■日々是ゴム消し Log20 もどる

 

 

 

 

 

 こどもの手押し車の重しを作る。これまで大型の辞書を載せていたのだが、近くの河原で拾ってきた小石4kg分を、着れなくなったこどものパジャマの首と裾を紐で綴じて袋状にしたところに詰め、腕の部分を紐代わりに手押し車にくくりつけた。重さの調節が出来、これで野外でも使える。

 こどもは排便がないので、朝食後につれあいが指で掻き出す。私は頭の側で身をよじって泣き叫ぶのを抑えつけている。なぜふつうの子にできることがこの子にはできないのか、と悲しくなる。

 夜、NHKのETV特集で経営破綻したアメリカの巨大企業・エンロンに関する番組を見る。未来永劫、関わり合いたくない世界だ。

 こどもは月の存在を知った。今日も家の前を散歩していて青い空のなかに月が浮かんでいるのを見つけ、私の腕の中で盛んに指をさして喜んだ。知っているものを見つけたから、うれしい。この世にはそんな歓びも存る。

2002.2.25

 

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 昼前、つれあいが歯医者に行っている間に、例の改良した手押し車をはじめて外に出して家の前の道で遊ばせてみた。つれあいの親類から貰った靴はやや大きいのと踵部分が短いのでときどき脱げてしまう。この次は装具を付けた上に履かせてみようかと思う。こどもは遠くで聞こえる犬の鳴き声にときおり歩みをとめて、「バウバウ」と言ってこちらを見る。あるいはマンホールのフタやアスファルトの路面を膝を曲げてそっと触ってみたりする。

 昼から、今日は体操の教室だった。終わりに点呼があって、じぶんの名前を呼ばれたこどもは手をあげて返事をする。紫乃さんは他のこどもが返事をできないでいると「ないなあ」などと言うくせに、いざじぶんの名前を呼ばれると三度目かでやっと蚊の鳴くようなちいさな返事をする。そういう「はったり」のところは私に似ているのかも知れない。

 

 職安の帰りに寄った図書館で、小説現代(3月号)に載っている五木寛之と、最近「幻の漂泊民・サンカ」(文藝春秋)なる著書を書いた沖浦和光という大学教授との対談(いま知りたい! 幻の漂白民・サンカ)を読む。短いものだが、いろいろ刺激的だった。たとえば次のような沖浦氏のくだり。

 

 さっきのソシュールの論ですが、それぞれの共同体で歴史的に構成され、体制化された言葉の体系は〈ラング〉と呼ばれる。用法も文法もみな決まっていて、ラングの専制と呼ばれる強制力を持ち、それによって文化をつくりあげてきた。

 そのラングに対して〈パロール〉というのは、既成の言語体系にとらわれない個人の一回きりの発声なんですが、ギリギリときしむ現実のナマの声なんですね。パロールはラングに対して絶えず挑戦して、既成の体制を突き崩そうとする。

 詩人の想像力というのが実は時代を動かす潜勢力だった。その力がどこへ消えたのか。その問題にソシュールは気がついた。人間の真の創造性はパロールにある、と。ラングに対するパロール。

 それを置き換えると〈中心〉と〈周縁〉になる。〈中心〉は、権力が構築したシステムであり秩序でしょう。それに対してパロールは〈周縁〉部分、境界外の混沌からこれに挑戦する力なんですね。

 

 どんどん分節化していっても、整序されたシステムに入りきらないものがやはりある。実はそこに人間世界の成り立ちを解明する重要な問題領域があるんです。そのようなものが混沌(カオス)のなかに潜在していることに気づいた。

 われわれはずっとシステムとしての文化を構築してきたけれども、どうも整序しすぎてしまって、なんとなく面白くなくなってきたんじゃないか、そのように気づきはじめたんですね。そうなってくると、境界領域とか混沌の持つ重要な意味が浮かびあがってくる。

 

 いわずもがなだが、かれがサンカを語る視点は、己のサイトに「まれびと」の名を冠した私のそれと同一である。何処でもない、排除され拒絶され貶められたゴミ溜めから、私は撃ちたいのだ。沖浦氏の言う「白と黒のあいだのグレー・ゾーン」から、五木氏の言う「ジャズと自由は手をつないでやってくる」ような身振りで。反近代の牧神を夢見たランボーのように。

2002.2.27

 

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 たしか、だれかがどこかでおなじようなことを書いていた。今日、無邪気に笑い転げている赤ん坊の姿を見ていて、この子もいつか死ぬときが来るのだな、と思った。ひとは生まれた瞬間から、死に向かった秒読みを始めている。〈わたし〉はどこから来て、どこへ還っていくのか。わたしが知りたいのは、そのことだけかも知れない。「複雑なこと、煩雑なものごとはわたしをただ困惑させるにすぎない。わたしが見出したのは、たったひとつの響きがうつくしく奏でられるだけで充分だということである」 ベルトの静謐なヨハネ受難曲を聴いている。きっと私に欠けているのは、煩雑さを許容する力だ。

 

 前述のN嬢からメールを頂いた。

 

 

 対談の文章(*五木寛之 VS 沖浦和光)、面白かったです。

 システムとしての文化の中で、人は自らを生きづらい方向へと運んでいると感じています。

 そうそう、春から新しい活動を始めようと思っています。これまで関わってきた団体をやめて、新しい組織をつくる予定です。一応、自立生活センターみたいなもんなんですが、テーマは、障害者問題に閉じなくて、「いごこちの良い社会をつくる」ことを目指して、「共生」を常に念頭において活動していきたいと思ってます。

 「障害者は健常者がいないと生きられない」っていうのは世の中的にわかりやすい発想だと思うんですが、「健常者も障害者がいないと生きられない」って、ちゃんと感じられるようなコミュニティをつくっていきたいです。

 

 「健常者も障害者がいないと生きられない」という視点は一般の人間にはおそらく目から鱗だろうが、その剥がれ落ちた鱗は、かつての所有者を笑い飛ばすかのごとく軽やかで、自在だ。私はいつも彼女から、そのような新鮮な勇気の胚芽をもらう。

 

 昨夜はひさしぶりに、サンカに憧れて熊野の地に暮らすヤゾーさんの掲示板 (熊野ライフ)に書き込みをした。2年ぶりだったそうだが、その掲示板で私のこの駄文を読んでくれているという人と偶然出くわし、驚かされた。Webの世間もあんがい狭いものだ。

2002.2.28

 

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 金曜に大阪の職安を覗いた折り、最近出た「反定義 新たな想像力へ」(辺見庸+坂本龍一・朝日新聞社) を買って、帰りの電車の中で貪るように読んだ。

 

 ソマリアに行く前は、世界というものをひとつの場だとしたら、ぼくは中心概念というものを無意識に持ってたわけです。中心とは、たとえば東京だったり、ニューヨークだったり、ワシントンDCだったり、ロンドンだったりしたわけですね。しかし、飢えて死んでいく子供たちを見て、中心概念は全部崩れました。餓死したって新聞に一行だって記事が出るわけじゃない。お墓がつくられるわけでもない。世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意も向けられず餓死していく子供たちがたくさんいます。ただ餓死するために生まれてくるような子供が、です。間近でそれを見たとき、世界の中心ってここにあるんだな、とはじめて思いました。これは感傷ではありません。これを中心概念として、世界と戦うという方法もあっていいのではないかと考えました。餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと思考が戦闘化してもいいのではないかとも考えました。

 

 世界はもともと、そして、いま現在も、それほど慈愛に満ちているわけではない。そして、すべては米国による戦争犯罪の免罪の上に成り立っている。じつにおかしな話なのですよ。情報の非対称の恐ろしさというのは、これだと思う。アメリカで起きた屁のようにつまらないことが、まるで自国のことのように日本でも報道される。けれども、エチオピアで起きている深刻なことや、一人あたりの国民総生産がたった130ドルのシエラレオネで起きている大事なことは、まず日本では報じられない。この国では、どこのレストランが美味いか、どこのホテルが快適か、どこで買うとブランド商品が安いか、何を食えば健康にいいのか、逮捕された殺人容疑者の性格がいかに凶悪か、タレントの誰と誰がいい仲になっているか....といった情報の洪水のなかでぼくらは生きています。伝えられるべきことは、さほどに伝えられなくてもいいことがらにもみ消されています。アフガンもそうやってもみ消されてきたのです。

 

 そのときに、言説、情報、報道というものはこれほどまでに不公平だ、この土台をなんとかしない限りは、ものをいっても有効性は持ちえない、どちらかというと無効なんだと思いましたね。同質のことをいま、ぼくはまたアフガンで見ざるをえない。若い人は、まだ報じられていない、語られていない、分類されていない人の悩みや苦しみに新たな想像力を向けていったり、深い関心をはらってほしい。ブッシュやラムズフェルドやチェイニーの貧困な想像力で暴力的に定義されてしまった世界、しかもその惨憺たる定義が定着しつつある世界を、新しい豊かな想像力でなんとか定義しなおしてほしい。それには相当の闘争も覚悟せさざるをえない。でも、そうしないと、ブッシュたちの定義にならされていくと思います。

 

 それとぼくがアメリカの巨大な軍産複合体における不可思議な事実として注目しているのは、あそこの技術者とか幹部職員たちってエコロジストが結構多いっていうことです。皮肉だなあって思う。軍事産業にいて兵器開発をしながら、じつは民主党の支持者だったりもする。もちろん嫌煙派で,健康食品を食い、日曜ミサに欠かさず行き、休日には子供とバートウォッチングなんかをしているんです。そういう連中が、アフガンで人間をバラバラに吹き飛ばしたバンカーバスターやクラスター爆弾の強化型の開発・生産をやっているわけですね。劣化ウラン弾をつくったりね。もうそういう時代に来ていると思うんですね。あの連中の品性も、兵器の愚劣さ、残虐さと同じような低劣かというと、かならずしもそうじゃない。私的には妙に清潔な生活を営んでいたりする。世界から憎悪がなくなりますように、なんて教会で祈りをささげたりしている。それがいやですね。それがたまらない。そこにいちばんの問題があると思う。

 

 これらは辺見庸の発言からだが、私はこれらすべてに激しく同意し、さらに改めて激しく揺さぶられる。「餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと思考が戦闘化してもいいのではないか」 ほんとうにそうだ、と頷く。尖鋭になりすぎても、きっとまだ足りない。「世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意も向けられず餓死していく」「ただ餓死するために生まれてくるような子供」の存在に対峙するためには、日常のやけに取り澄ました良識さえしゃらくさい。

 おそらく、世界は収拾もつかないほど複雑になりすぎてしまった。最後に引用した軍事産業の技術者の話は、まさに私が感じている、個人のささやかな良識が集合体としての悪意に転ずる究極の見本である。これらの風景は私たちの身近な日常に当たり前の顔をして確かに存在している。私たちはそれらすべてを問い直さなくてはならない。この異様な世界を成り立たせているすべてのものを破壊しなくてはならない。そしてまず手始めに、気づかなくてはならない。正気に戻らなくてはいけない。正気というものがまだこの世界に残っているのだとしたら。

 

 もうひとつ、同じ日に、われらがレボン・ヘルムの敬愛するマディ・ウォーターズのベスト盤を買った。全20曲入りで千円少々という値段にも惹かれたのだが、グラミーを受賞したU2の新譜や最近話題の新人アーティスト/バンドを試聴したり、ジャズの棚なども丹念に見てまわったものの、結局この一枚を選んだわけだ。実はマディ・ウォーターズはきちんと聴くのはこれがはじめてなのだが、あの「ラスト・ワルツ」で演奏された Mannish Boy も、1956年の当時のテイクはもっとテンポが性急で激しく、とてもワイルドで痺れる。いまはこんなタフでハードなやつが欲しい。本物の「声」が聴きたい。

2002.3.2

 

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 きのうは桃の節句。数年前に若狭で買った和紙の小さな雛人形をテレビの上に飾る。つれあいはサティで桃の花を買ってきて玄関に活け、夕飯にちらし寿司をこしらえた。私は菜の花としめじのすましをつくった。

 装具の上に実家の母が買ってくれたすこし大きめの靴を履かせ、手押し車をかかえて近くの公園へつれて行く。公園の芝生や土の上はある程度の抵抗があるせいか、重しを乗せなくてもいける。こどもは他のこどもたちのように一人で歩いて移動できるのが嬉しいようだ。ぐるりと2, 3周ほどしてから芝生の上に腹這いになり、地面の小石や葉っぱなどを拾い集めている。

 

 私は政治談義は苦手だし、じぶんの拙い生活に即した言葉しか言えない。おそらく私の世界はとても狭く、私はそこでちっぽけなじぶんだけの穴を下へ下へと掘り続けて暮らしている。だがそんな砂中の貝のごとき私でも、感じていることがある。異様な、音もなくひたひたと広がっていく、ひどく空気の薄い圧迫感だ。「反定義 新たな想像力へ」からの引用を、もうすこしだけ続ける。

 

 で、それがベトナム戦争だったら、たとえばスウェーデンのパルメ首相やバートランド・ラッセルやサルトルや、次から次へと、きわめて重大な重い反戦メッセージを発する。パルメは1968年の教育相時代にはベトナム反戦デモにも参加している。われわれはそれで勇気づけられてきた。それが、今回は皆無に等しい。もちろん、チョムスキーとか.... (坂本 : 数えるほどしかいない) 数えるほどだし、発言の強さからいっても、かつてとはくらべものにならない。それがショックだったんです。

 世界中にね、いわば同志というのか、ぼくも気が弱いから同じ発想の人間を一生懸命で探すわけです。いまでもさがしている。(坂本 : ほとんどいないんですよ) いないですね。で、ぼくは怒り心頭に発して原稿を書いたり喋ったりする。それがどんどん浮いていくわけですよ。気がついたら、誰もまわりにいない。いつの間にかものすごい座標軸が変わってる。いつの間にそんなになっちゃったんだと思う。

 

 日本の言論というものはあからさまな権力の介入ではなくて、自主的に転向しちゃってます。責任主体がはっきりしないまま、自分で自分を抑圧するんです。まさに抵抗せずして安楽死しつつある。ヌエのような全体主義は相当深刻です。言説の世界で生きている人間が、誰も体を張ってないですね。ちょっとでも体を張らなきゃ、言葉はだめですよ。

 そうね。それと言説は身体を重ねた場合、必ず「死」に向かうと思うんですよ。三島由紀夫がそうだったようにね。吉本隆明がいってるでしょ。三島の自死で「思想は死んだな、無効だったな」って。彼は連合赤軍が浅間山荘事件で銃撃戦のすえ逮捕されたことについても「命がけの思想は死んだな」というのです。そのことについては、吉本さんだって関係がないわけじゃない。吉本さん自身「ぼくは戦中派ですが、まだ生き延びています。その理由は、うまくやったからです」(大状況論) と白状している。うまくやったやつらだけが、いまへらへらしゃべって空しく生きてるのですよ。けれども、いまという時代は、思想に自分の死を組み込むこと自体がむずかしい。権力の弾圧もないのに、思想家が自主的に武装解除しているような状況ですからね。抵抗の暴力は組織しようにもきわめてむずかしい。だから、理屈が面白くても身体的訴求力はない。商品化はしますけどね。つまり、表現者が無意識に暴力を否定しちゃってしまっている。表現者が完全に暴力や死を否定したら、表現なんて干からびた海牛みたいなものにしかならない。

 いまは、国家と暴力の問題について深く魅力のある表現をできる人が死に絶えたともいえるのではないでしょうか。そんななかで、突如 9.11が起きたのです。ことの本質が善かれ悪しかれ、自己身体を破砕してまで何かを表現しようとするテロリストがね。当方が周章狼狽するのは当然です。で、死ぬ気で表現しようとする者に対し、死ぬ気どころか怪我するのも怖がっているようなオヤジどもが何をいったって無効だなってぼくは思っているんです。論理が面白かろうが正しかろうが無効なんです。だって、このテーマは暴力が正しいかどうかを超えているわけですし、テロ反対なんて犬でもいえるのです。それに、犬がテロ反対をいおうが、人がそういおうが、テロは確実にまた起きるはずです。

 

 ある枠で、いままでのロー・アンド・オーダーみたいな枠のなかで国民国家というものを信用して、まがりなりにも司法制度というものをぼくらが前提としつつ話すことは結構なんだけれども、じつはその根幹をブッシュや小泉たちは平気で破っちゃってる。憲法もへちまもない。ぼくとしてはそれを認めたら、いままでまがりなりにも世界とつきあってきた思想というほどのこともないけれど、生きる構えのようなものが成り立たなくなります。そうだとしたら、そこにぼくらが対抗する言説というか、ぼくらの主張はもっとリアルでなければいかんと、じつは思ってるんです。

 そうしたらぼくらの言説は、古い言葉でいえばもっとちゃんとした戦闘性を持たなきゃいけない。あるいは、もっとリアリティーを持たなければいかんと思う。そうか、そんな国家テロというものがいくらでも許される、一国家の大統領に暗殺権は許されている、だとしたら刑事犯なんて規定はありえないじゃないかという切り返しも、どこからかあってもしかるべきだと思うんです。それをみんな押さえ込んでいると思うんですが、それは違うという気がする。

 

 毎日、毎日、ぼくらのこの世界はテロリストを養成してる。自爆テロ志願者を生み、育てているみたいなものでしょう。ブッシュたちがテロ概念を無限に拡大し、国家暴力を発動すればするほど、彼らが根絶したいと夢想するものが育ち、増殖する。対抗的な思索と想像力はそこから出発すべきだとぼくは思います。そして、それは国家的な呪縛から自由であるべきです。ただ、国家的呪縛から限りなく自由であるためには、相当のことを覚悟せさるをえない時期にきているなと思います。今後は、しっかりと話したり表現したりすることが肉体的な痛みとか、理不尽な目にあうということを、ある程度考慮に入れざるをえないと思いますね。

 

 ぼくは若い人たちに期待したいのです。これまでとまったく違う発想があっていい。シアトルやジェノヴァでデモをした若者のなかには資本主義反対を叫ぶ人もいましたが、唖然とするほど大きすぎるスローガンですね。でもぼくにはそれが新鮮に聞こえます。たぶん、彼らはマルクス主義者じゃない。それが面白いと思います。

 

 私は三島由紀夫は卓越した文章家だと思うが、かれの小説は綺麗な色紙で飾った空虚な箱のようなものだと思っている。だがかれの死に様は、肯定はしないけれど、何か揺さぶる力を持って迫ってくる。あるいは野党の代議士を刺殺して獄中で自死した、ほの冥い右翼の少年の想念にもどこか惹かれるものがある。誤解を恐れずに言えば、いま、一人の少年(話題の17歳がいい)が自爆テロで小泉首相か閣僚の誰かを殺傷したら、それはひどく時代錯誤で原始的な行為故に、逆にひどく新鮮な事件であるだろうと思う。あるいはかの麻原ショーコーが突如法廷で口を開き、厳かに、おれは確かにじぶんの理想のために多くの人々を殺戮したが、ではあの「正義」を唱えるブッシュのアメリカはどうなのだ、おれを裁くなら奴もおなじ土俵で裁け、と主張し出したらさぞや面白かろうにと夢想する。

 

坂本------そう思います。人類の歴史なんていうおおげさなことではなく、ついこの50年ぐらいのことを考えるだけでも、死者の数もはっきりしない。誰が死んだかも分からないという人間が、何千万人もいるわけですね。この10年でいっても、イラクで何人死んだかも分からないし、誰も調べようともしない。百万人といわれ、その半分の50万人が子供だといわれている。それも明確な数字ではない。あるいはレバノンでも、イスラエルが侵攻して何万人かが殺されたということです。誰も調べようがない。死の重み、あるいは生の軽さということかもしれないけれども、湾岸戦争のときもそうでした。25万人のイラク兵が死んだとかいわれているけれども、誰も埋葬もしてないでしょう。焼けてなくなってしまって砂漠に埋もれてしまった。
 アメリカのほうは、湾岸戦争で70人ぐらい死んだのでしたか。大統領やジェシー・ジャクソンまで葬式に行く。この非対称というか不公平というか、それにぼくはすごく傷ついたんです。それで、イラクの父親、母親が埋葬もされない自分たちの息子の骨を探して砂漠をさまよって歩くという曲を作ったんです。誰も弔わないから、せめてぼくぐらいが弔いたいと思って。ずうっとそういうことが続いているわけですね。一体どうしたらいいのか....

辺見------その考え、ぼくは好きですね。非対称の、話にならないほど不利な側に立って個人的にものを考える。それが好きですね。

 

 私は、いまやこの世のどこにも存在しない、ニューヨークの高層ビルに旅客機を突っ込ませたあのテロリスト犯たちのことを考える。「表現者が完全に暴力や死を否定したら、表現なんて干からびた海牛みたいなものにしかならない」という辺見氏のことばに、私は深く同意する。

2002.3.4

 

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 “Muddy Waters”って、考えてみたらすごいよな、“泥水”だもんな。その泥水野郎が「おれは一人前の男だぜ」と叫んでいる。そんな奴の音楽は本物だ。

 

 以前は、そんな価値などあるだろうか、死んじまったらお終いだぜ、と冷ややかな目で眺めていた。ベトナム反戦を唱えて抗議の焼身自殺する僧侶や、爆弾を身体にまきつけて自爆するテロリストたちのことだ。あるいは憲法改正を主張して割腹自殺する哀れな作家のことだ。だが世界があからさまに歪んでいくこの状況にあって、そんな秘めたる死の決意、辺見庸の表現を借りれば「思想に自分の死を組み込むこと」に、もっと正面から向き合うべきではないかと私は考え始めている。そこまで己を追いつめて考えるべきではないか。自殺をするとか馬鹿げたことではなく、言ってみるならば、世界のありように向き合いながら己の死の深度を見据えるといった意味において。

 

 私が思い浮かべるのは、あのゴダールの映画「気狂いピエロ」のラスト・シーンだ。ナンセンスではちゃめちゃな旅の果てに、主人公はじぶんの体にダイナマイトをまきつけて自爆する。ランボーの詩の一節が写る。

 

見つかった !
何が?
永遠。
海と溶けあう太陽。

2002.3.5 昼

 

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 こどもは昨日はMRIの検査だった。脂肪腫の増殖がないかの確認である。当初は明日の木曜に脳外科のY先生より説明がある予定だったのだが先生に不幸ごとがあり、来週の火曜に延期になった。こどもは検査前に飲んだ睡眠剤の影響だろう、家に帰ってからもふらふらとしていて、夜も早々に眠ってしまった。

 

 昨夜はたまたまつけたテレビ、ニュース・ステーションの特集で、アフガンで除雪作業などをしているスウェーデンのボランティア・グループの活動を見た。みな自主的に参加を決めた一般の市民で、建築作業員やタクシーの運転手や、なかには失業中の者までいる。スウェーデンは今回の一連の空爆には加わらず、かれらを国が公的な援助隊として送り出す。カネや軍艦や兵を送って得意げになっているこの国とは大違いだ。参加した一人の若者が言う。「おれたちはごくふつうの人間だ。そしてここにいることは自分にとってパーフェクトだ」と。テレビに見入っている私につれあいが、どこまで本気か知らないが「○○さん。もしアフガニスタンに行きたいなら、行って来てもいいよ。私は紫乃さんと二人で待っているから」と言う。あるいは、もし自分たちに子供がいなかったら夫婦でこんな活動に加わりたいものだ、と言う。私にもし医療や土木等の何らかの技術があって、それを個人的にアフガニスタンで役立てることができたなら、私はそのことによって、逆にアフガニスタンの人々によって救われるだろう、と思う。たとえ地雷を踏んだとしても、私はこの憂鬱な気持ちから救われるだろうと思う。ディランの曲にこんな歌詞があった。You can't walk the streets in a war きみは戦争のただ中の通りを歩けやしない (Driftin' Too Far From Shore. 1986)

 昨日の朝日新聞の夕刊にスーザン・ソンタグというアメリカの作家のインタビュー記事が載っていた。しばらく前、おなじ朝日紙上で大江健三郎と往復書簡を交わしていた。彼女は言う。「アフガンの民間人に犠牲が出たことは非常に残念だが、アメリカ人はアルカイダ本部を破壊するために軍事行動をおこす権利があった。その付随的恩恵として、タリバーン政権が転覆したのはよかった。おそらく世界最悪の政府だったからだ」 この愚かしいほどの傲慢。では、「誤爆」によって頭をかち割られた赤ん坊や、空爆の音で気が触れた老人や、クラスター爆弾の残滓で片足を吹き飛ばされた少年や、木の皮を食べ続けて栄養失調で死んでいくこどもたちは、いったいどうなるのか。それが彼女の言う「物事の複雑な様相を示す作家の仕事」なのか。可笑しくてヘソで茶が沸くぜ。こんな基本的な想像力の欠如した発言が、世界の知性などといわれる人たちのものなのかと思うと、私はほんとうに暗澹とした気持ちになる。辺見庸や坂本龍一が語っていた「知性の敗北 / 言説の敗北」というものを、失望と不安のなかで実感する。

 

 個人的な哀悼をふたつ。

 今月の4日に作家の半村良が死んだ。中学生の頃の私は、実はSF大好き少年だった。星新一、眉村卓、小松左京、筒井康隆、半村良。当時のかれらの作品はほとんど読んだものだが、いまでも読み返したいと思うのは半村良くらいだろう。故中上健次がかつて「妖星伝」を評して、いまの純文学はこの豊潤な物語に負けている、と語っていたのが懐かしい。

 スウェーデンの児童文学作家のアストリッド・リンドグレーンが今年の1月28日に94歳で死去した。陽気なユーモアと機知に富み、大人のルールに縛られない自由と勇気を持ち、そしてちょっぴり孤独な「長くつ下のピッピ」は、いまも変わらず私の心のなかで跳び回っている。

2002.3.6

 

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 いま、物語なんか何も面白くない。80年代は10年かけて大きな物語を徹底的に嘲笑し、否定しましたしね。ポストモダンは「反物語」だったんだと思います。それと、徹底した「反身体」だったでしょう。連中は体臭さえ嫌がったじゃないですか。反物語も反身体も、新世紀まで続いている流れです。ぼくはね、それに風穴をあけたのが、9・11なんだと思っている。湾岸戦争というのが徹底して人間身体を隠蔽し消去したハイテク映像として記憶するほかないのに対し、9・11は濃い体臭を帯びた身体と大きな物語とローテクが反身体と反物語とハイテクをいっとき圧倒してしまったんですから。表現者が激しく動揺するのは当然ですね。(*1)

 

 あのニューヨークでの惨劇に対する、辺見庸のこのような直観は鋭く、私には見事に的を射ているように思われる。あの巨大な摩天楼への激突は世界に対する激しいルサンチマンの表現であり、そこには己の身体がばらばらに砕け散ることさえ厭わなかった表現者たちがいたということだ。

 偶然、テレビであのリアル・タイムな画像を目の当たりにしたとき、私は正直に告白するが、ひそかに胸の内で「やったぞ」といった小さな快哉をたしかに叫んでいた。さらに不謹慎を承知で言うなら、あの神戸の地震で横倒しになった高速道路の映像をテレビで見たときも、それに近い感覚で胸が騒いだ。大阪の西成・愛隣地区のまるでパレスチナの光景のような暴動が写されたときもそうだった。

 私はおそらく破壊が好きだ。いやもっと正確に言うならば、でたらめのまま平気で紳士ぶった顔をしている世界よりも、露わになった裂け目からその耐え難い悪臭を放つ膿が噴出する世界のほうが、いっそ良い。

 

 テロリズムとは、こちら側の条理と感傷を遠く超えて存在する、彼方の条理なのであり、崇高なる確信でもあり、ときには、究極の愛ですらある。こちら側の生活圏で、テロルは狂気であり、いかなる理由にせよ、正当化されてはならない、というのは、べつにまちがってはいないけれど、あまりに容易すぎて、ほとんど意味をなさない。そのようにいおうがいうまいが、米国による覇権的な一極支配がつづくかぎり、また、南北間の格差が開けば開くほど、テロルが増えていくのは火を見るよりも明らかなのだ。

 世界は、じつは、そのことに深く傷ついたといっていい。抜群の財力とフィクション構成力をもつ者たちの手になる歴史的スペクタクル映像も、学者らの示す世界観も、革命運動の従来型の方法も、あの実際に立ち上げられたスペクタクルに、すべて突き抜けられてしまい、いまは寂(せき)として声なし、というありさまなのである。あらゆる誤解を覚悟していうなら、私はそのことに、内心、快哉を叫んだのである。(*2)

 

 その破壊の衝動において、私は心情的には、あのテロリスト犯たちに限りなく近いメンタリティを所有している、とあるいは言えるかも知れない。その手段の違いこそあれ、私の撃ちたいものはかれらと似ている。言ってみれば、人間の歴史における「勝者」の価値観、それも暴力的な「勝者」の価値観。それらはいまや私たちの周囲に息苦しいばかりに満ちあふれている。そして私たちはその上にあぐらをかいてきた。しかし一方で、これはもっと認めたくないことだが、あのブッシュに代表される事物を単純に分類し定義づけそれらを暴力的に支配したいという冥(くら)い欲望も、私のなかにたしかに存在している。

 

 それは、各分野の表現が政治的になれという意味ではまったくない。メッセージを持てということでは全然ない。そんなことは関係ない。そうじゃなくて、現実にある、このでたらめさに対してどれだけ自分たちの表現行為が対抗的でありうるのか、あるいは国家的なものに吸収されないでいられるか、ということです。そのことを真剣に考えなくてはならないんだと思うんです。

 じゃあ、そうではないものは何かといえば、単に字面が反国家的だとかいうことではないような気がするんです。もっと人というものの古井戸のように謎めいたところとか、国家という枠組みのなかにどうしても納まらない人間の無限の欲望や表現欲、行動欲などを認めたものでないといけない。国家とどこまでもなじまないもの、いかなる国家とも和解しないもの、それをどれほど本気で言葉として紡いでいけるのか。それはけっして言説が政治化するという意味ではない。むしろ逆だと思ってるんです。(*3)

 

辺見庸 (*1,3)「反定義」(朝日新聞社) (*2)「単独発言」(角川書店)

 

 つまり、私はブッシュでもあり、テロリスト犯でもある。私のなかにかれらは存在する。他を批判するのは容易い。だが、自分自身の内なる〈他者〉を見据えること。かつて拙い差別に対する論考の最後にも記したが、そのように、アフガニスタンの問題とはけっして政治的なものではなく、それぞれ個人の極めて内面的な自問として語られなくてはならないものだと私は考えている。浅間山荘のあの陰惨な殺戮も、そのような視点の欠如から起こったのだと思う。私のなかの古井戸を掘り下げていくと、暗い闇のなかに、無数のうめき声をあげている顔たちが浮かびあがってくる。

2002.3.8

 

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 長らくご愛顧いただいた親ばかページ“Oh Baby”を終了することにした。理由のひとつは、何やら世の中が日々きな臭く怪しくなっていく中で、どうもわが子の写真をのほほんとアップする気分になれなくなってきたこと。もうひとつは、あんまり可愛すぎる写真を誰か悪い人が見て誘拐されてしまうと困るからである。というわけで、“Oh Baby”が終了しても親ばかが終わるわけではない。

 

 相変わらず辺見庸を読み続けている。先日、整形外科でのこどものレントゲンに同行した際に大阪で買ってきた「単独発言 99年の反動からアフガン報復戦争まで(角川書店 @1,100) である。個人情報保護法、ガイドライン関連法、メディアの機能不全、ほんとうにこの国はこのごろ俄にきな臭くなってきている。国家権力だけでなく、メディアの側も世論も右傾化・反動化している。微妙なニュアンスやロジックは切り捨てられ、「感動した」なぞといった低脳単純な言葉が受けたりする。その思考停止の先に待ちかまえているのは、たとえば徴兵制だろうが、当の若者たちは携帯電話に夢中だ。右傾化・反動化しているのは何もこの国だけではない。いまや世界中のあちこちで火種が噴き出し、少数の特権者たちは紳士の仮面をかなぐり捨て、さらに暴力的にそれらを制圧しようと躍起になっている。そもそも資本主義というのが人間の欲望を無制限に肯定するものであるなら、現在の修羅的状況は自明なことであったのかも知れない。世界の「自由」とは、繰り返すが歴史における勝者の「自由」であり、それはいつも暴力によって支えられてきた。「自由」が理性によって支えられたものでないことは、アフガニスタンに爆弾を降り注いでいるアメリカや、パレスチナに対する強圧的なイスラエルの例を見ても明らかだ。この世を支配しているシステムはかれら強者がもたらしたものであり、私はときどき、これは叶うことのない夢想だけれども、アイヌやモンゴルの遊牧民や極北のイヌイットたちのような「歴史的な敗者」たちの育んでいたシステムがもし世界中に多様な文様で広がっていたとしたら、世界はあるいはこのような暗澹たる状況にならなかったのではないかと思ったりするのだ。かれらは敗れるべくして敗れたのであり、所詮投石、あるいは棟方志功がその版画に描いた“花矢”などは銃やミサイルには敵わない。それはこの世界では紛うかたなき自明のことなのであり、だからこそ私はその自明を憎む。

 

 国家とはいったい何だろうか、と辺見庸は自問する。

 

 国家は、じつのところ、外在せず、われわれがわれわの内面に棲まわせているなにかなのではないか。それは、M・フーコーのいう「国家というものに向かわざるをえないような巨大な渇望」とか「国家への欲望」とかいう、無意識の欲動に関係があるかもしれない。ともあれ、われわれは、それぞれの胸底の暗がりに「内面の国家」をもち、それを、行政機関や司法や議会や諸々の公的暴力装置に投象しているのではないか。つまり、政府と国家は以て非なる二つのものであって、前者は実体、後者は非在の観念なのだが、たがいが補完しあって、海市のように彼方に揺らめく国家像を立ち上げ、人の眼をだますのである。そのような作業仮説もあっていいと私は思う。

 

 エンゲルスは前述の序文(ドイツ版『フランスにおける内乱』第三版) のなかで書いている。「もっともよい場合でも、国家はひとつのわざわいである」と。内面の国家についても、外在する国家についても、これ以上正確な表現はない。にもかかわらず、わざわいとしての国家は存続する。ならば、私は、せめて、私のなかの国家を、時間をかけて死滅させてやろうと思う。

(単独発言・国家について)

 

 「私のなかの国家を死滅させてやろう」 私は、かれのこのアプローチに同意する。何故ならたしかに、ある部分において、私は世界の投影であり、世界は私の投影である。この眼をそむけたくなるような世界は、私の似姿でもあるのだ。すべてはそこから始めなければならず、それを無いものとした人道援助もボランティアも環境保護も反戦も、私は成り立たないと思う。「ならば、せめて、私のなかの国家を、時間をかけて死滅させてやろう」

2002.3.9

 

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 公園で紫乃さんが手押し車を押していると、幼稚園児くらいの男の子がやってきて「何だこれ、ヘンなの」と手押し車を指さす。手押し車を昔ながらのカタカタと鳴る木製品にしたのは私の“こだわり”だが、いまどきの派手なプラスチック玩具しか見たことのない彼には面妖に見えたのだろう。それでもその言葉の端にはっきりと見下したようなニュアンスが込められていて、精神レベルがこどもと同じ私は内心ムッとして、そばに親がいなかったらきっとこずいてやったのに、と思う。あるいはまたブランコの乗り場で、やはり別の男の子が隣のブランコに乗っている女の子の足下を無遠慮に指して「あれえ、この人、下履きみたいな靴を履いてるよ、おかしいなあ」などと友達に言う。女の子は白地で甲の部分がゴム仕様の、いわゆるこれも昔ながらの(ある意味で安物に見える)運動靴を履いている。男の子の方は、メーカー品かどうか知らないが、いま風のごっついスポーツ・シューズである。彼女は聞こえぬふりをして、黙ってブランコをこぎ続けている。女の子の家が貧しいのかどうかは分からない。単に汚れる公園遊びだからと親が履かせたのかも知れない。ただこれも、やはり男の子の言葉には軽い嘲笑と侮蔑のニュアンスがたしかに含まれている。私はこれらのある意味で他愛のない光景を眺めながら、一体こういう「差別化」の発想というものは何処から出てくるのだろうか、と考えている。親の影響なのだろうか。あるいは初めからヒトが持って生まれてくる性質なのだろうか、と。こんな子供の世界でもすでに、他者の微妙な差異をとらえ、それを自己中心的な貧しい価値観によって裁断するという作業が行われる。もっとも紫乃さんは、自分が何を言われたのか分からず、相変わらず「ふぁいと、ふぁいと」と掛け声をあげながら嬉々としてアナクロな手押し車を押している。早晩、彼女が言葉を理解するようになって同じようなことを誰かに言われたら、私はどんな説明をしてやれるだろうか、と考えた。

 午後からまた、ベビー・カーをついて図書館へ行く。私は勝手な親でじぶんもゆっくり本を見たいので、こどもの本棚の前に紫乃さんを下ろしてひとり放っておく。幸い、友達連れで来ていた小学生の女の子たちが紫乃さんを気に入って、いつの間にか遊んでくれている。紫乃さんは「えん、えん」と訳の分からない掛け声をあげて狭い図書館中をはい回り、女の子たちが「えんえんちゃん、こっちだよ」と誘導し、書架用の踏み台に登るのにみんなで手を添えてくれたりしている。お陰でゆっくり書棚を吟味でき、山田風太郎の「人間臨終図巻」(上巻)を一冊借りて帰ってきた。

2002.3.10

 

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 古本屋で文庫を二冊購入。「日本の古代10 山人の生業」(大林太良編・中公文庫)、「不安の世紀から」(辺見庸・角川文庫)。後者は1996年にNHKのETV特集として四夜連続で放送された対論番組を再編集したもので、たぶん私も見ていたと思うのだが、書籍化されていたのは知らなかった。ちなみに辺見庸のその他の著作としては、「もの食う人びと」(角川文庫)、「反逆する風景」(講談社)、対論集「屈せざる者たち」(朝日新聞社)、吉本隆明との対談「夜と女と毛沢東」(文藝春秋)などを薦めたい。前者は山岳信仰・狩猟・鉱物・焼畑・杣人伝承といった列島山野の習俗・文化を多角的に論じたもので、これはいわば私のささやかな魂の臥し処だ。

 

 実家の母がつれあいのために、自然化粧品の添加物の表示について書かれた記事のコピーを送ってきた。これは自然石鹸を製造しているメーカー(シャボン玉石鹸)の会報で、わが家でも食器洗い・洗濯・浴室のすべてにここの石鹸を使用しているのだが、なかに「わさび」についての興味深い話があったので以下に写しておく。

 

 

● 表示改正でも表に出てこない毒性物質

京都バイオサイエンス研究所所長・西岡一

 

 48年、食品衛生法が施行され、食品添加物90品目が指定されました。その後、毎年のように指定品目が増え、01年3月現在では、348品目あります。

 皆さんは、自動販売機でウーロン茶を飲むことがあると思いますが、原材料のところにウーロン茶のほかに必ずビタミンCと書いてあります。このビタミンCは、酸化防止剤として使われている食品添加物です。しかし、皆さんが飲む時には、すでにビタミンCではありません。工場では確かにビタミンCを入れるのですが、それはウーロン茶が酸化して苦くなったり色が変わるのを防ぐためで、私たちの健康のためではありません。食品添加物は100%企業利益のために使われていることを認識すべきです。

 ハウスやエスビーから出ているチューブ入りわさびは、本当のわさびではありません。それなのに、「本わさび」「生わさび」と宣伝されていますが、けしからんことです。問題は鼻にツンとくる香料の成分、イソチオシアン酸アリルです。でも、イソチオシアン酸アリルは、もともとわさびの成分なのです。

 自然界というのは、ある微妙なバランスで成り立っています。毒性のあるものをバランスで巧みに消してくれたりします。わさびや昆布もいろんなものが絡み合ってできている一種のハーモニーとして自然界に存在しているのです。それを、その中の特定のものだけを化学的に合成して、人工合成化学物質として添加することは全然別のことなのです。

 わさびのツンとする成分がどういう構造をしているのか解明されて、それが合成されました。ドイツの農薬メーカ−から副産物として合成された純粋なものを日本は輸入して、ツンとくる成分の香料として加えているわけです。わさびの乗っぱを刻んで加えていることもありますが、こんなものではツンときません。ツンとくるためには、やはり化学物質を加えないとだめなのですね。

 イソチオシアン酸アリル、表示ではこれは香料、香辛料抽出物としか書かれていませんので、表にイソチオシアン酸アリルとは出てこないのです。表示が改正されたとはいえ、こういうものは表示に出てこないのです。毒性のメカニズムの研究をしているうちに、毒性には活性酸素が関係していて、しかも、細胞の中で発生する活性酸素が問題だということがわかりました。活性酸素は、ありとあらゆる病気に関係しています。ですから健康を維持するためには、なるべく活性酸素を体内、特に細胞内に発生させないようにするということが重要です。

 研究の結果、イソチオシアン酸アリルは、細胞の中で変化して活性酸素を大量に発生させ、そのためにDNAが傷つくことを突さ止め、論文に書いて発表しました。

 イソチオシアン酸アリルが活性酸素を発生し、DNAを損傷して発ガン性を示すのは、人工合成しているからです。わさびのツンとくる成分がイソチオシアン酸アリルであることは間違いないのですが、わさびそのもので実験すると、むしろ活性酸素を消します。ところがその中の有効成分を合成すると、活性酸素を発生して有害になります。

 これは私の説ですが、自然のものは活性酸素を自然に消去します。なぜかというと自然のものは長年太陽光などに曝されて、活性酸素を除外するような仕組みが何億年とかけて身についているからです。例えば、野菜でも果物でも活性酸素を消去する働きがあるのは当たり前のことです。私の仮説はあくまで一般的な話です。人工的なものは、活性酸素を発生することが多く、安全性の問題として消費者運動でも取り上げることが必要な時代ではないでしょうか。

 

(2001年11月15日 シャボン玉友の会だより No.66)

 

 

2002.3.11

 

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 脳外科のY先生よりMRIの結果を聞く。幸い脂肪腫の再増殖は見あたらなかった。ただし、現在の脂肪腫の大きさのままだと、将来身長が伸びたときにふたたび神経を引っ張る可能性があるので、できればもう一度手術をして現在の半分程度の大きさまで脂肪腫を減らした方が好ましい。いまはリハビリが継続中で、手術となるとせっかく回復してきた筋肉等が元に戻ってしまうので、とりあえずしばらくはリハビリを優先させておいて、手術は5. 6歳になるまでの間で時期を見て行う、という話であった。前回の手術では脂肪腫の癒着が強固で難儀したが、今回もその点に関しては状況はおなじでしょうか、と訊いたところ、それはやっぱり大変な手術で、あるいはまた二度にわたって行わなくてはならないかも知れない、という返事であった。

 今回はまた、手術より約半年が経過したこともあり、障害者手帳の申請書類の依頼をY先生にお願いしてきた。別に泌尿器科の医師にも後日、おなじ書類を書いてもらい、二通併せて役場に提出する。さしあたっては通院時の交通費の割引等があるらしい。入院時におなじ二分脊椎で同室だったある家族も申請中だという話をすると、Y先生はちょっと驚いて、苦笑いをした。以前に先生がその件を持ちかけたところ、若い母親は「そんな、障害者手帳なんて、とんでもない」と怒ったのだという。

 診察を終え、天気がよいので隣接する難波宮跡の広い公園へ出て、家からもってきたおにぎりの昼食を食べた。大型の洋犬が二頭、芝生の上でボール拾いなどをしていて、動物の大好きな紫乃さんは実に嬉しそうにベビー・カーの上から「バウバウ」と指さし、いつまでも飽きずに眺めていた。

2002.3.12

 

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 赤ん坊が寝静まった深夜。「無理に働かなくても、○○さんは好きなことだけしてくれていたらいい。私が代わりに働くから」とつれあいに言われ、私は激高して思わず台所のラジカセをつかんで放り投げ、浴室の扉の曇りガラス様のプラスチック板をぶち抜いた。その夜、穴の開いた浴室に入り、彼女はすすり泣いていた。今朝、私は無言のまま、彼女が始末した破片をゴミ箱から拾い、そいつを接着剤でまるで古美術の修復家のように張り合わせた。食事のとき、赤ん坊が私の顔を見て幾度も彼女の方を指さす。いつものように二人で話をしろ、というのだ。

2002.3.14

 

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 金曜から東京の友人が泊まりに来ていた。小学校からの腐れ縁だが実に二年半ぶりの再会、である。というわけで夜はつれあいも交えて深夜まで酒を飲んだ。土曜には四日市に住む、これまた同じ小学校出身の友人も合流して、子どもも連れて車で月ヶ瀬の梅林を見に行ってきた。梅は満開といった感じか。柳生の里で昼を食べ、春日大社近くの志賀直哉の旧宅を見て帰ってきて、夕食は鍋。仕事帰りのつれあいの友人も加わって賑やかな食卓である。赤ん坊も大はしゃぎで、ずっと友人たちにべったりで親の顔など見向きもしない。誰に対してもそうだというわけではないので、やはり何か似たような雰囲気を感じるのかとも思う。

 私のリクエストでわざわざ東京から音楽CDを何枚か持ってきてもらい、それを四日市の友人に持ってきてもらったCD-RのドライブをわがMacにつなげてコピーした。これがアプリケーションの不具合などもあって時間を食い、わがMacは二日間に渡ってこの作業に占有された。内容は最近のものから、ディランやポール・マッカートニーら豪華メンバーが参加しているサン・レコードのトリビュート盤 Good Rockin' Tonight、ブライアン・ウィルソンの Live At The Roxy Theatre。旧譜からニルヴァーナの Never Mind と In Utero の二枚、そしてビヨークの 1st。

 発泡酒とワインに柿の種とロッテ・パイの実をつまみ、そしてぼくらは何を話したろう。いつもの他愛ない昔話、坂本龍一の「非戦」、キング牧師、ベース・ギター、ジャック・ケルアック、鈴木清順の「陽炎座」、キューブリックの「フルメタル・ジャケット」、「気狂いピエロ」、泉鏡花、寺山修司、中上健次、石井隆、ジャズ、コルトレーンとアイラー、常磐線の行商専用車両、各駅列車での九州旅行、新宿のおかまのマスター、ベースボール、タモリの「昭和歌謡史」、グレイト・ジャーニーの冒険者、そしてザ・バンド、マディ・ウォーターズと自殺したリチャード・マニュエル、失われてしまった魔法の音楽たち....... 。良き友人とは己を確認させてくれるものだと思った。「下手に出るな」!!

 友人は夕方の新幹線で帰っていった。ベビー・カーに子どもを乗せて二人で買い物に行った道すがら、どうやって食ってるのかと訊ね、それから「やっぱり、もう何か書くしかないんじゃないか」と呟いた。ああ、背中でも掻くか、と私は答えた。

 あばずれに、乾杯。(原田芳雄調で)

2002.3.17

 

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 朝からこどもの病院に同行した。今日はいつものリハビリと、脳外科、泌尿器科の診察である。

 リハビリ科で、この4月より診療報酬の制度の改定があり、医師が一日に治療できる患者の人数に制限が設けられることになった。一日18単位で、1単位は20分。現在のスタッフ数では入院患者のリハビリを削っても、外来に回す単位がほとんど無い。そのためにうちの子どもの場合はこれまで週一回、40分だったのだが(当初は週二回、各40分だった)、4月からはおそらく隔週で1単位、20分。都合出来る時間はそれが精一杯である。「それで足りるんですか」と訊くと、「全然足りません」という答えが返ってきた。当然である。小さな子どもの場合、リハビリの姿勢に持っていくまででも時にはそれくらい経ってしまうことさえある。といって他の病院のリハビリと掛け持ちをするのも、そうした患者さんはこれから遠慮してもらうことにしているという。あとはスタッフの人数が増えればもう少し対応の幅が広がるわけで、医師たちからも要請しているのだが、こちらはすぐに実現できる見込みもない。つまり患者の私たちとしては、現状を飲むしか他に手立てがない。診療報酬の改定というのが詳しくはどんなものなのか私は知らないし、あるいは昨今叫ばれている医療改革の一端なのかも知れないが、障害をもって生まれた子どもが将来の生活に必要な歩行のためのリハビリをその制度の改定のために14日間で僅か20分しか受けられなくなるというのは、たとえどんな必要があったにせよ、疑問視せざるをえない。

 また泌尿器科では前述した障害者手帳の申請書類を依頼したのだが、他の病院から週一回だけ診察に来ているM先生の言うところによると、決まりによって書類を書く資格を持っている医師は自分が本来所属する病院の診察においてしか書くことを許されていないのだという。うちの住所が奈良ということで近在の泌尿器科のある病院をいくつか教えてくれ、それらの医師はおそらく二分脊椎の専門家ではないから、場合によっては私が下書きを書くからサインだけしてもらったら良い、と言う。要するに単に形式的な問題なのだ。それで帰宅してから近くの某病院へ早速電話で問い合わせたところ、すでに夕方だったので看護婦さんしか居合わせなかったのだが、そうした障害に関する書類は通常一度の診察では書くことができず、あるいは各種の検査もしてもらわなくてはならないかも知れない、と言う。障害を持った子どもの親はただでさえ病院通いやら何やらでヘトヘトになっているのに、単に形式的な問題だけで、さらに多くの無用な通院を強いられる。これも同じく制度というもののの悪しき杓子定規な部分である。

 

 ところでこれを書いていた、いま深夜の12時過ぎだが、この非常識な時間に突如無法な電話が鳴り、出てみると先日泊まりに来た東京の悪友だった。本人いわく錦糸町の○○なる飲み屋からで、すでに相当酔っぱらっている気配で、何をトチ狂ったか受話器の向こうで「紫乃さんを出せえ !! 」と喚いている。偶然、夕食後に私と一緒にうたた寝をしてしまったために夜更かしをしてまだ起きていた子どもに「バウバウ」と言わせてやると、「いや、有り難う」と神妙に呟いて電話を切った。どうせ素面になったら憶えていないだろうから、ここにしっかり記録しておく。

2002.3.19

 

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 三輪山に小便をひっかけ、二上山で野糞を垂れる。おれの価値観を逆転させてやるんだ。すべて汚いモノは美しく、美しいモノはなべておぞましい。風呂場で死んだあるロッカーが言っていた。「カラスはなぜ、嫌われ者なんだろうか。ほんとうはカラスは誰も知らない真実を知っているんじゃないか」 足下にゴミのように横たわる浮浪者を指して嘲笑っても、5本の指のうちの1本はお前自身を指している。ある人がHPに記していた日記が途絶えて久しい。あのテロ事件以来、失語症になったのだという。日々の営みを語るコトバを失った。「世界の片隅で餓死していく子どもを世界の中心に据えたら、表現はもっと戦闘的になるべきではないか」という、ある作家のコトバをおれは考え続けている。綿菓子のようなコトバが氾濫している。それはひどく甘ったるく、嫌らしい。唾を吐きかけてやりたい。おれは上等な鉈(ナタ)を一挺、持っている。むかし、レコード屋の仕事を辞めたときに店の仲間がおれのリクエストで餞別に買ってくれたものだ。こいつでおれの身体のどこかをぶった切ったら、どす黒い血があふれ出すだろう。そのぶつぶつとした気泡の中に、あるいは少しはマシな何かが見えるかも知れない。

 相変わらずマディ・ウォーターズを聴いている。大木のような、その音を。その樹皮は漁師の手の皮膚のように硬くぶ厚く、内側は仄暗い想念がいっぱだが、広げた枝には瑞々しい緑の若葉が密生し誇らしく風に揺れている。いまどんな気分かと問われたら、おれはこんな気分だ。

 

I got an axe handle pistol on a graveyard frame
That shoot tombstone bullets, wearin' balls and chain
I'm drinkin' TNT, I'm smokin' dynamite
I hope some screwball start a fight
'Cause I'm ready, ready as anybody can be
I'm ready for you, I hope you're ready for me

 

おれは墓場の図体にピストルみたいな首切り斧を持ち
鎖つきの鉄の玉をぶらさげ、墓石の弾丸を撃つ
TNT火薬を飲み、ダイナマイトをふかす
どっかのアホが喧嘩でもおっ始めないものかと思ってる
なぜっておれは人並みの覚悟くらいはあるぜ
おれはおまえを受け入れよう
おまえもこんなおれを受け入れてくれ

( Muddy Waters・I'm ready 1954 )

 

2002.3.20

 

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 自慢話だが、わが家の利発な愛娘はたとえば絵本に風船の絵が出ていると、「青い風船」と言っても分からないのが「Blue Balloon」と言うとちゃんと指をさす。「拍手」でも分かるが、どちらかというと「Clap」の方が通じが良い。これも私の従兄から拝領した50万円のディズニー英語教材のビデオのお陰である。なんせ毎日欠かさずに、しかも熱心に見入って飽きない。大好きな犬も「バウバウ」の英語読みだしな。このごろは外でミッキー・マウスの絵など見つけると大喜びである。ああ、ディズニー・ランドへ行く日も近いか....(自慢じゃないが、一度も行ったことがない)

 今日はつれあいが難波へ服地を買いに行くというので、久しぶりにこどもの体操とプールを受け持った。で、そんな親子の異様な群れに混じってときどき感じるのが、一部の母親の無神経さである。たとえばサウナ室の着替えで他にも場所が空いているのに邪魔くさい床の中央に堂々と子どもを寝かせ着替えさせている。プール内に設けられた周遊コースの途中に子どもを座らせて塞ぎ、母親同士で井戸端会議に熱中している。プールサイドでよその子たちに水をひっかけ回ったり、あるいは体操教室でよその子を蹴飛ばしたりしていても、母親は見て見ぬふりをしてわが子を叱らない。そんな他への配慮に欠けた無神経な風景を見るたびに私は、ひょっとしたら子どもに対する母親の愛情というのはこの世でいちばん救いがたいものではないだろうか、とすら思えてくるのである。宮沢賢治が言った「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さふいう愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふ、あたり前のことになりますから」(昭和4年・書簡下書き)という言葉を思い出したりする。そんなことを言ったってお前だって自分の子どもは特別だろう、と言われるかも知れないが、そうであって、そうではない。それは世界中にちらばった華厳の種子の小さな雛形である。少なくとも私は、そのようでありたいと思っている。

2002.3.21

 

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 先日、東京の友人が久しぶりに訪ねてくるとき、ぼくはかれに幾枚かの音楽CDといっしょに、あるアルバムの歌詞を持ってきてくれるよう頼んだ。それはキンクスのライブ盤 To The Bone のやつで、数年前にぼくは友人からその輸入盤を貰い、かれは国内盤を買い直した。そのアルバムの中のある曲のサウンドがぼくは気に入って、時には深夜にリピートで何度もその一曲だけを繰り返して聴いた。友人が持ってきてくれた歌詞を見て、ぼくは「なんだ、これはおれのテーマ・ソングじゃないか。詞が分からなくても、やっぱり感じるものだな」と言って、友人の苦笑を誘った。それは、こんな歌詞だ。

 

奴らの言いなりにはなりたくない
このしかめ面を微笑みに変えるつもりはない
無抵抗ですべてを受け入れるつもりもない
調子のいいときには街へくり出すんだ

なぜって、ぼくは他のみんなとは違うから
ぼくは他のみんなとは違う
ぼくは他のみんなとは違う
ぼくは他のみんなとは違うんだ

他のみんなのようにこの人生を生きたくはない
他のみんなのように駄目にされたくはない
他のみんなのように仕事を得たくはない
なぜって、ぼくは他のみんなとは違うから
(歌ってくれ、歌ってくれ。きみはいったい何だ?)
ぼくは他のみんなとは違う

ダーリン きみを心から愛しているよ
きみが望むことなら何でもしてあげよう
きみが望むなら、これまで犯した罪のすべてさえ告白しよう
でもひとつだけできないことがあるんだ
なぜって、ぼくは他のみんなとは違うから
ぼくは他のみんなとは違う
ぼくは他のみんなとは違うんだ

(Kinks・I'm Not Like Everybody Else)

 

 こんな歌は青臭いと言われるだろうか。けれどもぼくは、そんな青臭い言葉の発露こそ逆に、いまの時代に必要じゃないかと思うのだ。大人ぶって取り澄ました言葉はすべて、あのハイジャック機がニューヨークのツイン・タワーに突っ込んだ瞬間に蜃気楼のように崩れ去ってしまった。

 

 レイ・ディヴィスの奏でる不思議なギターの粒子に誘われて、ぼくは柄にもなく夜更けにひとり、ずっとむかしに書いた下手糞な詩を思い出している。

 

ぼくはソンケイする
谿流に直立する岩盤の形象を
そこに刻まれた幾千年もの記憶を

ぼくはソンケイする
水銀のような水の煌めきを
流れてやまぬ清らかなその忘却の旅路を

ぼくはソンケイする
太い年輪を秘めた慎み深い大樹を
老いた羊飼いのような、その健やかな智恵と寛容を

ぼくはソンケイする
嘲りと軽蔑と敗北に甘んじてきた人の
新しい夜明けに立つ誇らかなその顔を
また見捨てられ、報われない者たちの
暗い決意を宿した洞窟のひそかな涙を

ぼくはソンケイする
永劫の時間と空間に押さえつけられた
重力の無邪気な反乱を
あらゆる生命と無機物に隠された
遠い〈戦慄〉の字謎(アナグラム)

そしてぼくはソンケイする
ぼくの肉、ぼくの血管に脈打つ冥い深淵を
まつろわぬ者たちの、その必敗の歴史と矜持を

 

 きみがまだそこにいるのなら、今夜、ぼくといっしょに踊っておくれ。それが嫌ならローンで揃えたマイ・ホームとクルマの待つ寝ぐらへトットと帰ってくれ。

 だってボブ・マーリィがこんなふうに言っていた。

 

 ジャマイカはぼくに、捨てることを教えてくれた土地だ。感情と信念以外は何も、補修がきかないのだということを。

 

2002.3.22

 

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 カネがあるのは良い気分だ。今日は間抜けなオヤジのキャッシュ・カードを抜き取ってやった。言葉は肉体と連動していると思う。三分間の一発勝負なら、いまでもマイク・タイソンと闘ってみたい。

2002.3.22 深夜

 

 

 

 

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