネシアの 旅の話となって9時頃に閉幕となった。続きは10月30日(金)。わたし的にリアルタイムな飛田新地(鯛よし百番で最近、飲み会をしたらしい)や、インド ネシア・トラジャの「赤ちゃんの木」の話も出て、特別に感慨深かった。遊女の聖性というものについて、また、いまの時代のこの国で聖性を宿している存在が いったいあるだろうかなぞといったことを、沖浦先生と漫画「タッチ」のような見つめ合いを時折交わしながらわたしはずっと考え続けていた。さて講演が終 わって、出席者の多くは互いに知り合いのようで三々五々に集まって話をしているところを、わたしはビジネス鞄を抱えてさっさと立ち去る。大阪天満宮駅への 出入口前の歩道で煙草に火をつける。遊女のことばかり考えていたせいか、何だか急に人恋しいような心持に囚われて、今宵は誰かと酒でも呑みながらそんな話 をしたいと渇望しながら、結局じぶんはさびしい人間なのだと諦めて奈良行の電車に乗り込んだ。今夜からYがまた子を連れて実家へ行ったので余計にそんな心 持がするのだろう。久宝寺経由のつもりで乗ったJR線は延々と走っていつの間にか京田辺だった。真っ暗な車窓をぼんやりと眺めて聴いたジャニス・ジョプリ ンのいくつかの曲と、リチャード・マニュエルの歌う Hobo Jangle がいつになく腹に沁みた。あの狂おしい、着地点のない流れの感覚だ。

 

 以下、講演会での断片的な覚書をいくつか。

● 淀川は度重なる改修工事を経てきている(それだけで一冊の本が書ける)ので、遊里が活況を呈していた「江口の里」も地勢的に当時とはだいぶ様変わりしてい ると思われるが一見の価値はあるのでぜひ訪ねてみて欲しい。大阪の守口市に近い。沖浦先生が取材した1960年代にはすでに人家もない茫々たる砂地であっ たが、現在も電車とバスを乗り継いでいかなくてはならない。

淀川歴史散歩「江口の里」 http://www2.kasen.or.jp/yoshibue/yoshi22/yoshi_5.html

 

●「色道大鏡」。江戸時代、元禄初期に町人・藤本箕山書かれた全国の遊里百科本。これまで古書で10万円の値がついていたが、最近復刻版が出た(それでも2万円)。学生時代に現代版「色道大鏡」をものにしてやろうと決意したが適わなかった(と笑わせた)。

毎日JP「今週の本棚」 http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2006/09/20060910ddm015070199000c.html

アマゾン http://www.amazon.co.jp/%E8%89%B2%E9%81%93%E5%A4%A7%E9%8F%A1-%E8%97%A4%E6%9C%AC-%E7%AE%95%E5%B1%B1/dp/484069639X

 

● 奈良・生駒の宝山寺に所蔵されている世阿弥の自筆資料。長らく金春太夫家に所蔵されていたが明治の折に一時金春家自身も職を失い、当時の宝山寺貫主隆範が 金春家出身だった縁もあって宝山寺が保管するところとなったらしい。この中に有名な夢幻能「江口」のいわば台本があり、観阿弥の原作を世阿弥が手を加えて 修正していく過程が見られる(たとえば江口の君が観音菩薩として昇天していく場面を普賢菩薩に変えたりとか)。これらの資料は毎年夏に虫干しも兼ねて能楽 関係者に公開されるそうだが、奈良女子大の素晴らしい「電子画像集」のページで閲覧できる。

奈良女子大附属図書館「電子画像集」 http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y01/

世阿弥と金春禅竹・「精霊の王」を読んで http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_437/yurin4.html

 

● 平安期には「淀川河口の江口・神崎・蟹島、瀬戸内海に面した播磨の室津、近江の鏡宿、美濃の青墓・墨俣など、、遊女がたむろしている港町や宿場があった」  特に訪ねて欲しいのは遊女発祥の地とも伝わる室津で、「きむらや」という料理旅館に「夢二の部屋」というのがあり、魚も旨い。美濃の青墓もおすすめ。

室津街道 http://www.geocities.jp/ikoi98/murotsukaidou/murotsukaidou.html

青墓・傀儡子たちの宿 http://moon.noor.jp/srg/ogiwara/ru-fujin/html/aohaka.htm

 

● 大江匡房の「遊女記」はごく短いものだが、第1級の史料で、文章も素晴らしい。大江氏はもともと葬送儀礼を司っていた土師(はじ)氏の末裔で、貴族の中で はおそらくもっとも低い位であった。桓武天皇の時代に「土師」の名を嫌って改名を許され、大江氏・菅原氏・秋篠氏などへ分かれていった。遊部の末裔が「遊 女記」を記したところが面白い。

土師氏と童謡(わざうた) http://haretaraiine156.blog40.fc2.com/blog-entry-38.html

 

●「群体・ボルボックス」。沖浦先生を交えた研究会、フォーラムなどを主催。わたしも早速、メルアドを登録してもらった。詳しくは下記まぐまぐページか、事務局の桐村彰郎さん(奈良産業大学の先生らしい)まで。

まぐまぐ http://archive.mag2.com/0000289585/index.html

群体事務局 e-mail GZT00045@nifty.ne.jp

 

 帰宅して深夜、最近の阿倍野関連の図書をアマゾンで注文した。渡辺一雄「乱・大塩平八郎」 (広済堂文庫)佐伯 順子「遊女の文化史」(中公新書)加藤政洋「大阪のスラムと盛り場・近代都市と場所の系譜学」(創元社)

2009.9.12

 

 

 



 

 

 

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