005 和歌山県立美術館 「没後10年 遺業・泉茂」展

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■005. 和歌山県立美術館で「没後10年 遺業・泉茂」展 (2005.5.9)

 






 子を連れて行ったこども科学館の休館の穴埋めに、たまたま寄った和歌山県立美術館「没後10年 遺業・泉茂」展を 見た。大正時代に大阪に生まれ、73歳で没したこの画家をかつて知らない。ひんやりとした白い館内を歩くだけが愉しみのような子を義父母らにまかせて、ひ さしぶりにYと二人で肩を寄り添いしずかに歩をすすめれば、素朴な田舎の風景画からはじまり、幻想的なエッチングがあり、叙情的なリトグラフと油彩があ り、孔雀の羽の拡大から、青と白だけのドローイング、そしてときにポップアートのような、ときにアルミのような幾何学的・抽象的な造形へと画家の表現は変 遷を重ねていく。「昨日と今日でさえ、人は変わっているでしょ。でも変わっているとは気づかない。こうやって描かれた表現を辿っていくと、人が変わってい るということがよく分かるね」 Yの言葉に思わず肯く。晩年、画家は自ら「雲型定規」と称するモチーフを追求する。それは最初、キャンバスの中心に拭いが たい自我のようにどっかと腰を据え強烈な自己主張をする巨大なオブジェの周辺に散らばる(湧き出でた?)無数の木の葉のような形として生まれてきた。それ らが次第に増殖し、中心のオブジェを包囲し、いつしかオブジェは霧散して、代わりに周縁であった無数の木の葉・「雲型定規」が画面いっぱいに列を成し、飛 び交い、漂い、最晩年の作品ではまるで涅槃の蓮華の花弁のような集合となり、強烈に、だがこのうえない静謐さでたゆとうていた。画家はそこで絵筆を断った のだった。まるで釈迦の足跡を巡る地に建てられたストゥーパの内壁に描かれるに相応しいような見事な心像風景であった。造形というものの底深さを感じなが ら会場を出た。

 

■みやざきデジタルミュージアム http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/category/art/hanga2.html

2005.5.9

 

 

 



 

 

 

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