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■009. 綿井健陽監督「リトルバーズ イラク戦火の家族たち」 (2005.12.10)
7日、水曜午前。市民ホールでドキュメンタリー・フィルム「リトルバーズ イラク戦火の家族たち」 (綿井健陽監督)を 見た。臓腑にこたえた。全身がわなわなと顫え、いつしか血のような涙が頬を伝い流れ落ちたが何故かそれを拭うまい、いや拭うべきではない、と思った。涙は とめどなく溢れ出た。止まらなかった。まるでじぶんが巨大な圧縮機の中につめこまれたような気分でじっと画面を凝視し続けた。激しく憎悪した。この不合理 を成り立たせている、すべての欲望を、冷酷さを、無関心を。この国のメディアはいったい何を伝えてきたのか。屁のようなものだ。わたしたちの想像力はいっ たい何を考えたのか。屁のようなものだ。屁のような取り澄ました日常を、おのれ自身を憎悪した。けっして許すまいと誓った。呆然自失といった態でホールを 出た。煙草に火をつけて吐き出した。おだやかな平日の青空が目の前に広がっていたが、それは偽装された青空だった。反吐が出た。脳味噌が飛び出した幼いわ が子に必死で吸入器をあてがう父親の姿が脳裏に焼き付いて離れない。あの父親の身を切るような慟哭に、無惨に変わり果てた姿で横たわっていたあの幼子の寄 る辺なき魂に、この世界の中で、いったい誰が向き合えるのか。「餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと思考が戦闘化してもいいのでは ないか」(辺見庸) わたしはいま、確信をもって“YES”と言おう。屁のようなものすべてを粉砕してやりたい。少なくとも、あの戦争を支持した国に住ん でいるわたしたちには、“少女は天国の鳥になった”などといったことは、言えまい。わたしは、わたしの立っているこの地面を、憎悪する。
この映像を観てほしい。なにがなんでも観てくれ。そしていま一度、自分の頭で、静かに、静かに考えようじゃないか。あの戦争とはいったいなんだったのか。いや、そもそもあれは戦争だったのか・・・。あまたあるイラク映像のなかで,私はLittle Birdsに最もつよく心揺さぶられた。
(辺見庸)
...その一方で、日本が、日本人が自ら問い続けなければならない言葉もある。
「 You And Bush 」(お前とブッシュは同じだ)
「 How many children have you killed today? 」(お前たち、きょう何人の子供を殺したんだ?)
「お前」「お前たち」とは、アメリカや米軍だけではない。紛れもなく「私」「私たち」のことだ。そう思っておいたほうがいい。イラクのためにも、日本のためにも、自分のためにも、本当にそう思っておいたほうがいい。
戦火のバグダッドで私が出会った人たちからの問いかけ、そして殺されていった人たちからのメッセージだった。
(綿井健陽)
リトルバーズ公式サイト http://www.littlebirds.net/
中川敬のシネマは自由をめざす! http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/nakagawa/cinema/cineji.pl?phase=view&id=156_littleBirds
2005.12.10
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