■日々是ゴム消し Log33 もどる

 

 

 

 

 

 仕事初日。駐車場出入り口の交通誘導は見ているよりも案外と難しいが、馴れてくると結構面白みもある。車の流れをさばいているような快感、か。きれいに道が開いた西の正面に二上山が見えているのもいい。あとは店内の巡回と簡単な掃除など。トイレに行っている間子どもを見ていてくれないかと若い母親に頼まれた。母親が消えた途端に激しく泣き出すが、ベビー・カーから抱き上げて抱っこをしてやると泣きやんだ。丁寧に仕事を教えてくれたTさんは40代だろうか。7年近く、この仕事をしているという。交通費を浮かすために、大阪の寝屋川の自宅から生駒山麓の峠を越えて自転車で現場まで通勤してくる。

 チビは今日はじいちゃん・ばあちゃんらと西大寺まで行って、シャツやストッキングやケーキなどを買ってもらった。昨夜ははじめて私やつれあいのいない別室のばあちゃんの布団で寝た。ちょっぴりお姉ちゃんになったかな。

 

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 予報どおり一日中雨。一日中冷たい雨のなかを立ちっぱなし。雨に煙って二上山も見えない。ずっと Swing Low, Sweet Chariot を口ずさんでいた。なぜかこんなときはゴスペルがよく似合う。ゆっくりと、ときには軽快なテンポで。

2003.2.22

 

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 休憩時にいく場所。駐車場の裏手にある小さな溜池。二羽のアヒルがいる。両側にそれぞれ数棟づつ、スーパーで売っている百円のショート・ケーキのような分譲住宅が並んでいる。「好評分譲中」「モデルハウス」といった旗が揺らいでいる。池の金網を背に座り煙草を吸っていたら、いつの間にか背後にアヒルの一羽が池からあがりこちらを見あげていた。可愛いやつだな、チビみたいだな、と思う。娘は昼間私がいないので、帰ると前よりもべったりになった。昨夜は一日雨に打たれて疲れていて、食事のときもまとわりつくので思わず「ご飯が食べられないじゃないか」と声をあげると、母親の膝の上に顔を伏せ「お父さんに叱られたの」と呟いてそのまま動かなくなった。だからアヒルを見たとき私の胸は、すこし痛んだ。今日は食事の後でいっしょに紙粘土のハイジで遊び、「シロとクマ」に仕上げのニスを塗り、図書館で借りてきたという新しい絵本を読んだ。図書館へ行くとき、「お父さんはバイクで行っちゃって、シノちゃんは自転車で行くんだね」と話をしてから、「お母さん、ハイジの歌を歌いながら行こうよ。シノちゃんは“お父さん、マッテ”って言うから」と言い、つれあいが自転車をこいでハイジの歌を歌っている間中ずっと、うしろの席で「お父さんマッテ、お父さんマッテ」と言い続けていたという。

2003.2.23

 

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 二上山が一直線に見下ろしている。いや二上と私が一本の糸に結ばれて、真昼の幻影のように街の喧噪から浮かび上がっている。糸の両端がおなじ高度まで引きあげられたような浮遊感と高揚。地上のざわめきが、一切の音が立ち消える瞬間。不思議な静謐と、のっぴきならぬ緊張と。おなじ古代からの奇怪な魂を有している。阿弥陀仏をさかさに吊るしている。それが、すがすがしい。

2003.2.23 深夜

 

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 昼、ベビー用品店のバックルームで姦しい女店員らのお喋りに囲まれ手弁当を口に運びながら、今福龍太がペルーの豊穣なケチャ語世界について考察する魅力的な文章を読む。インディオのハープ奏者たちは6月のある夜、山深い滝の下に立ちじっと耳をすませる。そして祭りのあいだ中、川から与えられた「始源の輝き」をたたえたその音楽を人々の心に向けて奏でる。

 

 ....サンボリストの詩人がやったように、自然に向かって自己の想像力をもてあそびつつ聞き耳をたてるのではなく、インディオは自然の奏でる旋律をそっくり盗みとるために、夜の闇のなかで滝の音に聴覚を集中するのだ。想像力や美学の起源が、人間の精神活動のなかにあるとする西欧近代の二元論的理性は、ここでは破産しかけている。インディオの世界では、自然の方が、こうした美学や創造性の基本となる一種の整序されたロジックを体現しているのである。

今福龍太・荒野のロマネスク・岩波現代文庫

 

 また今福はケチャ語について書かれたペルーの作家、ホセ・マリア・アルゲダスの次のような言葉を紹介している。

 

 ケチャの物語は、生命の動きを、風景を、そして地上の最も微小な空間とそこで行動する主人公を叙述する。しかもその語り方が驚くべき精度と深度に達しているため、自然と生物世界-----動物・人間・植物-----は信じられないほどの親和性と、生命体としての結束をもって現れてくる。これらの物語の世界では、すべてのものが、いわば「音楽的」とも呼びうるコミューンのなかでうごいているようにみえるのである。

 アンデスの音楽は、いまだに生き物を見るのと同じやり方で世界を見ているような人々によって、創り出された。その音楽はまるで彼らをとり囲む山々の、峡谷の、そして木々の光のつくりなす神話的なイメージから芽生えたもののようにみえる。

 

 インディオたちが笛と太鼓以外の楽器を長いこと知らなかったり、かれらが旋律や和声といったものに興味がなかったことは極めて示唆的である。つまりかれらの音楽は反政治的であり、かれらの喋る言葉は反言語的なのだ。そこには私たちが近代化の過程でとりこぼしてきたモノたちの隙間を撃つ、懐古的でない新しい未来への可能性が秘められているような気がする。つまりそれはゴッホの描いた一枚のヒマワリの絵のように、私たちの言葉や音楽のありようが変われば、世界は自ずと変わるといったような、そんなやわらかで確かな予感である。歌によって、言葉によって、世界の有り様はきっと豹変する。「インディオが歌うとき、かれは、自分自身の声を放棄して、他人の新しい声を借りる.....」とル・クレジオは記している。

 

 

 今日は休日。つれあいが美容院へ行っている間、チビを郡山城へ連れていった。濠のアヒルを見て、本丸跡の高台にのぼり、松ぼっくりを拾い、神社の裏手の石仏と話をして、鳩を追いかけ追いかけられ、元藩主の古文書などを展示した柳澤文庫(入館無料)を見て、館の前につながれていた大きなゴールデンレトリバーとしばし戯れ、帰りに駅前の人気のある小さなコロッケ屋でコロッケを買って帰ってきた。夕飯はつれあいのリクエストでひさしぶりに鶏肉とさつまいものクリーム煮。私が皿を洗いながら Mavis Staple の歌う Swing Low, Sweet Chariot のCDをかけていたらカスタネットを手に陽気に踊り始め、モイッカイと何度もリピートさせるので結局サビの部分を覚えてしまった。

2003.2.26

 

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 終日、青い、ただ青ばかりの伸びやかな空をときおり仰ぎ見ながら、次のようなアメリカの医学者ルイス・トマスの言葉を思い出していた。「大気は生命の一部であり生命の所産である。いろいろ考え合わせれば、この空は奇蹟的な偉業である。空がこのようなものであることを讃えなければならない。その大きさと機能の完璧さにおいて、空はあらゆる自然の共同製作品の中でも、図抜けて偉大なものである」

 今日の夕焼けは、まるでこどもがまっ赤な木炭(そんな色があるとすればだが)で無数のヒコーキを空いっぱいに描いたような、そんな壮麗な雲と夕陽だった。ほら見てごらん、すごく愉しそうな夕焼けだよ。私は駐車場で遊んでいる子どもに思わずそう話しかけたい気分になった。そして、あのネイティブな人たちなら、この夕焼けの向こうにどんなものを見て取るのだろうか、と考えた。

2003.2.28

 

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 チビと二人でベランダで夜の雨を見ている。お父さん、だっこしてよ。抱き上げたチビはベランダの外に小さな手を伸ばして雨粒を受ける。彼女の開かれた掌はたちまちに雨粒をたっぷりとまとう。掌がくるくると羽子板のように回る。そうして雨を感じながら、雨と戯れながら、雨を驚きながら嬉しくてたまらないといったふうに、幾度となくこちらに笑みを返してまた雨を受ける小さな手を見つめている。神さま、こんな素朴な喜びをどうか私にも分け与えてください。彼女の小さな肉と魂を通して。

2003.3.1

 

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 Yさんはふだん保険の外交員をしていて、週末だけアルバイトで警備の仕事をしている。そんなに働かなくちゃいけないんですかと思わず言うと、いや稼ぎが少ないからと苦笑していた。長年勤めていた信用金庫が数年前に破綻した。遅くできた一人っ子の娘さんはまだ小学生だ。物腰のやわらかな、誠実そうな人柄。

 Nさんはもう60代だろう。いつもは県営の競輪場の現場を受け持っているが、応援で一日だけ回されてきた。根っからの河内っ子で、河内弁を少し教えてもらった。いまでは余程の年寄りしか使う者はいないという。関東炊き(おでん)は子どもの頃はおやつで、学校帰りの駄菓子屋でよく買って食べた。大勢で行って店のばあさんを相手に本数を誤魔化したり、お金を払っていないのに「さっき百円渡したよ」と嘘をついたり。むかしは悪さといってもそんな無邪気なものだったと懐かしげに言う。

 

 子どもを連れた若い父親。私とおなじように溢れんばかりの愛情を注ぎ、愛おしいやわらいだ表情を見せる。だがそのおなじ人間が、平気でチューインガムをそこらの路上に吐き、駐車の列に割り込み、利用したカートをそこらに放り出し、誘導を待ちきれずにいらいらとクラクションを鳴らす。つまりそこには明確な断絶があるのだ。それが私たちの世界だ。「平凡な幸せがいちばんだよ」と誰かがしたり顔で私に言うとき、それはそんな世界のことを指している。

 

 ところで私はいまや働いている。しがないアルバイトの待遇で、賞与も有給休暇もないし、胸を張れるような立派な仕事でもないが、かろうじて家族を食わせることはできる。労働は労働だ。それで私は次のようなことをきっと、こんどこそは誰にも文句を言われずに言うことができるのだろう。労働が神聖なものなどとは思っちゃいない。働くことが尊いなどとは思っちゃいない。働かない者に向かって働けなどと言う権利は何人といえどもありはしない。不登校の子どもが学校に戻ると大人たちは単純に安心して「よかった」と胸をなでおろす。何も変わっちゃいないのに。盲の形式主義者たちよ、あんたらの守りたいモノとは何なのか。だから私はこう言ってみたいね。私が働いていない間にそのことについてあれこれと説教じみた言説を垂れてきた人たちよ、こんどは逆にあんたたちがじぶんが働いていることの意味について、あんたの日々の在り方について、根本から考えるべきじゃないのか、と。

 

 いつも休憩に行く小さな溜池。真新しい分譲住宅に挟まれて猫の額ほどの休耕地がある。一面に背の高い名の知らぬ雑草がぎっしりと茂っていた。子どもの頃によくチャンバラの刀に使った茎の太い雑草だ。数日前から腰の曲がったじいさんがその茂みに埋もれるように雑草を刈り取っていた。今日ひさしぶりに溜池へ行くと、そこは一面きれいに刈り取られていた。ちょうど最後に刈り取った一抱えもあるその一束を古い車椅子に乗せて、その端の田圃の真ん中でじいさんが腰をかけて休んでいた。耳まで覆った黒い防寒帽をかぶってじっと佇んでいるじいさんの横顔はちょうど雑草の束に隠れて首だけ黒い不思議な肖像のように見える。それがまるでつげの漫画に出てくる一場面のように見える。今日はスプリング・セールと銘打った売り出しの最終日の日曜で、うんざりするほどの買い物客が車で大挙してやってきてへとへとに疲れた。そんな大型ショッピング店の売り上げより、じいさんの仕事の方が健康的に思えたのだ。いや健康的というのは語弊があるかも知れない。人がモノを買うのはべつに不健康なことではない。そうではなくて一面きれいに刈り取られた猫の額ほどの休耕地と古い車椅子に乗っかった雑草の束を見たときに、おおじいさんやったなと素朴な感動と不思議な共感を覚えたのだった。何でもない光景だが心に残る。昔、東京の書店で働いていたとき、夜遅く帰り道の歩道橋の階段の途中で浮浪者のようなじいさんに煙草の火を貸してくれないかと請われた。じいさんの口元には路上で拾ったらしいシケモクが銜えられていた。私はポケットにあった喫茶店の紙マッチと、それから思い立って残りの煙草をぜんぶそのじいさんにくれてやった。あの日、私はひさしぶりに「ニンゲン」に触れたような気がしたのだった。どこか、そんな感じに似ている。

 

 今日は夜おそく、NHKの教育テレビでチビと二人、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタの演奏を聴いた。茫洋とした狂おしい春の野道を目隠しで突き進んでいくような、そんな心地がした。

 

 昼休み。ぼくは相変わらず休憩室の姦しい女店員たちのお喋りの中で「荒野のロマネスク」を読み継いでいる。同僚の他の警備員の人たちは気を使うからといって汗くさく狭苦しい隣の着替え室でこっそり昼食を済ませているが、ぼくはそんなものは気にしない。今日は煙草を吸いに来た店長がはじめて「何を読んでいるの」と訊いてきた。「ん---。文化人類学、ですかね」「へえ、なんだか難しいのを読んでるんだね。誰の本?」「今福龍太という大学教授です」 店長はあとは曖昧な笑みをしてみせるだけだ。

 

 根こそぎ奪い去られた場所への帰還と定住よりも、やすみない移動にかけること。償還による社会的・政治的・宗教的「シンメトリーの回復」をはかるのではなく、より開かれた現世的な意思表示を内部に育てあげながらさまよい、さすらい続けること。こう主張するサイードのポジションは、パレスティナ人の現状と、現代のぼくたち一人一人が持ちうる生の無数の可能性とのあいだにいくつもの橋を敷設しながら漠然とひろがる、あの空白の領域(テリトリー)を見据えるものだ。いまやぼくたちは、多かれ少なかれ、複数の〈場所〉、複数の〈文化〉によって「捕獲」されてしまった存在だ。そのことによってもはや、ぼくたちは文化的・民族的な意味で「正統性」を欠いている。「純粋性」を失いつつある。いやむしろ、自分たちのなかの差異の意識や個別性の感覚が、もう二度と一つの文化や一つの民族的伝統の連続性のなかに位置づけられることはないだろうということに、ぼくたちが気づきはじめたのだというべきかもしれない。サイードとならんで、ぼくに文化のノン・エセンシャリズムへのてほどきをしてくれたジェイムズ・クリフォードはこう書いた。「アイデンティティとは、本質的なものではなく、接続的なものだ」

 

 〈バリオ〉の思想は、非正統性の思想だ。正統性、権威、根源、アイデンティティ、ルーツ、本質、純粋性、純潔性といったあらゆるエセンシャルなものが、そこでは混血と融合とハイブリッドと多言語性の原理の側から揺すぶられ、荒野のただなかに押し出される。〈バリオ〉の道端にころがるコカコーラの錆びた空き缶に経済学的根拠を探すことをやめよ。やくざ者ルイの胸を刺し貫くナイフに社会学的犯罪理論は敗北を認めよ。国境を越えて無数に浸透する新しいメヒカーノたちの動きに人口学の権威は道をゆずれ。バリオにおいて、アイデンティティは魔術のようにして改修され、取り替えられ、組み合わされ、発明される。それはもう「故郷の庭」の伝統的で固定的な〈場所〉に根を張っている必要などまったくない。新しいアイデンティティは根によって保たれ成長するのではなく、風に乗って気ままに浮遊する花粉の受粉作用によって移植されてゆくからだ。

今福龍太・荒野のロマネスク・岩波現代文庫

 

 あの心地よい吹きさらしの荒野でヴァン・モリスンが歌っていたぜ。おれは無一文のろくでなしだが、はったりの覚悟だけはできている。「一目散に逃げろ、そこは無人地帯だ。その周波帯には誰もいない。助けてくれる者はひとりもいない。高速列車に乗って、どこに向かうわけでもない。ただ過去から遠ざかろうとするだけ」(Fast Train・2002)

2003.3.2

 

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 桃の節句。桃の花は580円もするからことしは買わなかったと彼女が言う。その代わり昼前から三人で雛祭りのケーキ作り。スポンジケーキをつくり、イチゴをはさんで生クリームを塗り、スーパーで買った雛人形等の飾りを載せた。一日雨でチビは幼稚園は休み。昼は私が18番のパスタをつくり、チビと二人で昼寝。夜はつれあいがちらし寿司とアサリのすましをつくった。夜、教育テレビでクローン人間問題の番組を見、つれあいが図書館で借りてきた雑誌「世界」の大江健三郎と加藤周一の「反戦」対談を読んだ。

2003.3.3

 

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 朝から厳しい冷え込み。冷たい横殴りの風にときおり小雪が乱舞する中を一日立ちっぱなし。夕刻、二上山が紫色に燃えていた。

 チビは大阪の泌尿器科。尿検査は異常なし。6月の膀胱造影の予約。つれあいは泌尿器科で数人のお母さんたちと顔見知りになってあれこれと話をするらしいが、今日は20代の本人が脊髄の障害をもつ女性と話をしたという。病院の待合室に布張りの大きな積み木を置いたプレイ・ルームがあり、チビをそこで遊ばせ、お弁当を食べて帰ってくる。

 帰り、チビは阿倍地下(阿倍野地下街)の花屋で立ち止まり、やおら「シノちゃん、お花買う」と宣言。それを見ていた他の客たちの「おやまあ、可愛いこと」の声に押されて結局、5個で400円の花の苗をチビが選んで買ってきた。

2003.3.4

 

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 クリナーメンとは詩的誤読そのものである。この言葉はルクレティウスの用語を借りたもので、ほんらい、原子の逸脱運動、すなわち原子が宇宙のなかで変化することが可能なように方向を変えてゆく運動を意味する。詩人は彼の先行者を脇に逸れるような形で誤読することによって、その先行詩にたいしてクリナーメン運動を実行する。これは彼自身の詩作のなかでは一種の修正的運動として現れる。そこでは先行詩の方向を忠実にたどりながら、ある一定の地点で、詩人は彼の新しい詩が生まれ出る方向に向きを変え、そこへ向けて一気に逸れてゆくのである。

ハロルド・ブーム「影響の不安」

 

ぼくは伝統の後継者だ
同時にまた伝統に対する反逆者だ
いわば厳格な父の命に背き、血のたぎる無謀な決闘に赴いてゆく、命知らずなチカーノの若者のようなものだ。

20年間、日中は町の広場に駐車する車の誘導をしながら働いてきたメキシコのあるインディオの音楽家のことを想いながら、ぼくは路上に立つ。
この狂おしくも冷徹な冬の路上に。

ぼくにとっての伝統とは、さしずめあの秀麗な二つの頂きだ。
継ぐべきもの、倒すべきものとしての二上山を見あげながら、ぼくはこうして立っている。
根のように、花粉のように。

2003.3.5

 

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 木曜。チビは整形外科とひさしぶりに再開のリハビリ。

 整形。/ 神経が麻痺していると、これから左右の足の発育に差が出てくる。つまり足の大きさが違ったり、高さや太さが異なったり。その点を胸にとどめておくこと。ただしこれらについては個人差がある。/ 左足首の下方への反りは、後で筋肉を入れ換えるときのために大事にとっておくつもりで。手術は成長期が終わるぎりぎりまで待って、最後の手段として行う。その場合足首は(装具をつけずに)正しいL字型(横から見た場合)になるが、上下に動かせるようになるわけではない。(ペタペタとペンギンが歩くような感じか) 走ることはできない。半年後に両足の発育差を測定するためのレントゲンを撮る。

 リハビリ科。/ 左足裏の土踏まずは思っていたより残っている。足の変形も予想していたより少ない。装具の減り具合から、前へつんのめりがちに歩いている傾向が見られる。体重は相変わらず右足を軸にして支えている。/ 装具はもう一度おなじものを作って、その後はゴム製のソフトな素材のものを使えるようになる(金属製の大仰なものは使わなくてよい)。/ リハビリは今回ふたたび40分の時間を取ってくれていて、バランスを取るために、主に大きな積み木を利用した段差の上り下りの練習。チビは「難しいなあ」などと言いながら、それでも聞き分けがよかった。

 整形でもリハビリ科でも、現状としては概ね良好な状態との由。リハビリの前の診察を担当しているI先生が歩き方を見て「シノちゃん、リハビリ休んでいたのに良くなってるよ」と苦笑する場面も。他に剥がれやすかった装具の裏の滑り止めも張り直してもらった。装具に合わせた特製の靴を洗ったときのためにもう一足作ってもらえないだろうかとのつれあいの問いに、育成医療の範囲で「修理」という名目でもう一足作ることができるとの返答。折をみてお願いしようかと話す。

 病院の待合室でつれあいは片足のない車椅子に乗った中学生の女の子に会う。女の子がトイレに行っている間に連れ添いの母親に訊くと、小学生のとときに病気で命を失うか片足を失うかの選択を迫られ、本人と相談した上で足を切って貰ったのだという。

 夜、チビは台所の食器棚のガラスに映ったじぶんの姿を見ながら盛んに「ジャンプ」をしてはしゃぐ。足首が儘ならないのでほんとうはジャンプにはなっていないのだが、両足をばたつかせて「シノちゃん、嬉しい嬉しいってジャンプするの。お父さん、見て」と笑いながら何度も何度も繰り返す。そんな無邪気な光景を隣室から見ていてつれあいは思わず涙をこぼす。「さあ、お風呂に行こうか」涙を打ち切るように私が言う。

 気がつくと私は店の駐車場を自由に駆け回っている幼子たちのその足首あたりをじっと見つめている。そんなときの私は、きっと哀しい鬼のような目をしているのだろう。

2003.3.7

 

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 セール最終日の日曜。広い駐車場を蟻のような車が埋め尽くし、巣を飛び交う蜜蜂たちのようにせわしなく出たり入ったり。思わず欠伸が出るほどに冷たい空気と強い風。分厚い雲が北風に運ばれて頭上を覆い、ときおり極小の木の実のような固い粒の雪をばらばらと落とした。二上山の雄岳の山頂にだけいつも陽が当たってた。あの斜面の岩場にもう一人のじぶんが立っているような気がした。

 

 インディオの言語は、まるで彼らが言葉を欲していないということを主張するためだけに発明された言葉にすぎないかのようだ。その簡潔さとは語彙や表現の簡潔さだけではない。インディオの言葉を覚えはじめてしばらくすると、人は必ず最初の大きな驚きにぶつかることになる。つまり、それが基本的に疑問形も否定形も持っていない言語である、という事実の発見だ。

 そしてそうした「イエス」と「ノー」とによるディジタルな言語的思考法の存在しないところには、「問い」という修辞のあや(トロープ)もまた存在しないのだ。タラスコ語の世界には、純粋な肯定だけがある。つまり、それはもはや肯定と否定という二項対立のなかでの肯定ではなく、発話と、発話の内容がカバーするリアリティーの世界とのあいだにいささかのズレも存在しないような状態に言葉が置かれたときの、限りなく純粋でおおらかな肯定のことだ。インディオの言葉は、いわば意味作用のゼロ度の地点から奇跡的に立ち上がる、それ自体充足した声、「ああ」という原初の詠嘆の声のようなものなのだ。

 

 もう一人の私は、歯の欠けた櫛のような雑木林になかばその身を埋もれて、ただじっと白い息を吐いている。

 

 

 やがて学校の体育の授業や運動会でみなが走ったり跳び回ったりしている様を、彼女はひとり校庭の片隅で黙って眺めるのだろう。そのときいまの彼女の快活さに測りようのない陰が落ちるだろうか。

 スティービー・ワンダーのCDが流れている。そのベスト盤の1曲目はビートの効いた Isn't She Lovely だ。チビは忽ち手拍子を打ちながらくるくると部屋中を駆け回り、「お母さん、これ、愉しいよ。ほら、おいでよ」と母親に呼びかける。そう、ほんとうに彼女は愛らしい。それはきっと変わらない。

2003.3.9

 

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 月曜。休日。朝から自転車で駅前の歯医者へ行き、その足で“幼稚園”に行ったチビの様子を見に行く。自閉症の男の子が唐突に近くの子の顔を激しく引っ掻き泣かせてしまう。チビはみんなが歌を歌っているあいだ、ひとり“北風小僧のカンタロー”を得意げに叫びつれあいに口を塞がれる。“幼稚園”が終わり、そのまま電車で西大寺へ買い物へ。近鉄百貨店。レストラン街のカプリチョーザで昼食。パスタとピザとライス・コロッケ、それにチビはイチゴのケーキを頬張る。以前にもらった商品券でつれあいはバーゲンの服を一着買う。服を選ぶとき彼女はいつも私の意見を乞う。私はファッション・センスは皆無に等しいが、彼女に言わせると、彼女の着る服に関しては良いセンスを持っているのだそうだ。チビはディズニー・ショップとオモチャ売り場で遊ぶ。木琴の順番待ちをしていてよその子に手を叩かれる。そのうち疲れて眠ってしまい、ベビー・カーを借りる。長野の物産展のような特設売り場。つれあいが信州のりんごの木の枝にその場でハンコを彫ってくれる店を見つけ、店の女性と話し込む。善光寺のそばに工房を持っていて、もともと木彫りが本職でハンコは余技だという。ハンコを彫るのは旅芸人の一座の座長のような物静かな中年男性で、店の女性は“センセイ”と呼ぶ。ちょっと出費かなと思ったが、何となく気に入ってつくってもらうことにした。二人で一時間近くかけて彫ってもらう枝を念入りに選ぶ。つれあいの希望でカタクリの花を添えてもらった。“センセイ”はわが家の苗字を見、枝を見、う---んとしばらく考え込んでから彫り出す。まるで林檎の木から湧き出たような文字のハンコができた。チビを起こし、パン屋で朝食用のパンを買って帰る。「シノちゃん、お花のとこへ行くの」とチビは近鉄前の舗道の花壇に添って歩き「わあ。きれ--い」と冷たい北風に吹かれながら小躍りする。駅からは自転車。「ほら、月が見えるよ」「お月さん、半分だね」「半分より欠けてるよ」チビとそんな会話をしながら帰ってくる。つれあいは「とっても愉しい一日だった」と笑っている。

 

 昨日火曜は四つん這いになって、グールドがバッハやショスタコービッチを弾いているビデオを見る。腹の下でわが家のハイジがもぐって山羊の乳搾りをしているのである。

 

りんごの樹のハンコ 注文先

〒380-0847
長野市大字長野西町1008番 おだ工房

材料・送料込み 2,300円
凡そのサイズと希望の柄(印側面の絵)を書いて郵便にて注文。

 

2003.3.12

 

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 障害者、被差別部落、若しくは天皇制なぞと聞くと、人の口はなぜか自然とこわばる。奇妙な言いにくさ、あるいは一歩引いた遠慮めいた心理が働く。だがじつは、その奇妙な言いにくさこそが、彼らとの垣根を高くし、ひいては神経症的な放送禁止用語や「チビクロサンボ」の絶版などといった息苦しさをもたらすのではないか。「障害は個性だ」と謳ったただ明るいだけの本がベストセラーになるのも、じつはそんな構造の裏返しにすぎない。一方で障害者や被差別部落の側の運動や主張も、“弱者”という錦の御旗をふり自らを聖化することによって、そうした“言いにくさ”を助長している側面もまた在るのではないだろうか。「障害者・被差別部落 = 弱者」という図式は果たして真に現実であるか。「弱者 / 強者」という括り分けは不変なものであるか。じつはそうした単純な二項対立の思考法にこそ、それらの構造を成り立たせている底深いからくりがあるのではないか。前向きに生きる障害者は「弱者」で、自殺する管理職のサラリーマンは「強者」であるのか。障害者や部落民というのは、いわば、与えられた表面的な「しるし」であって、個人の実存にまで穿たれた「しるし」ではない。

 「「弱者」とはだれか」(小浜逸郎・PHP新書)のなかで著者は次のように記す。

 

 これからの社会(成熟した都市社会)は、既成の共同性に安心してすべてを託すわけにはいかない社会である。私たちは、生活のさまざまな局面で、どうしても個人としての自己決定と自己責任を強いられる。本書の主題に即して言い換えるなら、与えられた「弱者」の共同性の枠組みに自分をゆだね、その既得特権に居直ることが許されない社会である。既成の共同性に全面的にたよるわけにはいかない社会では、だれもがある局面では「弱者」である可能性があると同時に、別の局面では「強者」である可能性がある。

 

 つまり著者は、〈自明なるもの〉としての古い枠組みにとらわれずに、それぞれがまず個人に立ち還り、個人的な経験や感性から、もういちどそれらの関係性について考え、話し合うことを提案する。

 

 自分の弱者性を神聖不可侵なものとして打ち出さずに、相対的なものと自覚しつつ打ち出すこと、既成の「弱者」共同体の威光に頼らずに、個人としての切実さをあくまでも個人の切実さとして提出すること。

 

 ほんとうは、私たちの一人一人が自らの内に、無数の「弱者」を抱え、おなじように無数の「強者」を抱えている。それらが合わせ鏡のように乱反射しているのが現代であると気づくこと。

 こまかいニュアンスまで伝える術もないが、さまざまな意味で新しい新鮮な視点を与えられた。私は以前記した「差別あるいは差異化についての覚書き」を、いつかもういちど書き直さねばならないだろう。

2003.3.14

 

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 土曜の昨日。仕事から帰るといつものようにチビが玄関まで走り寄ってきて、「オボウサンにね、ぼうしをかぶせてもらったの」と弾んだ声で言う。前日から泊まりに来ていたつれあいの実家の両親と朝から東大寺へ行って来たのである。お水取りの最中に二月堂で行われる達陀(だったん)の行法で用いた金襴の帽子を幼児にかぶせる行事が最終日の翌日にあり、それをかぶせてもらうと災難を受けず、賢い子に育つと言われている。椅子に座って帽子を載せてもらい、小さな手で合掌をして「アリガトゴザイマシタ」と言うと、老僧は(チビの言い方によると)「ホウ、ホウ」と言って笑ったそうだ。

2003.3.16

 

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 休日。朝から歯医者。終わってから図書館へ寄り本を二冊借りる。「“ジプシー”の幌馬車を追った」(伊藤千尋・大村書店)、「霊学の観点からの子どもの教育」(ルドルフ・シュタイナー・イザラ書房)。その足で先週とおなじくチビの“幼稚園”へ。閉園後、誕生日が娘と3日違いの二分脊椎の女の子やチビと備え付けのオモチャで遊び、つれあいはその母親としばらく話し込む。珍しく西友内のマックで昼食。その後西友内で買い物。チビはエスカレーターの手すりを回して愉しむ。無印良品の売り場の三輪車にまたがり、ベッドを見て「ハイジの干し草のベッド」と言う。黄色い長靴を履こうとしたり、プラスチックのパックを手に焼き鳥を入れようとしたり、食品をあれこれいじりまわしたりして、二度ほど尻を叩かれる。帰りの自転車の上で眠ってしまう。帰ってからバイクの破れていたレインカバーとシートの修理をして、近くのセルフのスタンドへガソリンと灯油を入れに行く。夜は私がほうれん草とキャベツと豚肉の餃子をつくる。風呂に入り、チビを寝かしてひさしぶりに二人で映画でも見ようと、早めに布団に入って絵本などを読んでいるうちにそのまま三人とも寝てしまう。

2003.3.17

 

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 「霊学の観点からの子どもの教育」の末尾に附録として載っている、シュタイナーが書いた子どものためのお祈りの言葉。

 

頭から足まで、
私は神さまの姿です。
胸から手まで、
私は神さまの息吹を感じます。
口を動かして話すとき、
私は神さまの意志に従います。
お母さんも、お父さんも、
すべての愛する人たちも、
動物も、花も、
木も、石も、私のまわりにあるものはすべて
神さまだということがわかるとき、
もう、何もこわいものはありません。
私が感じるのは、まわりにあるすべてのものへの愛だけです。

(夜のお祈り)

 

 「これらのお祈り言葉は、あまりにも宗教的すぎて、子どもには難しすぎるのではないか」とお思いになられる方もおられるかもしれませんが、ジャン・パウルも述べているように、子どもはそのなかにすでに霊的な真実を担っており、かえって大人よりも、ずっとすなおに宗教的な事柄を受け入れてくれるものです。もちろんこれらのお祈りの言葉は、特定の宗教とはいっさい関係はありません。ここで表現されているのは、あらゆる既存の宗教の枠組みを越えた、普遍的な宗教感情なのです。

 

 

 アメリカによるイラクへの空爆が始まった。すまし顔のこの国の代表者たる者たちの奇妙奇天烈な論理をテレビで聞いていると、こちらの腑(はらわた)までよじれてくる。

2003.3.20

 

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 誰も気づいちゃいないだろうが、哀れな花粉症対策のマスクの下でオレはいつも歌を口ずさんでいる。今日は朝からトム・ウェイツのジャージーなブルース。レイ・チャールズの That Lucky Old Sun。ジョン・レノンの Stand By Me。ディランの Highway 61 Revisited。三上寛の「おど」のときは後を歩いてた妊婦がびびってたぜ。デタラメな選曲だなんて言わないでくれ。そう。オレの頭のなかは路上のジュークボックスなのさ。無数の曲たちが、いつでもどこでも好きな場所へこのオレを連れて行ってくれる。

 交通誘導ってのはひょっとしたら天職かも知れない。みんながオレの誘導が上手い、ただ上手いだけじゃなく美しいと褒めてくれるのさ。実際、オレは路上のニジンスキーなんだ。イカれた頭できみへの変わらぬ愛を踊っているのさ。交通誘導ってのは、いわば「ドクトル中島の漢方香料入り潤滑液」みたいなものだ。入れたい奴がいる。抜きたい奴がいる。入れられたり抜かれたりする奴らがいる。だけど愛がないからそのままじゃどうしても痛い。愛し合うときには湿度が必要なんだ。それでオレが「ドクトル中島の漢方香料入り潤滑液」をさり気なく擦り込んでやるってわけだ。だけど中には身勝手な欲望だけの奴もいて、濡れてもいないのに平気で挿入しようとする手合いもいるんだな。困ったものだよ。同僚のハナ肇みたいなKさんが「おなじ店を利用するっていう仲間意識みたいなもんはないのか。ほんのちょっとの思いやりがあればいいのに」とぼやいてたけど本当だぜ。愛には思いやりが必要なんだ。ちょっと待ちねぇ、ムーンドック・マチネー。そう。オーティスのトライ・ア・リトル・テンダネスだぜ。愛があれば、きみがちょっと指先で彼女の可愛い耳朶に触れただけで、もうそれだけで彼女の全身は潤ってしまう。そうしたら「ドクトル中島の漢方香料入り潤滑液」なんてくだらないものは必要ないんだ。だけど路上には愛がない。だからオレは今日も華麗なニジンスキーのダンスを踊るってわけだよ。オレが必要ならいつでも電話してくれ。

 

 今日からチビはつれあいと二日間、神戸で開催されている二分脊椎のシンポジウムに出かけていて、向こうのホテルでお泊まりだ。本当は家族三人で予約していたのだが、仕事が休めないので私の代わりに義母に同行してもらった。父は今宵、まっ暗なさみしい家に帰ってきて、ジャスコで買った半額の刺身でひとり夕食を済まし、やはりひとりでさみしく風呂に入った。で、最後に今日のお言葉はこれだ。

 

 想えば俺はいろんな友達やガール・フレンドとあの焼きそばを食べに行ったな。最後に行った時は生まれたばかりの息子もいっしょだった。やっと離乳食が終わった頃で、息子も食べた。テーブルの上には100円玉を入れると運勢が出てくる占いが置いてあった。つい100円玉をさがして、入れてしまう。息子は生まれて初めてのそんなゲームをすっかり気に入ってしまった。俺は息子が可愛くて仕方がなかった。今までのどんな恋人よりもくらべものにならないくらい可愛かった。どこへ行くのにもいっしょだった。ステージにいっしょに出た時もあった。そんな俺を人々は親バカと言ったり、「あいつはもう終わった」と言った。ふざけんな。俺はやっと始まったんだ。始まったばかりさ。

(忌野清志郎・瀕死の双六問屋)

 

 イエイ。オレは子連れのロックン・ロール・グルになるんだ。

2003.3.21

 

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 書くのを忘れていた。今朝はとても印象的な夢を見た。どこかの山小屋でごく親しい者たちのパーティーがあって、私は山道を歩きながらそばにいたC.W.ニコルさんに、ティキシィの彼のあの運命は避けようのないものだったのでしょうか、とたどたどしい英語で質問をしていた。愉しい集いにはどこか場違いな、ひとり思いつめた様子で。ティキシィというのはニコルさんが自殺する覚悟で書いたかれの処女小説で、イヌイットの魂に憧れた白人青年が最後に死んでしまいワタリガラスの魂に移って飛び去っていくという極北の美しい物語だ。夢のなかでのニコルさんの答えは、残念ながら覚えていない。

2003.3.21

 

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 前の家の近所の親類の叔母さんから「ワープロの分からないところを教えて欲しい」旨の電話があったので、仕事の帰りに直行した。先週、脳卒中の患者の会で一週間ハワイに行って来たという。のんびりして浮世離れのいいところだったと言うので「極楽浄土みたいなところか」と言ったらえらく受けてたな。家の婿殿にこんどはじぶんにもパソコンを教えて欲しいと言われたけど私も結構日々忙しいのですよ。久しぶりだったのでその他チビの話や私の仕事の話などあれこれしてたら案の定遅くなって、急いで家に帰って10時頃に鰻丼の夕飯にありついた。先日のシンポに同行してくれた義母に加えて、今日は義父とつれあいの姪のSちゃんも泊まりに来たから上機嫌フィーバーのチビを中心に家の中はひどく賑やかだ。Sちゃんは何やらキムタクや黒木瞳の出てるジャンボ機のドラマを熱心に見ていて、その後みんなで先日の雛祭りの日にわが家でケーキやちらし寿司をつくったときのビデオをチビの解説付きで見て、私が最後の風呂に入ったらはやもう12時だ。つれあいはいつもの寝室でひとりで、チビは居間でじいちゃんばあちゃんやSちゃんたちと川の字ですでに眠っている。風呂の中で清志郎の双六問屋を読んでたら「ユーモアの分からない奴が戦争なんてものをおっ始める」とか書いてたけど、ほんとうだな。小難しい話の最中に「ちょっと待ちねぇ、ムーンドック・マチネー」なんて言われて青筋立てて怒り出すのは決まってテーノーな奴らだよ。そんな奴らとはツキアイたくはないが、そんな奴らに限ってこの世界をじぶんたちが動かしていると思い込んでいる。オレはげらげら笑いながら愉快に毎日を過ごすんだ。くだらないギ論なんかしたくはないのさ。オレのほんとうの言葉はどこにあるんだろう。オレもバンドマンだったら良かったのにな。さあ今日はすっかりくたびれちまったからもう寝るぜ。彼女のあたたかい脇の下に腕を滑り込ませて寝るのさ。明日は休日だ。労働しなくても叱られない日だ。チビを連れてマジカル・ミステリー・ツアーへと繰り出そう。

2003.3.23

 

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 午前中は歯医者。帰ってからパンクしたつれあいの自転車を直す。奈良市の繁華街を見て歩きたいというSちゃんの言に義父母たちの滞在が急遽もう一日延長。昼を済ませ、みなで電車で奈良駅まで出る。駅前からの平日にしては賑わった三条通りを、あちこちの店を覗き見しながら牛歩のペース。チビは住宅地につながるひっこんだ場所に土の地面を見つけて嬉しそうに向かう。子どもはやはりこういう土の地面が好きなんだなあと思う。固められた舗道は整然としているが遊ぶ余地がない。土の地面には水たまりもあるし石ころや小枝も落ちている。手持ちぶさたの私が彼女のボディガードだ。みんなが店を見ている間、二人で地面に絵を描いたり石を転がしたりして遊ぶ。近鉄奈良駅へ出る小西通りでは、奈良市で最も古いというキリスト教会の敷地へすたすたと入っていく。むかしつれあいとパイプオルガンの演奏会を聴きに行ったことがある。砂利で遊び、十字架の形に植えられた花壇を見て、石段の上にのぞいた建物を見あげ「あれはなあに?」と訊く。「あれは教会だよ」と教えると、「しのちゃん、教会に行く」と言う。二人で手をつないでゆっくり石段をのぼっていく。なぜとなく不思議な子だなあと思う。こうやって二人で石段をのぼり天国の扉を叩こうか。商店街の喧噪はもうどこか遠い。結局、Sちゃんはソックスをいくつかと友達への奈良土産の飴を買い、義父母は和菓子屋で前に買って美味しかったという饅頭を求め、わが家はいつも立ち寄る地元の物産展でヒノナの漬け物を一袋買った。途中の店でSちゃんはクレープを、チビはイチゴの載ったタルトをおやつに食べて夕方に帰ってきた。

2003.3.24

 

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 店の棚卸しで夕方5時に勤務終了。いっしょに勤務したバイク好きで医大を目指して浪人中のアルバイトのS君が大の子ども好きだそうで、チビの話をしたら「会いたいなあ」と言うので家に誘う。雨の中、バイクを並べて帰ってきた。ちょうどオムライスを多めに作りすぎたというつれあいが四人分の夕食を支度してくれた。チビははじめこそ恥ずかしがっていたが、すぐに馴れていっしょにハイジのビデオを見たり、大好きなボタン(つれあいの洋裁用のもの)で遊んだりしている。Sくんの家は隣の奈良市だが、ここから車で15分ほどの近所だ。背が高くなかなかのハンサムで、ソフトな物腰で礼儀正しい。中学の頃からの恋人がいまは岡山の大学へ行ってしまっているという。近くのおいしいラーメン屋を教えてもらい、インターン生でおなじく医者を目指しているお姉さんのツテで実際の献体解剖を見学した話などを聞く。こちらは近鉄奈良駅近くにあるエスニック料理の店や、紀ノ川沿いにある蘭学者の華岡清州の資料館などの話をする。9時頃にやみかけた雨の中を帰っていった。

2003.3.25

 

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 チビはリハビリの予定だったがJR線の人身事故で列車が1時間半ストップし、結局病院は間に合わず、急遽“幼稚園”へと変更された。ホームにいた客の話ではついこの間もおなじような事故があったらしい。つれあいはそばにいた日本語の分からない白人男性に英語で事情を説明した。

 

 寝屋川から自転車で出勤している同僚のTさんが毎年4月に一ヶ月「山籠もり」をするという噂の真偽を本人に尋ねてみたら、熊野の中辺路近くに家を借りていて「薪を割って風呂を沸かす」ような生活をするのだという。一年の骨休みみたいなもので、とTさんは笑って答えた。「山籠もり」前のTさんといっしょの仕事は今日で最後。

2003.3.27

 

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 チビはこの頃、池のアヒルの話を聞きたがる。先日休憩の時間、いつもの職場近くの池に行ったら道の端にロールパンが二つ落ちていた。それを池にいる二羽のアヒルに放ったらパクパク食べたという話が気に入って「シノちゃんも見に行きたいなあ」と言う。家に帰ると「おとうさん、今日はアヒル見た?」と訊く。「ごめん、今日はお仕事が忙しくてね、見に行けなかったんだよ」 それで今日は池を覗きに行ったら、彼等は池の反対側の木陰に寄り添いいつまでも動かなかった。ロールパンも落ちていなかった。

 

 浪人生のS君のアルバイトは来月の半ばまで。二年目の浪人で親に少しでも負担をかけまいと始めたが、そんな中途半端なことはするなと言われて辞めることになった。今日は先日教えてくれたラーメン屋の割引券をくれた。もうじき彼女が大学のある岡山へ帰るのでしばらく二人で食べに行けないから、と。

 

 チビはこの頃、「シノちゃんも、お仕事、行きたい」としきりに言う。「サイクリング・セール」とやらで新しく店に並べられたアンパンマンやプーさんの三輪車の値段を若い女店員に尋ねる。いやうちの娘にと思って、なぞと聞かれもしないのに言ってにっこりと微笑まれる。

 

 そもそもいったい、おまえはじぶんが善人であるとでも思っていたというのか。善人でなければ生きられないとでも思っていたか。

2003.3.28

 

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 「“ジプシー”の幌馬車を追った」(伊藤千尋・大村書店) を読了。著者は朝日新聞の記者で大学卒業後、内定していた同新聞社の就職をいったんリタイアしてよその新聞社の「冒険旅行」企画に応募、見事せしめた資金500万円を元手に友人らとジプシー調査の旅に出た、その若かりし日の記録。手作りのジプシー語辞書をつくり、「おれたちは日本のロマ(ジプシー)だ」とかれらのなかへ溶け込んでいく。おなじ流浪の民でも、ユダヤ人たちは世界中の資本の中枢へと食い込んだ果てに一国を成し、シプシーたちは変わることなく迫害と差別の日陰を生き続けたという指摘が興味深かった。収録された写真の焚き火をするジプシーの少女の面影は、まるで三角寛が撮った日本のサンカの少女ように私のこの胸をときめかせた。

 

 木曜から年に一度の大売り出し。人が群れるとエゴが丸出しになる。不敵に、見苦しい。コトが済んだアウシュビッツのガス室で老人や子どもが下敷きになっていた光景の種子のように。ハンドルを握っているのはみな、教育者たる親たちだ。

 畑のじいさんは荒れ放題だった土地に立派な畝をつくりあげた。クワを休め下草の上に座り込んで、まるで土から生えてきたニンゲンのように見える。

 

 ぎらぎらと生きよ、悪党のように。地獄は終の住処ぞ。

2003.3.30

 

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 骨休みの休日。午前中は歯医者。駅前の西友でチビたちと合流してつれあいのパンツをいっしょに見て、壊れていたカメラEOS1000を修理に出す。昼はトマトクリームのパスタ。夕方までチビと二人で昼寝。夜はプランターにわんさか生った三つ葉で酒蒸しにした鶏胸肉との辛子和え。風呂に入って、チビの溜まっていた写真をアルバムに整理する。2歳半にしてはや7冊目。「このペースでいったら、ハタチには60冊だよ」とつれあいが笑う。彼女は昨日図書館で、チビにフランチェスコの絵本を借りてきた。夜更けのベランダでチビと、夜の静けさとハイジのおじいさんの山小屋についての話をする。ラジカセでリッキー・ネルソンをかける。Lonesome Town。ゆうべ、夢のなかでスプリングスティーンの The River を泣きながら歌っていたのを思い出す。

2003.3.31

 

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 路上を神が走っていった。いや、たぶんあれは阪神百貨店の営業車なのだろうが、金文字で丸にただ「神」とだけペイントされた白い軽自動車が目の前を走り抜けていったとき、ああ神がこんなところを走っている、と思ったのだった。神はひどく急いでいる様子で、東の三輪山の方角へわき目もふらず疾走していった。何事かあったに違いない。天変地異が起こるような何事かが。

 ディランの歌った古いブルースに World Gone Wrong という曲がある。黒人ストリング・バンドのミシシッピ・シークスの曲で、そのリフレインはこんな感じだ。「とてもまともでいられない。いつかもこんなことがあったよ。とてもまともでいられないんだ。世の中がひどくなっていくばかりだから」

 あの9.11テロとその後のアフガン空爆のときには言いたいことがいくらでも沸いて出てきた。だがいまはべつの感じだ。まるで透明な菌類が臓器の裏側でしずかに繁殖していくのをかすかな悪寒とともに眺めているような。言葉は向かう場所を見失ってしまった。

 いま、ぼくがきみに差し出せるとしたら、こんな話くらいだろうか。

 

 最初の生命体、核膜のない原核細胞の群が原始の海中でひそかに交流し始めたとき、どんな話し合いが行われたか知る由もないが、次の真核細胞が生まれるきっかけとなったことは信じてよい説である。真核細胞は初期の異なった原核細胞の共同体だとする説もある。そして真核細胞から現在の多細胞生物が生まれてくる。

 言いたいことは、段階的に飛躍する新しい意識は、コミュニケーションのひろがりと緊密化から生まれてくるらしいということである。

 原核細胞が集まって真核細胞に、真核細胞が集まって多細胞生命体に、といっても、溶け合うわけではない。われわれの細胞の内部に、ミトコンドリアは自分の遺伝子をもって生きている。構造的には互いに膜をもって隔てられながらいわば役割分担的共生をしているわけだが、しかしその結果生じてくる意識はそれぞれの構成体を越えた別の、新たなひとつの意識状態である。

日野啓三・Living Zero

 

2003.4.2

 

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 火曜、チビは月に一度の泌尿器科の検診。

 つれあいは前回知り合った、チビとは別の病気だが小学校の時に突然チビと同じような症状が出た、現在大学生の女性と話をする。先天性ではなかったので当初は悲しみのあまり「何故こんな体に産んだのか」と母親を責めたこともあった。他に、尿を採るカテーテルという管が、当時は使い捨てでなくお湯で洗浄して数回使うタイプのもので、その消毒しているところをクラスメートに見られるのが嫌だったとか、あるいは体育の時間は見学の代わりにレポートを提出したのだが、いつも体育の成績が「2」しか貰えず、母親が担任に「レポートをまじめに書いているのに何故そうなのか」と涙ながらに訴えて改善されるようになった、とか。

 泌尿器科ではチビはいつもロビーにあるプレイルームの頭大の積み木で遊ぶ。このごろは“幼稚園”で顔なじみのKちゃんもいっしょだ。Kちゃんはおなじ二分脊椎でチビと同い年だがまだ立つことができない。チビが三つほど積み木を積みあげると、Kちゃんが這っていったそれを崩してしまう。ふたたびチビが積む。Kちゃんが崩す。何度もそのくり返しだが、チビはKちゃんに文句を言うでもなく怒るでもなく、積み木が崩されるのをただ黙って見ているらしい。そうしてまたせっせと積み木を積みあげる。Kちゃんが来て崩す。しばらくしてもう少し年長の女の子が加わり、積み木遊びはやっと成立するようになった。チビはじぶんがあげられない高さのものはその年長の女の子に渡す。すると女の子はチビの代わりに積みあげてくれる。そうして静かな共同作業の末に、高い立派な「家」が出来上がったそうだ。

 

 木曜はリハビリ。リハビリ室に大きな液晶テレビが設置され、NHKの「お母さんといっしょ」が映っている。これはテレビしか集中しないという子どものために購入されたとか。リハビリのM先生によると、だいぶ足の力がついてきた。立った状態で前を突かれると人は両足首の先をあげてバランスをとろうとするが、悪い方の左足首がややあがる。直進だけでなく、後歩きや、カニ歩きなど、いろんな歩き方をさせると足が様々な状態を試されて良い。バイオリンを習うことは別に身体的な支障はない、など。診察を受け持っているI先生は、シノちゃんは来るたびによくなっているような気がする、左足の向きも少しずつ前へ向いてきた、と。たくさん歩くことが良い効果になっているようだ。

 火曜の帰りはKちゃんの家が車で駅前の自転車置き場まで乗せてくれ、木曜は天王寺でたまたま買い物に来ていた和歌山の友人と偶然に会い、いっしょに近鉄のバーゲンを見て最後の商品券で靴を買い、「だからね、夜のご飯はまだ出来てないの」と嬉しそうな甘えた声で言う。

2003.4.3

 

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 朝から晩まで路上に立っていると一日にほんの一度か二度、一瞬、路上から一切の車の姿がかき消えてしまうときがある。東の三輪山から西の二上山の方角まで、のっぺらとした一筋の川が現れる。その幻のような静謐さを美しい、と思う。なにか神々しい気配さえ感じる。核戦争や天変地異の類で人類がすべてこの地上から失せてしまったら、あんな風景に見えるのかも知れない。

 今日は一日、冷たい雨に打たれながら吉田拓郎の「落陽」を口ずさんでいた。馬鹿のように何度も繰り返して、誘導棒を振り回し、体でリズムを感じながら。

 

酒や女より サイコロ好きで
すってんてんの あのじいさん
あんたこそが 正直者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして漂うだけ

 

 そうして帰ってから家のCDラジカセでチビと二人、拓郎とかまやつひろしが歌っているやさしい「シンシア」のメロディに耳を傾けた。

2003.4.5

 

*

 

 日曜。お城の桜まつり。ずらりと並んだ露店とひしめき合う人の波と。桜はまあまあ。和太鼓の屋外演奏。前回とおなじ地元の“やまと獅子太鼓”のメンバーで、だいぶ顔馴染みになってきた。レジャー・シートを広げた“桟敷席”の上でチビは面妖な踊りをおどる。前回の金魚が全滅してしまったので、また金魚すくいで三匹買ってくる。水草もひとつ。沿道で大名行列を見る。ゆかりの豊臣秀長等のほか、可愛らしい子どもの行列も。最後尾の獅子舞の獅子にかまれそうになったチビは思わず泣き声をあげて周囲の笑いを誘う。帰りに立ち寄ったジャスコ内の中古CD屋で新生ザ・バンドのラスト・アルバム Jubilation (輸入盤) を1,200円で買った。

2003.4.6

 

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 ダーク・グレイの雨雲と真っ白な夏の雲が青空の裂け目をはさみ込んでぐいぐいと東の空へ疾っていった。マッコウクジラの群のように。

 

 強風と叩きつけるようなひどい驟雨。瞬間、陽が射しこみ、雨に嬲られている地表を照射した。美しい、この世ならざる光景だった。ぼくは不敵にも微笑んだ。くそったれの車の誘導などもうどうでもよかった。雨に打たれてぼくは微笑んでいた。

2003.4.8

 

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 リック・ダンコが懐かしい調べを歌っている。この憂愁の男はもうこの世にはいない。知っているか。ぼくらはいっしょにとても長い旅をしてきたんだ。片腕のゴーゴーダンサーの前で演奏したり、盗んだソーセージでコートを膨らませたり、ときどき素っ裸の女性が草原で笑わせてくれたりしながら。喝采を浴びて頂点に立ったこともある。辛いドサ回りに逆戻りしたこともある。大事な友人が自ら縊れたこともあった。悲しくて目が潰れてしまうんじゃないかと思った。それでもぼくらは旅を続けた。もういちどあの干し草を満載した懐かしい荷馬車に揺られて素朴なコードをつま弾きながら。風と共に来て埃を残して通りすぎていった偉大なブルースやフォークの先人たちの跡を追いかけながら。一面の麦畑に寄る辺のない魂をそよがせながら。Jubilation はザ・バンドのほんとうのラスト・アルバムだ。けっして The Last Walz でも Island でもない。このアルバムはぼくらに教えてくれる。死んで冷たくなって埋められるその日まで終わりはないのだということを。知っているか。Jubilation とは“歓喜”という意味だ。

2003.4.9

 

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 朝おきたらね、おひさまがポカッて顔をだすの。それからシノちゃんはね、公園でネコさんのシッポをあずかったの。お父さんもあとでかんがえてみてね。

 湯舟で。

2003.4.11

 

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 いつか、夜おそくにお父さんとお母さんがおおきな声で言い合いをして、おふとんのへやでお母さんはわたしをだきしめて泣いていた。そこへおこったままのお父さんがふすまをあけて入ってきて、わたしをお母さんのうでからむりやりにひきはなしてだきあげ、もうひとつのおへやにつれていって「今日はここでお父さんとふたりでねよう」と言った。わたしはそのおふとんのないおへやがなぜだかこわくて「お母さんのとこがいい」と言って泣いてお父さんのからだをおしのけた。「それならお母さんのとこへ行けばいい。そのかわりお父さんはもうどっかへいっちゃうよ」とうしろでお父さんの声がきこえた。わたしはふすまにてをかけたまましばらくうごけずにたっていた。しばらくしてお父さんがちいさな声で「お母さんのところへ行きなよ」というのがきこえた。わたしはそれをきいて、お母さんのいるおへやへむちゅうではしっていった。

2003.4.13

 

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 休日。歯医者に行って“幼稚園”を見学して、チビの提案で彼女の大好きな長い滑り台のある公園でおにぎりを食べて夕方までたっぷり遊んだり昼寝をしたり、帰りにジャスコで買い物をして、駅前のレンタル屋でつれあいがヴァイオリニストの高嶋ちさ子のCDを、チビがスチュアート・リトル 2のビデオを借りて、夕飯に私が18番の鶏肉のステーキを焼いて風呂に入ってから借りてきたビデオをみんなで見て、興奮したチビが寝静まってからつれあいとゆっくり愛し合った一日。

 みんなが幸福なときは、私が心の奥底にある何かを無理にこじあけようとしないときだ。

2003.4.14

 

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 障害をもった子どもはとかく自立を妨げられがちだ、とつれあいが神戸のシンポで購入してきた「二分脊椎のライフ・ケア」の一節にあった。とくに排尿排便に難のある子は、たとえば幼稚園や小学校にあがっても母親が常時保健室に待機して導尿や摘便に備えなくてはならないのでそれが他の子どもたちとの交流を阻害してしまう、と。アメリカでは1980年代にそのような障害をもった子どものためのサポート体制を教育現場は整えなくてはならないという裁判所の判断が示されたらしいが、日本では現在、導尿は医療行為と見なされるために親がサポートをしなくてはならないのが実情である。

 「こんどは一人で行ってみる?」 一瞬躊躇をしたあと、固く決心をしたかのように「ん」とうなずいて、全長50メートルのローラー式滑り台へ一人すたすたと歩いていく。短くはない階段の両端の柵を握り握り上手に上がれるようになったが、よその子どもに比べると動作はいかにも緩慢だ。たちまち後から来た子どもの列が詰まり、じれて隙間から追い抜こうとする子らのアクションにとまどいながら、それでも一歩ずつ懸命に階段を昇っていく。私はときによその子の間に彼女を突き放して、そんなふうに遠くから見守る。転んで頭でも打ちやしないかというつれあいの心配をよそに、彼女は無事に階段を昇り終え、ローラーの滑り口に上手に尻を置いて両足を前へ並べ、50メートルの滑り台を見事に滑走していく。芝生の斜面をのぼり戻ってきた彼女は、何となく得意気な気持ちを照れ隠しでにやにやと笑い、私とつれあいの顔と滑り台をしばらく見交わしてから、もういちど滑り台へ向かって颯爽と歩み出す。

2003.4.15

 

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 テレビ画面にアメリカ軍兵士の母親が映し出される。彼女ははじめ、アメリカがイラクを攻撃することに懐疑的だったが、じぶんの息子がその前線へ派遣されてから考えが変わった。彼女は言う。「ベトナム戦争のときは皆があの戦争を批判して可哀相だった。私たちが戦場で苦しみ戦っているかれらを支持し守ってやらなくてはならないのだ」と。辺見庸がかつて書いていた、若いときに姦通罪で牢屋暮らしをした頃の“業さらし”の歌と、後に名を成した晩年の意気揚々たる戦争賛美の歌と、北原白秋の二つの短歌を思い出す。“業さらし”で生き続けるのも力業だ。

 

 真夏のようなじりじりとした日差しに灼かれて路上に立ち続ける。瞬間、あの熱いクレージーな国を転げ回っていた遠い日々がまざまざと蘇ってくる。そんなとき、人は決して脳ミソだけで生きているわけではないのだ、と思う。脳ミソだけで考える者が狂うのではないか。神の名のもとに殺戮を行うのではないか。

 

 ひさしぶりに熊野の山までひとりバイクで走って、野性の鹿のように耳をすませていたい。

 

 チビは今日、例の長い滑り台のある公園のプールでつれあいと泳いできた。障害者手帳で付き添い2名まで無料で利用できるのだ。私は仕事の帰りに親類宅に請われてパソコンを教えに寄って帰宅は9時。授業料として缶ビール一箱を頂戴してきた。それとチビに親類宅からディズニーの「101匹ワンちゃん」と「となりのトトロ」のビデオも借りてきた。チビは大喜びで「101匹ワンちゃん」をさっそく見た。明日もまた見る、と言う。帰りが遅いとチビと過ごす時間があっという間でひどく損をした気分になる。

2003.4.16

 

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 わが家もいよいよ人並みに車を購入することになった。やはりチビの幼稚園やプールや何やら自転車だけではつれあいもしんどいし、雨が降れば休まざるを得ない。それで京都で中古車販売をしているつれあいの従妹の店に「格安の物件」を頼んでいたのである。それが今日、連絡があった。軽自動車で、キャロルのワインレッド。私の妹に言わせると、つれあいには似合うが私にはまるっきり似合わない車だ、と。業者間のオークションで探してくれたのだが、市場に出たらおそらく20〜30万くらいするらしいものを手続き等の諸費用込みで10万かっきりの出血大サービス、というかほとんど赤字覚悟の有り難い値段にしてくれた。状態もよく、事故車でもない。週明けにさっそく住民票などを送って月末には納車の予定。しばらく団地の駐車場の確保や、保険などの手続きで忙しくなりそうだ。

 

 つれあいは今日はチビを連れて近くのカトリック系の私立幼稚園を見学してきた。同じ地区の公立の幼稚園では親が送り迎えをして導尿も親にしに来てくれとという話だが、今回は園長みずから園内を丁寧に案内してくれ、導尿や摘便もできたら先生たちが習ってしてくれると言ってくれた。有料だが送迎のバスもあり、子どもの自立のためには私もつれあいもその方がいいと思う。6月に応募があり、9月に面接、通園は来年の4月からである。今日はチビの回りに子どもたちが集まり、装具を見て「これはなあに?」と訊いたり、チビを誘っていっしょに鉄棒や滑り台やウサギに餌をやったりしてくれたそうだ。帰ってからチビは「幼稚園には行かない」と言う。訊くと、貰ってきた幼稚園のパンフに写っている園長扮したサンタクロースが怖いから、というのがその理由である。

2003.4.18

 

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 ブルーハーツの「無言電話のブルース」。“受話器の向こうで、何考えてる?” 路上に立ち尽くし何を考えている。

 お父さんが帰ったらね、「シノちゃん、病院で“お腹が痛い”って言ったの」って言うの。そしたらお父さんはきっと“お腹が痛くなったのか”って言うよ。

 道向こうの休耕地。ひょろりと伸びた雑草の一本に雀が舞い降りる。重さで節がしなって慌てて雀は舞い上がり、いくどかくり返した末に、おのれの目方に合った節を見つけてしばらくそこで囀っていた。人間はそんな素朴な智慧さえ忘れ去ってしまったのかも知れない。

 店の若々しい女の子たち。いつから20代が“小便臭い”と感じるようになったのだろう。

 一抹の涼風。この風に乗って、運ばれる花粉のように。どこかへ。

 あんたいったいどっちに行きたいんだ。じぶんの行きたい方角が分からないのか。さっさとウィンカーを出せよ、ボケ。

 ロックンロール父さんは熊野の山懐にそびえ立つ一本の気高い大杉を夢見て、今日も路上に立ち尽くしていた。

2003.4.18 番外篇

 

*

 

 今日はね夕方、お醤油を切らしちゃってAコープへ行ったんだけど、シノちゃんひとりで行ってくるって言うの。「はじめてのおつかい」のミイちゃんみたいに、ね。じゃあ危ないから階段の下まで行くよって言って、あとは「お母さん、ついてこないで」って言うから少し離れて見てたんだけど、植え込みを挟んだこっち側の歩道を歩いているのに車道を車が通るとね、ピタッって止まるの。車が行ったあとも先の方にまだ別の車が見えていて、止まった姿勢のまま「また来るよ、また来るよ」って言ってるのよ。それから横断歩道の手前のところに書いてある足のマークに、これは和歌山のお母さんに教えてもらったからぴったり足を乗せて、右見て左見てもういど右見てしてね、そこは危ないからいっしょに渡ったのだけど、渡ってから向こう側の足のマークのところにも回れ右をしてまた足を乗っけてね、「そこはもう渡ったからいいのよ」って言ったの。Aコープでは買い物カゴもじぶんで持つって言ってね、それからシラスが欲しいってカゴに入れようとするから、Aコープは高いからなあと思ってこんどにしようって言ったんだけど、「シノちゃん、お魚食べたいのよ」って大きな声で言うものだから、仕方なしに買ってきちゃったの。

 

 こんど車が来たらね、いろんなところへ行けるよ。シノたんはどこへ行きたい?

 シノちゃんね、お父さんのお仕事のとこのアヒルさんを見に行きたい。

2003.4.19

 

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 休日。職場の夏服(5月から)を大阪の本部まで取りに行かなくてはならなくなった。午前中は朝からバイクを飛ばしてまず前住所の町役場でチビの育成医療更新のための課税証明、引き返しこちらの市役所で車輌登録用の住民票を取り郵便局から認め印と共につれあいの従妹の店に送り、歯医者を済ませ、それから近在の床屋を廻ったのだがやはり月曜のためにどこも休業で代わりに奈良市のバイク屋へエンジン・オイルを交換に行き、戻ってから自転車に乗り換えて駅前の駐輪場で“幼稚園”へ行っていたつれあいたちと合流して電車で大阪へ向かった。いや、忙しい。JR難波駅----通称OCATにあるレストラン街で遅い昼食(和食のバイキング)。その後つれあいは一人でカーテン生地を見に難波の生地屋へ向かい、私はチビを連れて地下鉄で会社の本部へ。天満橋の、以前に私が勤めていたオフィスのすぐ近所。夏服を受け取り、かつてよく昼の弁当を食べた裏通りの公園でチビをしばらく遊ばせ、駅に直結している松坂屋内の書店にてつれあいと合流。つれあいはチビが通う予定の幼稚園が規範としているモンテッソーリ教育に関する書「家庭におけるモンテッソーリ教育の実践 未就学児のために」エリザベス・G・ヘインストック(エンデルレ書店)、私はやはりチビのためのシュタイナーの「人間理解からの教育」(筑摩書房)と、岩波新書の新刊「龍の棲む日本」黒田日出男をそれぞれ購入した。松坂屋内をぶらぶらし、ドンクのパンやシュークリームやらを買って8時半頃に帰宅した。

2003.4.21

 

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 数年前から見かけるようになった、あの公園のベンチをぶつ切りにしたような邪魔くさく悪意に満ちた浮浪者対策の仕切り。浮浪者のおっさんがベンチで横になれないようにするためのあの「仕掛け」のことだよ。昨日チビを遊ばせた天満橋の公園でも、私が昼の弁当を食っていた頃にはなかったのに、いつの間にか設置されていた。ああいう発想をする感覚というものをオレは心底から憎み、冷笑するね。横になれない公園のベンチなんて、この世でおそらく最低のもののひとつだよ。そんな最低のベンチなんかオレは叩きつぶしてやりたい。粉みじんにしてやりたい。ザ・バンドの Jubilation の中に Bound By Love というジョン・ハイアット作の素朴な佳曲がある。作者とリック・ダンコが二人して愉しげに歌っている。「きみとぼくは愛に跳ねているところ」 そんなリフレインの歌だ。とても素敵な歌だと思わないか? あんな最低のベンチに平気な顔をして座っている奴らにはこの歌の良さは永遠に分からないさ。あんなクソみたいなベンチは置き去りにして、ぼくらはこの歌を口ずさみながらもっと別の場所へ歩いてゆこう。四辻で棒きれを転がして行き先を決めた無邪気なフランチェスコのような足取りで。もっともっと遠くへ。

2003.4.22

 

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 「今日はAコープへ買い物に行ったときにね、あれ、来ないな、と思ったら、また横断歩道のところでぴたっと止まっているのよ。で、そんなのを見てたらいつのまにか車が来てて、逆に、お母さん、ほらあぶないよ、って言われちゃった」

 今日は月に一度の棚卸し。3時に閉店で駐車場を閉じてから「孫の小遣いのために」来ている60代のNさんと二人で店のウィンドウを水洗いなどして5時に仕舞い。久しぶりに散髪屋に寄り、帰って夕食を済ませたら昨夜の深酒と夜更かしが祟ってか、チビに馬乗りされながら10時頃までうたた寝をしてしまった。

 目が覚めたらチビは先日、大阪で買ってきた幼児用のやや大振りなビーズを神妙な顔で紐に通していた。つれあいの教え方は、ただじっと見守り、何も教えないことだ。チビはすべてをじぶんで発見してゆき、そのうちにビーズのつかみ方も、紐の通し方も、それらを連続させる作業のコツもじきに覚えて、スピードもあがった。シノたん、たのしい? とつれあいに訊かれると、神妙な面もちのまま「たのしい」と答える。何かに魅せられたようなそんな熱心な姿を見ていると、やはり女の子だなあ、と思う。11時過ぎまでかかって、ネックレスをひとつ、極彩色の数珠(?)をひとつこしらえて、いたく満足そうにお気に入りのペコちゃんの人形の首にかけたりしていたが、布団に入った途端、いつものように母親の手を顔に寄せ指をしゃぶりながらすっと眠ってしまった。

2003.4.23

 

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 チビとつれあいは揃って昨日あたりから仲良く風邪気味で、今日は二人とも早めに床に就いて寝入ってしまった。

 

 風呂のなかで、私はまたしても聖フランチェスコの物語を読み返している。つまるところ、私は高名な哲学者や饒舌な神学者や有能な商人やこの地上の王になりたいのではない。私はきっと、フランチェスコのようになりたいのだ。かれのように素朴でただひたむきなだけの、“大いなるもの”の美しく不器用な僕(しもべ)に。

 

 くだらない、どうでもいいようなことばかりが多すぎる。そんなものに心を砕くより私は、彼女とちいさな娘のたてる寝息に耳をすまし、暗闇のなかで目を瞑りたい。

 

 そう。相変わらず、ザ・バンドの Jubilation の中の愁いを帯びたリック・ダンコの歌声に耳を傾けている。Aよ、おれたちは確かにやつが歌うのをじかにこの耳で聴いたんだよな。「やあ、元気かい」と挨拶を交わすほどの距離で。そしてもう二度とあいつが歌うのを聴くことはできない。生きているということは、そういうことだな。いつか天国へ行ったなら、こんな気持ちも感じずに済むのだろうか。

2003.4.24

 

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 GW前の特大セール。開店わずか二時間で、平日の駐車台数を軽く超えてしまった。それがずっと夕方まで。広い第二駐車場までが満車となり、空いたスペースを巡って客同士の奪い合いで醜い口論も。見ないふりをしてザ・バンドを口ずさむ。

 昨日は夕食後にチビと「となりのトトロ」のビデオを見た。見終えてやけに上気した顔で興奮していると思ったら、38度の熱。今日はつれあいがタクシーで病院へ連れて行って薬を貰ってきた。「トトロ」は今日も朝・昼・晩の毎食後。それでもネコバスが怖いらしい。

 よく年をとったり子どもができて生活が忙しくなったら音楽から遠ざかるというけれど、こうして子どもが寝静まった夜の僅かな時間にヘッドホンで聴く数曲は私にとっていまもかけがえのない魂のパンだ。音楽を聴かなくなるなんてことは私には、きっと永遠に考えられないな。今日も路上を軽くステップしながらオレはMG'sのイントロを口ずさんでいたぜ。この感触は手放せない。夜のしじまに蠢く粒子は消えやしない。

 チビはほんとうに愛おしい。彼女とチビのためなら、私はほんとうにこのちっぽけな命を差し出しても構わない。

 

雲が飛ばされて 月がぽっかり ひとりごと
こんな空は昔 ほうきに乗った魔法使いのものだったよと 悲しい顔してさ
きみの絵本を 閉じてしまおう
もう少ししあわせに しあわせになろうよ

吉田拓郎・伽草子

 

2003.4.26

 

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 キャロル、納車。つれあいの従妹の店で生駒に納車があるというので、ついでにわが家の車も持ってきてくれることになった。お昼までの予定が2時過ぎになり、近鉄奈良駅近くの全労済窓口で任意保険の手続きを済ませ、24号線沿いのトイザラスでチャイルド・シートを購入。それから西大寺のならファミリー(近鉄百貨店が入っている)のレストラン街でカプリチョーザの夕食を食べ、チビの夏の帽子などを探した。ならファミリーの駐車場に停めた車の後部座席でつれあいがチビのおしっこを取るのを眺めながら、「なんか、ふつうの家族になったみたいだな。車一台を持っただけでさ」と私が言うと、つれあいは静かに首を振った。「ううん。車だけじゃなくて、○○さんが働いてくれるようになったからよ。だからこうして外食もできるし、シノたんの帽子も買うことができる」 そうして閉店間際の夜9時頃に“ふつうの家族”のように帰ってきて、素敵なキャロルをはじめての駐車場に入れた。

2003.4.28

 

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 祝日。以前にも一度行ったのだが、一日だけ手伝いで家から10分ほど奈良市よりのホームセンター駐車場にて勤務。しばらく運転から遠ざかっていたつれあいの練習も兼ねて、愛しのキャロルで送ってもらった。ここの「隊長さん」はかつて露店業や観光地の写真屋をやっていたというMさんで、ちょっと面白いキャラクターで私は好きなのだが、Mさんの方も私の車捌きを「ベテランの域だね」と褒めてくれてまるでVIP級の扱いをしてくれる。そのMさんが「こんな日ははじめてだ」と嘆息するような、昼前頃からひどい混雑ぶり。駐車場があっという間に埋まり、それでも次々と入ってくる待機の車が溢れて道路を完全にふさいで、道行くドライバーや近くのバス停で待っている乗客らに罵倒されて立ち尽くすだけ。誘導しようにも為す術がない。Mさんが言うように「ほんとうに情けない」。6時頃にやっとましな状態に落ち着いて、帰りの車を次々と出しながら「ああ、やっと本来の仕事ができた」と思った。

 帰りはまたキャロルのお出迎え。最後は店内巡回の番だったので、つれあいとチビと三人で店をぶらぶらし、車の壊れていたルーム・ランプの電球などを買った。チビは朝はペット売り場の犬猫たちを飽きずに1時間も見ていたらしい。いっしょに仕事をした茶髪の貴闘力のような若いM君からJR奈良駅近くのおいしいラーメン屋の話を聞いたら食べたくなってきて、さっそく車を回すが店が潰れていた。それで先日任意保険の手続きをした全労済事務所前の花屋でつれあいが聞いた彩華ラーメンの店に入った。唐辛子とニンニクを使った独特のスープでわりと美味しかったが、チビはラーメンも騒がしい店内も気に入らなかったらしい。彼女は車が来たら奈良公園の鹿に餌をやりに行きたいとずっと言っていたので、私たちが食べている間、何も喋らずに座敷の上がり框でじぶんの靴を懸命に履こうとしている。店を出るときにつれあいが訊くと「おウチのご飯がたべたかった」と言うのでつれあいは可哀相になって「夜で鹿はもういないかも知れないが、奈良公園を回るだけでも回ってあげようよ」と言う。それでまた車を回し、昼間とは違いひっそり静まりかえった春日大社の参道口付近に車を停めてあたりを見渡したら、はたして夜の公園の中に数匹の鹿が草を食んでいた。チビは大喜びで相変わらず足元の枯葉を差し出して鹿に食べさせようとする。それから近所のジャスコに寄って買い物をし、家に帰ったら10時だった。チビはすでに昼間三度も見た「トトロ」をまた見たいと言って泣きじゃくり、一回分を食い入るように見てから、12時近くに私といっしょに寝た。

2003.4.29

 

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 かつてあやめ池や生駒山上遊園地で「こどもの乗り物の運転手」のアルバイトもしていた新人のN君は23歳。最近、ガソリンスタンドでの仕事を「ある我慢ならない人間関係のトラブル」のために辞めて、かねてからカッコイイと憧れていた交通誘導の警備員になりたくて入ってきた。担当のFさんはしばらく彼を私と組ませようと思っているらしい。

 夕食後、明日から酒税変更で値上がりする発泡酒を一箱、キャロルに乗ってジャスコまで買いに行く。ラジカセでビートルズのリボルバーを聴きながら。

 チビは「トトロ」に夢中で、日に何度もビデオを見たがるのでつれあいはほとほと手を焼いている。昨日はビデオを消さないとご飯は出さないと言ったら結局、昼食抜きのまま見続けた。ビデオに夢中になってから(拒絶されると)ひどく怒りっぽくなって泣き喚いたりモノを投げつけたりするようになった、と疲れ顔で言う。

 ゴールデンウィーク最終日の来週の月曜は、ふたたび近くのホームセンター駐車場の勤務。「いやあ、Mさんも○○くんのことをえらく気に入ってくれていてね」とは営業所のFさんの弁。代わりに火曜が休みになったので、月曜の夜から車で和歌山のつれあいの実家へ泊まりに行くことにした。近所で貰ったチビの中古自転車(三輪車)を持ち帰ってくる予定。

 “トトロのオウチは木の中なんだよね。シノちゃんは(昨日)、シカさんのとこでトトロを見た。寝ているトトロの顔をシノちゃんはじい---っと見てたの。それからいっしょにヒコーキみたいに飛んだの。トトロの顔はシノちゃんの顔に似てるよ”

2003.4.30

 

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 チビのあたらしい装具と靴ができてきた。以前の装具は踵をつないでいる軸部分が破損してきたためにもう一度作り直しとなり、手作りだから装具が変わると靴もあたらしくそれに合わせてまた作らなければならないのである。約ひと月ほどかけて装具のメーカーに病院の先生たちを交えて微調整をすすめ、それがやっと仕上がってきた。こんどの装具は高さが加わりその分、以前は足首と甲に一つづつだったベルトがそれぞれ二つづつの計4つに増えた。足の成長に合わせてさらにしっかりと固定しなくてはならないということらしいが、これじゃますますじぶんで履くのは難しいなあ、とつれあいと顔を見合わす。靴の方は基本的に以前とほとんど変わりはないが、これからの夏の季節に合わせたつれあいの配慮で、全体にあっさりとした薄目の色にしてもらった。

 (昨日の昼間) シノちゃんね、お父さんに会いたいなあって思ったの。また車がたくさんいるとこに行きたい。

 

 Jubilation の中のリック・ダンコは、まるで死んだリチャード・マニュエルの魂が半分乗り移ったかのように聞こえる。あの素朴な魂の顫えが、そこにはある。ディランの歌う People Get Ready のような切ない佳曲 If I Should Fail の後半で、そんなリック・ダンコのボーカルにそっと添えられたガース・ハドスンの一瞬の響きはまるで、潰えた者を運ぶ不思議な天上の調べのようだ。憧れ続けた者はいつか、そんな調べに乗って運ばれてゆくのだろう。誰もがいつかは死ぬ。そしてその先はどこへ行くのか、誰も知らない。

 ああ、そしていまぼくは、焼酎で酔い潰れかけた頭をもたげ、ニール・ヤングのあの After The Gold Rush のサウンドを聴きたくなった。

 

 いつか、あなたにあいたい。

2003.5.1

 

 

 

 

 

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