004. 新宮 お灯まつり

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■004. 新宮 お灯まつり (2005.2.8)

 






 2月6日、午後6時。神倉神社の前に立っていた。狭い境内と民家を隔てる用水路上に朱塗りの太鼓橋というちいさな橋がかかっていて、祭の参加者以 外はそれを渡れない。私がいるのは水路のこちら側だ。ちょうど石段を下りきったところの鳥居が正面に見え、ヘルメットに防寒着姿の消防・救急隊員が待機し ている。右手の社務所の前には警備本部のテントが張られている。その横手に楯を持った機動隊が整列し、太鼓橋を渡った上り子の男たちはその前を通りすぎて 暗い石段をゆっくりとあがっていく。みな白装束で腰に荒縄を巻き足は草鞋、手には板木(祈願の墨書や神社の印が押されている)を五角錐の形に組んだ松明を 持ち、互いにすれ違うときにそれを打ち合わせて「タノムゼ!」と声をかけあう。バシッと小気味の良い音が響く。松明の空洞部分には長いカンナ屑が詰め込ま れていて、頭から出したそれがライオンのたてがみのようにわっさと揺れる。一人の若者がふらふらと仲間内からはずれ、鳥居の下に崩れ落ちる。泥酔している らしい。仲間が立たせようとするのだがどうにも儘ならずその場に捨て置かれる。しばらくして通りかかった若者グループの一人が彼を見つけ「おっ」と嬉しそ うに指を指し歩み寄ったかと思うと、こちらも仲良く並んで崩れ落ちた。仲間たちが二人を無理矢理抱きかかえるようにして登っていった。何が原因であったか 喧嘩も始まる。「なんじゃい、ワレ」と声を荒げ、ど突き、もみ合い、松明で叩き合う。石段を登る前から白装束は早くもぼろぼろだ。装束を自らはだけて腕の 入れ墨を見せるチンピラもいる。地元の青年団らしいこちらも白装束に身を包んだ男たちが間に割り込んでなだめ引き離す。いったん引き離した片方が、石段の 中途の暗がりでもう一方の登ってくるのを待ちかまえていて再びもみ合いになり、二人とも石段から転げ落ちて動かなくなって担架で運ばれることもあった。上 でもそんなふうに喧嘩や石段を踏み外して怪我をしたりがあるらしい。やはり救急隊員の担架で運ばれて来たり、腕をかかえたり、血だらけの頭を抑えたりして ふらふらと下りてくる男たちがいる。途中の迂回路を下ってきて、石段の橋で倒れ込み動かなくなる者もいる。自力で歩ける者には救急隊は手を貸さず、鳥居か ら暗い足下を懐中電灯で照らしてやる。中には応急手当をしてもらい再び上へ上がっていく者もいる。上り子は若者だけではない。年寄りもいるし、子どもたち もいるし、1歳くらいの赤ん坊を背負って上がっていく若い父親も幾人か見かける。山伏姿の僧侶の一団が上がり始め、やがて最後の上り子が太鼓橋を渡り終え ると橋は閉ざされ、整列していた機動隊はいったん解除を命じられた。後には静寂と、震えるような寒さが残った。この日、鳥居をくぐって暗い石段を登って いった上り子の数は総勢2,300人。かれらは山の中腹に鎮座する巨大なゴトビキ岩の懐にぎゅうぎゅうに押し込められ、やがて松明に順次火がうつされ熱と 煙で燻された後、鉄の門扉が開いて闇に続く石段へと一斉に解き放たれるのだ。

 

 ときおり、山の上から短いどよめきが聞こえてくる。見上げると、樹の間の透けた一点がうっすらと赤く滲んでいる。霊気のようなふわふわとした白煙 が石段をたなびき降り、境内を漂い始める。燻した匂いがする。午後8時頃。静寂を破ってさいしょの一人が石段を駆け下りてくる。跳ぶような勢いだ。「めっ ちゃカッコいい!」と私の背後で女の子が思わず大声を上げる。もう二人。四人。一人が鳥居の下で一回転をしてそのまま走り去る。第一陣の天狗たちが駆け抜 けていくと、しばらく間をおいてあとは割合ゆっくりとしたペースでぞろぞろと降りてくる。ワッセワッセと声を上げながら、ときおり消えかけた火を熾すため に短くなった松明を石段に叩きつけている。腰に巻いていた縄がほどけて肌を露わにしたり、草鞋が脱げて裸足だったり、白装束もぼろぼろに裂いて泥だらけ だったりする者たちも多くいる。しばらく見てから人だかりを離れて路地を抜けた。後部を開いた救急車がバックで入りこんでくる。すでに石段を降りた上り子 が駐車場の隅で長い放尿をしている。松明の残骸や燃えかすが路上のあちこちに散らばっている。家々からオバチャンや老人たちが出てきて見上げている。ゴト ビキ岩が見えるあたりまで来て、山を仰いだ。山の中腹にうねうねと火の筋が連なり、聞こえぬ声や息遣いが聞こえた。山が生きているようだと思った。嬲ら れ、嬲り、愉悦の声を漏らしているようだった。しばらく立ち続けてから、寒さと空腹を思い出して町中へと歩き出した。日曜のせいか祭のせいか営業している 店はまばらだ。あちこちで家族と合流して、あるいは一人で、家路につく上り子たちとすれ違った。神社の参道と直角に交わる国道の交差点では大勢の若者たち が集まり、拡声器を持った警官が「祭は終わりました。解散しなさい」と繰り返していた。道沿いに楯を持った機動隊が十数人ほどきまじめな顔で整列してい て、こちらをちらちららと見る。一軒のさびれた中華屋に入った。予想通りラーメンも餃子も大して旨くはなかったが、温かいスープが冷え切った体に心地よく 飲み干してしまった。上り子姿の小学生の子ども二人を連れた年輩の夫婦が店のオバチャンと喋っていて、草鞋を脱がずに上がり框でラーメンを啜っている旦那 が「ウチは娘だから、近所の子を預かってきたんじゃ」と笑う。かれらが出て行ってから私も勘定を頼むと、店のオバチャンは釣り銭を寄越しながら「あんたも 男なら見てるだけじゃなくて登ってこなきゃ!」と宣うのだった。まったく、そのとおりだった。

 

 翌朝、5時に目が覚めた。身支度をしてホテルの裏口から抜け出た。ひっそりとした神倉神社の鳥居をくぐり、暗闇の中の石段を目を凝らして獣のよう に黙々と登った。ゴトビキ岩の社殿の前に腰かけて日の出を待った。凍るような寒さと風と、舐るような樹木の暗がり。長く辛い時間を息をひそめてじっと動か なかった。やがて、いつしか空が徐々に白ばみ始めた。熊野灘の地平線が一瞬、薔薇色にくっきりと輝き、薄い雲間からオレンジ色のぷよぷよとした産み立ての 卵の黄身のような太陽がゆっくりゆっくりと昇っていった。まるでじぶんが古代の王にでもなった気分だった。目眩がしそうだった。「だいぶ拾えたかい?」 「もうすっかり見たよ」 くたびれたパーカーをまとった顔見知りらしい老人の男女が言葉を交わしている。どうやら早朝から祭の“落とし物”を拾いに来たの らしい。見ればそこら中に昨夜の興奮の痕-----松明の残骸やかんな屑、燃えかす、草鞋、荒縄、踏みつけられた煙草や壊れた百円ライター、手拭い、ワン カップの小瓶、使い捨てカメラなどが散乱しているのだった。老婆は私の顔を見て「おはようさん」と乱杭歯を覗かせて笑った。

 

御燈祭の動画 熊野街道.COM http://www.kumanokaido.com/movie2/movie2.htm

熊野大辞典 御燈祭レポート http://www.kumanogenki.com/oto_2005/oto_maturi_2005.html

御燈祭見聞 文芸誌「プレアデス」3月号 http://www1k.mesh.ne.jp/ipl/bungei/1999/bungei99_03.htm

そまのおさんぽフォトアルバム http://www.mikumano.net/photo/33.html

2005.2.8

新宮行補遺。

 出発の日。日曜で幼稚園が休みだったチビは「行くな」と泣いてしがみつき離れなかった。あまりの激しい泣き様に「こんなに泣くなんて滅多にないの に今日はヘンだね。悪い虫の知らせだったってこともあるからね」とつれあいは平気な顔で不吉な物言いをし、不安になった私は天辻の山越えを止めて田辺経由 の海沿いの安全なルートに変え、道中は後続車をすべて先にやって平均50〜60キロの安全運転を最後まで頑なに通したのだった。

 以前のバイクに貼っていたのと同じ御守りのステッカーを新しいバイクにも貼ろうと本宮大社に立ち寄ったら社務所の棚からなくなっていた。いつものように大斎原の真っ白な河原に出て、しばらく魂を呆けさせた。

 前日に予約した宿は、20代の頃に何度か利用した格安なおんぼろビジネス・ホテルだ。自分ひとりならそれで充分。5千円弱でパンと茹で卵とコー ヒーの朝食付きで、洗濯機と乾燥機が自由に使え、自転車もサービスで貸してくれる。御燈祭の見物を終え夕食を済ませてから、コンビニでつまみと「熊野川」 という地元の生酒の小瓶を買って部屋で呑みながら、テレビで新月の夜に伐採した樹は長持ちするというオーストリアの樵の深夜番組を見た。画面は吉野の山に 変わり偶然にも、日本でも昔から旧暦の正月の夜の伐採の伝承があり、それは見事に新月の夜であったというものであった。出演した京大の学者は、生命はもと もとすべて海から生まれた。そのときの潮の満ち引きの痕跡を、植物も何らかの形で残しているのかも知れない、と語っていた。

 祭の引けた神倉神社で燃え残った松明を拾って帰った。ふつうの松明は板木を五角錐の形に組んで中は空洞になっているのだが、拾ったそいつは材木を 五角錐の形に削り燃えやすいようにノコで刻みを入れたものだった。木刀のようにずっしりと重い。帰ってから御燈祭関係の地元の掲示板を覗いていて、喧嘩用 に用意された松明だと知った。こんなのを持って走るんだよ、とチビに渡したら目を丸くしてしげしげと掲げた。

 本宮大社の近く、伏拝におばあちゃんの家があるという職場のY君のリクエストで帰途に湯の峰に立ち寄り温泉水を汲んで帰った。温泉水は10リッ ター100円なのだが準備不足で近くの煙草屋で急遽求めたポリタンクは650円もした。職場に寄って職場のコーヒー用に2リッター、Y君宅用に2リッター を給水。家に持ち帰ったら、まだ生温かい匂いを嗅いだチビは「くっさー」と鼻をつまんだが呑んでくれた。便秘に効くという。

 十津川役場に隣接する村営物産展の二階にあるそば処・行仙は、初めて入ったのだがなかなかイケる。地元・十津川産と北海道の新十津川村のそば粉を使った一品とか。かつて寝袋・テントを背負って越えた山の稜線を眺めながら食した。

 山路をうねうねと辿っていくことは山を呼吸することだ。深山の大杉や山の中腹に坐す巨石や子宮のような河原の中州に身を置くことは、そこに共に在ることを祝福されることだ。それ以外の何物でもない。

2005.2.10

 

 

 



 

 

 

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