■日々是ゴム消し log3 もどる

 

 

 

 

 わが家のベランダに面した斜面に小さな溜池があって、その池の縁に名も知らぬ大きな樹が立っていた。それがおととしの夏であったか、隣接する畑の持ち主に突然切り倒されたのである。樹は根本から断ち切られ、そのまま池の中央へどっかと横臥していた。毎朝ベランダの窓を開け、樹の枝々に集まる野鳥の姿を見るのが愉しみだったらしいつれあいが、それを見て泣き出してしまった。彼女のなかで、その樹はとても親しい、特別な存在であったらしい。

 ここに越してきてから毎朝おはようって挨拶していたのに..... と子供のようにいつまでも泣きやまない彼女を見かねて、私は池の縁まで降りていって、切り株の横から生えている芽を切り取ってきた。それをベランダのプランターに挿し木にして、うまくいけば根づくだろう、あの樹は切られても、その子供たちがまた次々と出てくるんだよ、と言うと、つれあいはやっと泣きやんで、しばらくその挿し木を黙って眺めていた。

 一週間ほど前であったか、この冬いちばんの寒波が来て、明け方には雪になるだろうと、テレビの天気予報も雪マークのオン・パレードであった。寒い朝の出勤は嫌だけれど、雪景色が見れるなら我慢してもいいな、とつれあいは言うのである。ベランダの前の畑が一面真っ白になって、雪の上をさくさくって歩くの... とまた子供のようなことを言う。ところがその日は寒かったものの、雪はとうとう降らなかった。つれあいは酷く落胆して、あんなに雪マークばかりだったのに、とテレビの天気予報士にぼやいていた。

 そして今朝、雪が降った。だが生憎つれあいはドクター・ストップがかかって、しばらく家で安静にしているようにと言われていた。せっかくの雪景色も、歩きに行けない。外の階段に積もっていた雪で小さな雪だるまを拵えて、小皿に乗せて持っていってやった。朝食の皿を洗い、可燃ゴミを出しに行き、風呂場の掃除を終えて戻ってきたら、ストーブの熱で傾きかけた雪だるまを、まだ嬉しそうにじっと見つめたままでいる。

 

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 空騒ぎの千年紀・ミレニアムとやらを迎えても、すっかり疲弊しきったこの国では相変わらず、地下の狂おしく煮たぎったマグマがぷすぷすと地表に噴出するかのように、面妖な事件が続いている。ミイラ化した子供の遺体を復活させるとか、誘拐した少女を9年間も監禁していた無職の男とか、あるいはストーカー男の自殺体が北の果ての湖に浮かんだり、卑小なものでは性懲りもなく警察官や教師がビデオの盗み撮りをして捕まったりなど、週刊誌やワイドショーのネタには事欠かない。

 いま『見世物小屋の文化誌』という本を少しづつ読み継いでいる。詳しくは後日に書評で紹介したいと思っているが、人間ポンプや蛇女、牛男、電気人間、タコ娘といった小屋掛けの看板で祭りの夜を怪しく染めた見世物の興行に関する様々な視点からのアプローチを編んだ興味深い読み物である。私自身は見たことはないのだが、まるで子供の頃に読んだ江戸川乱歩の小説でも思い返すように、妖しく、懐かしい。

 そんな類の本も含めて近年、とくに民俗学的な材に取材した書物を読み漁ることが次第に多くなってきているのだが、それらのどこかノスルジックな風景に接するたびにいつも思うのは、かつては人の内面的な闇の部分をうまく処理する装置がその共同体に機能していたということである。あるいはまた、死や異界という領域との〈交通〉が開かれていたという思いである。

 それらの闇が、抗菌グッズなどに代表されるクリーンな生活のもとに隠蔽され、見事に遮断されてしまった。異物は「なきもの」として排除され、突出した生け贄に投影され、異端として葬り去られる。そうして表面上は見通しの良い、まるで新築のモデル・ハウスのような清潔で明るくすっきりとした日常が無事に保たれるが、その背後では闇の領域との〈交通〉を遮断され行き場をなくしたどろどろとした形無きものが、増殖する菌類のように不断に生産され続けていく。

 かつて幼児連続殺人の宮崎勤の事件が起こったときに、残酷ビデオの規制がさまざまな自治体によって声高に言われた。私は当時たまたま、ある地方のレンタル・ビデオ店で働いていたのだが、その規制対象のひとつとしてやり玉に挙げられた「ギニー・ピック」という残酷ビデオが、その事件の報道により、もの凄い貸し出し数を記録したのを目の当たりにした。別の言い方をするなら私はそのとき、宮崎勤の事件への興味によってタガを外されとめどなく奔流する人々の闇の欲望を目の当たりにしたのだ。

 闇の領域を刺激するものをさらに厳しく寸断してしまおうというのは、まったくお役所的な本末転倒の発想でしかない。現代の悲劇は、そうした人の心の闇をすくい取る受け皿が存在しないということである。死のありようをつぶさに目撃したり、祭りの見世物小屋で奇怪な空想を遊ばせたり、あるいは祖母の語る陰惨な異人殺しの言い伝えに恐怖したり、そのような共同体のサポートを経て闇の領域を正しく摂取する体験がないから、そのような装置が機能する働きがすでに失われているからこそ、水面下に貯め込まれた悪は短絡的な行為としてある日噴出する。

 ロバート・ジョンスンに、こんなブルースの曲がある。

 

今朝はやく おまえがドアをノックした
おれは言った 「やあ悪魔、出かける時間だな」

 

 かれは悪魔と並んで歩いてゆく。自分の中に悪魔が棲んでいることから目を背けず、張り裂けるような狂おしい気持ちを抱えながら歩いてゆく。

 

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 この世が突然、うすっぺらな何の手応えもない存在に豹変することはないだろうか。足下が砂上の楼閣のごとくさらさらと崩れて、一見おだやかに連続する日常が深い亀裂を見せる瞬間はないだろうか。すべてを捨てて、冷徹な砂と月光だけの砂漠の洞窟に閉じこもり、生と死の単純明瞭な問いだけに残る人生の期限を費やしたいと熱望することはないだろうか。顔に醜い痣を抱く奇病に苛まれた者たちが、自らの「異形」を任じユニーク・フェイスと銘打った記事が今朝の新聞に載っていた。かれらの視点を借りたら、この世の風景はどれだけ歪んで見えることだろう。真鶴の真昼のホームで殺戮し合う時代遅れの過激派たちはどうか。あるいはアフリカの灼熱の大地にその首が転がった青年や、中南米の密林でカラシニコフ小銃を手入れするゲリラ兵士たちにとってはどうか。タイの裏通りで脂ぎった中年の日本人たちに体を売るいたいけな少女や、中国人民革命軍によって両親を射殺されたチベット自治区の年端もいかぬ少年にとっての世界とは? ぼくらは同じ風や土の匂いを嗅ぎ、血の匂いに怯えているのだろうか。同じようにヒマラヤの分厚い氷河が溶けるのを目撃し、同じように見知らぬ赤ん坊から切り取られた臓器を売買しているのだろうか。そしてまったく同じように、何の罪もない小学生を刺し殺した血生臭い両腕を呪いながらマンションの14階から跳躍した青年のように自らの身体を冷たい路上に叩きつけ、幸福そうな都心の午後の買い物客たちを憑かれたように次々と刺し殺していった通り魔のように呻いたのだろうか。ぼくらが今日食べた夕食の鱈の煮付けはかれらの寄る辺なき魂と繋がっているのだろうか。夕方にガソリン・スタンドで給油したオイルや来週の旅行のために引き落とした銀行カードの金利はアメリカの株式市場と密接に繋がっているだろうが、物言わず死んでいくこの国の子供たちの魂とは果てして繋がっているのだろうか。特急列車の窓の外を流れるように過ぎていくこの風景は、果たして本物なのか。近しい者が死んだときに覚えるような、魔の差したようなこの空恐ろしい空隙はたんなるまやかしなのか。それともすべては幻で、超高速の加速器で分離されたクオークのようにどろどろに溶けた原始の海のようなものなのか。暗闇で思わず抱きしめた彼女の柔らかなぬくもり以外に、ぼくには確かなものなど何ひとつとしてありはしない。

 

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 買いたい本やCDはたくさんあるのだが、ただチサの葉一枚分の空白が懐かしくて、後ろ髪をひかれつつ大阪から家へ帰る夕刻の電車に乗り込むと、隣に立った中学生らしいあどけない少女が「ニーチェにおける世界認識の変遷」なる本を開いているのに驚き、しばし頁を添い寝する。隣町の「マジック・ミシン」から電話で、預けておいたファスナーがイカレたバイクのタンク・バックの修理は、特殊な構造のため一万以上もかかるという。それなら新品が買えてしまうよとキャンセルに。古いものを、大事に使いたくても儘ならぬ。つれあいがプランターに植えたチューリップの球根の固い芽が、暖かい冬のある朝にまるで少女の蕾のようにきれいに割れていた。冬季の休眠を破るために植物は、一定の低温にさらされることが必要条件なのだとどこかで読んだのを朧に思い出す。ではひとも、そうだろうか。国道沿いの古本屋に立ち寄る。狩撫麻礼原作のコミック「ギィルティ」の2巻を見つけて手にとった。記憶喪失のような数年間を無人島で幻の映画のシナリオを温めていたこの男のストオリィの1巻を、別の古本屋で見つけたのは2年前だった。レジのおばさんが「今日はバレンタインですから」とにこやかに呉れたチョコレイトの包みを手になぜか逡巡する。夜更けに玄関の戸を開けるとしめやかな雨の匂い。youth of the thousand summer の予感に心騒ぐ。よく研いだ草刈りの鎌のような半月。近くの小学校へつれあいとふたり、バザーのために家の不要品を出しに行く。すべてつれあいの貰い物のバックやブランド物のハンケチ、陶器の花瓶やもろもろの雑貨で、「新品に限る」との指定にそういえば俺の持ち物で新品のものなどひとつもなかったなと思わず苦笑する。テレビでつれあいの好きな「大草原の小さな家」をいっしょに見、「風の谷のナウシカ」を見、熊野の山里に移住した農業志願のIターン者のレポートを見て思わず地図をめくってみる。600羽の鶏に、一日300個の有精卵。消失した8割の田畑。棚田とはまるで山人のはかなくも哀しい非暴力のモニュメントだ。牛乳パックに注いだ米のとぎ汁をプランターの植物に撒き、焼酎のお湯割りにうつつを抜かす夜。夜這いに忍び込んだやもめのように哀しく布団にすべり込むと、お猿さんのお尻が火だったらみんな火事になっちゃうよね、と思わぬつれあいの寝言に不意をつかれつつも、....うん、そうだね、と暗闇で返答する。闇夜の街の屋根を闊歩する一匹の猿の幻影。相変わらずしけた世界の縁を羅針盤も持たず漂っているが、俺にとってはここが世界の中心だとうそぶいて、やわらかな温もりに身を寄せる今宵も。

 

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 とにかく俗事に疎いので、ブランドなどというものとはほとんど縁なく生きてきた。最近はそれでもつれあいの指南で世間並みに近づいてきたかも知れないが、つい数年前まではニコルといえば作家のC.W.ニコルさんであったし、ヴァレンチノと言われても、どこぞの洋菓子屋かテニス・プレイヤーの名前かと応えていた始末であった。服は着れればよいし、靴は履ければよい、バッグも物が運べればよい。たまに着る物を買っても多くは近所のイトーヨーカドーか、せいぜい上野・アメ横近辺の安い店で、それでもこのシャツ一枚で中古レコードが一枚買える、神田の古書店にあったヘルダーリンの詩集も買えるな、と逡巡するのである。20代の半ば頃に、中学の時に着ていたTシャツをまだ着ている、と友人にからかわれたこともあった。

 新聞に“ブランドの魔力”と題して載っていた記事を、つれあいに読み聞かせた。夜逃げした独身女性の1DKの部屋を埋め尽くすように残されていた大量のブランド物の衣類やバッグ。「こつこつ貯めても利子もつかない」お金の存在に疑問を抱き、死んだ夫の生命保険を取り崩して娘にカルティエの時計やフェンディのセーター、シャネルのバッグと次々と買い与え始めた母親。ブランドとは豊かさの物差しであり、集団の中にいる安心感とその枠の中での微妙な差別化であると記者は評し、モノが対人関係の指標になっているというある精神科医のコメントが添えられていた。ブランド音痴の私には、何やらさっぱり分からない別世界の物語だ。参加したくないゲームのごとき。

 安物買いの私が、つれあいから教わったことがひとつある。「私はね、別に高い物が欲しいんじゃないの。良い物が欲しいと思って見ていったら、そこに高い値段がついているの」 飛鳥で藍染織館を開いているW氏が以前、つれあいのこの台詞を聞いて「お前さんより、物が分かっているじゃないか」と評して呵々と笑った。安物買いの銭失い、ということである。粗末な安物をごちゃごちゃと持っているよりも、ほんとうに良いものをひとつだけ買ってそれを長く大事に使いたいというつれあいは、私と一緒になって以来、高価な洋服は手に届かず、かといってスーパーに吊してある服は我慢がならず、結局自分で生地を買ってきては製図を引きせっせと拵えている。私も冬のジャケットを一着つくってもらい、それは今では私の貴重なお出かけ用一張羅である。つれあいと一緒になってから、私の所有していた服のことごとくが「まるで子供服だわ」の一言で粛清されていったから。

 外国人の冷笑を浴びるほどの日本人の異様なブランド物への群がりようは、あれはかつての農協団体ツアーのようなものではなかろうかとも思うのである。その温度の質が、どこか似ている。あるいは「お受験ママ」や「ステージ・ママ」のそれにも。またつれあいが言ったのは、「ルイ・ヴィトンのバッグ」に「キティちゃんのアクセサリー」を付けている光景で、あれは理解できない、とかぶりを振る。高級なブランド物を選ぶセンスと、子供じみたキャラクター・グッズとの同居が、不思議でたまらないと彼女は言うのである。とにかく不思議なことだらけのようで、私はそろそろこの話題に飽き始めてくる。

 そういえば中学にあがったばかりの新しいクラスで、どんな話の成り行きであったか失念したが、あるちょっと好意を持っていた女の子に家から持ってきた自分の幼い頃の写真を見せたことがある。上野の国立西洋美術館の前庭で、小学生の私がロダンの“考える人”を真似したポーズでしゃがんでいる一枚である。きっと自分でも気に入っていた写真だったのだろう。ところが彼女はそれをのぞき込むなり、突然笑い出した。私の履いている靴がひどい安物だと言うのである。いまから考えれば、確かにそれは大量生産の安っぽい靴であったのだが、当時の私はなぜ笑われているのか分からず、とまどうしかなかった。ほのかな恋心も霧散し、なぜとなく、そうか、これが“世間”という奴なのだな、と思ったのを覚えている。

 

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 かつて中上健次が、ワープロよりもむしろ巻紙に筆で小説を書きたい、と言っていたのを聞いた。ひょんなことから友人よりロハで譲り受けたのが始まりのパソコンだが、もともとCDよりアナログ・レコードの味わいが忘れられず、明快な二進法の肌触りにいまも馴染まない部分がたぶんに在る。世界中に張り巡らされたWeb上には、隣町のラーメン屋のメニューから見知らぬ回虫の遺伝子マップに至るまで、およそありとあらゆる情報が日々更新され、車輪を駆ける無数のネズミのように忙しく走り回っているが、果たしてそれらを手に入れられるようになったことが、本当に豊かになったことなのだろうか。顔も汗の匂いも知らない人たちと多くの言葉を交わすが、自分はほんとうの意味での会話をしているのだろうか。いつも自問する。たとえば先日、新聞の経済欄のあるコラムで見かけたこんな一文だ。

 

 そもそも我々の生活はかなりローカルなものである。普通に考えると、我々は生活時間の大半を家庭から半径数「以内で過ごしている。情報は、地球規模で流動して駆け巡っているが、それを利用する人間は地球規模で動いてはいないのである。

 

 イランの注目の監督、アッバス・キアロスタミの映画「桜桃の味」を、NHKのアジア映画番組でやっと見ることが出来た。初期の「ともだちのうちはどこ」も同じこの番組で見たし、また作家の辺見庸がこの「桜桃の味」を熱っぽく語っていたこともあって、ずっと見てみたいと思っていた。

 画面もストーリーも、いまでは世界市場の8割以上を独占する商業主義のハリウッド映画に背を向けるかのように、潔くシンプルだ。自殺志願の中年男が自分の遺体に砂をかけてくれる者を探して、車でうろつきまわる。最初の依頼者であるクルド人の少年は車から逃げ出していってしまった。二人目の依頼者であるアフガニスタンの戦火を逃れてきた神学校の青年は、自殺は神の教えに背くと首を縦に振らない。そして三度目に車に乗せた老人が、こんな話を男にする。

 自分も若い頃にどうにもならない問題を抱え自殺を考えて、家の近くのある木に登ってロープを結わえたが、ふと枝先の木の実が目に止まり、何気なく口にするとそれがとても甘くておいしかった。そのまま木の実を食べて続けているうちにとうとう朝になってしまった。学校へ向かう子供たちが通りかかり、枝を揺らして木の実を落としてよと請われ、地面に落ちた実を拾い集める子供の姿をいとおしく眺めた。自分は木の実をたくさん摘んで、家に帰って妻に食べさせた。彼女もとてもよろこんで食べた。そして、自分は自殺するのをやめてしまった。あんな小さな木の実が自分の命を救ってくれたのだ.....

 それで抱えていた問題が解決したのか、と男に訊かれ、老人はこう答える。いや、問題はそのままだが、私の中の何かが変わったんだ。あの木の実を口に入れた瞬間、私の気持ちがすっかり変わってしまったんだよ、と。老人は、きみの頼みは聞こう、だが私が砂をかけに行くときにきみがまだ生きていることを信じている、と言って車を降りる。その夜、男は自らが掘った穴に身を埋め、目を閉じ、ひとり世界を感じ取ろうとしている。夜の匂いや、雨の匂いや、風の音や、やがて来る美しい日の出の予感を.......

 この映画の意味は深い。老人に自殺を思いとどまらせたのは、言葉でも思想でも信仰でも理屈でもない、たった一粒の何気なく口に入れた木の実、口中に拡がったそのささやかな味覚である。その肉体的で単純な感覚が、がんじがらめになっていた頭の中の間隙をするりと抜けて、世界を、ひらいた。世界の秘密は、家の近くの見なれた木の枝の、たった一粒のちいさな木の実に隠されていた。単純で、いとも素朴だが、人はもともと単純で素朴な生き物なのだ。

 人間の脳神経をさえ呑み込むかに見える膨大な情報が日々駆け巡るWebの世界は、それは何かのささやかなきっかけにはなるかも知れないだろうが、結局のところ世界そのものではない。そしてこの先文明がどれだけ進歩しようとも、二進法のコンピューターの世界は、あのたった一粒の木の実さえ持つことはできないだろうと私は確信している。

 

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 かねがね日頃から思うことで、この際だから忌憚なく言わせてもらえば、オバサンというものは車の運転には適していない人種だと私は思うのである。周囲の状況にはまるきし無頓着、ウィンカーを出さずにいきなり曲がったり、停まったりする。おまけに運転は下手くそ。ほとんど遊園地のゴーカートにでも乗っているような気軽さで、路上の小悪魔のような華麗さで跋扈している様を、私は何度も見かけてきた。もちろん無謀運転はオバサンばかりではないが、やはりオバサンが圧倒的に多い。はっきり言って稚拙なのだ。車というものが一歩間違えば、充分に危険な凶器にもなり得るという認識がない。まさに気狂いに刃物。せいぜい自転車で商店街を疾走するくらいが似合っている。

 なぜこんな辛辣なことを言い出すのかというと、オバサンの餌食になったのである。実に10年ぶりのバイクでの事故であった。近所の片道二車線の広い幹線道路で、道沿いの駐車場からオバサンは中央寄りの車線までふらふらと出てきたかと思うと、ウィンカーも出さずに、隣接する別の駐車場へ入れようとやおらハンドルを切ってきた。こんな無茶苦茶な運転にはほとんど予測が不可能であった私は、左端の車線を後方から走ってきて避けきれず、昇天した。

 幸い転び方がうまかったのか、バイクを押し出すように先に突っ込ませたので、身体の方は軽い打ち身と擦り傷程度で済んだ。ほとんど歩道の際で横転・停止した愛車は、片側のウィンカーやミラー・ペダルの類が破損し、タンクも凹んだ。一月前に購入したばかりだというオバサンの大きなワゴン車も、私が突っ込んだ助手席のドアの下部がおなじように凹んだ。何かの集まりだったらしい仲間のオバサンたちがぞろぞろと駆け寄ってきて、大丈夫? 何ともない? と囲まれ、私はほとんど杉良太郎状態である。じきに警察官がやってきて、実地検分。オバサンはその警察官からも「もっと注意して走らなきゃ...」と叱られ、ほとんど消え入りそうな様子。人身事故にするか、物損にするかと警官に聞かれた私は、頭も打っていないし身体は大丈夫だから物損にしておいてくれて構わない、と応えておいた。

 翌日の夜、オバサンは建築士をしているというご主人を連れ、シャトレーゼの菓子折を持って我が家に謝罪に来た。ゆうべは主人からも散々叱られました。ほんとうにこのくらいの事故で済ませて貰って有り難いと、昨夜もしみじみ思ったんです。もうしばらく車は乗りません。....と、オバサンは前日に続いてことさらしおらしい。しかし炬燵を囲んでの座が世間話へと移り、出産の話題になる頃にはふだんの調子を取り戻して、やがて玄関先で見送る私のつれあいにまだ出産心得をひとしきり、階段下の夫君から「おい、もういい加減にしなさい。まったくお前はお喋りなんだから」とたしなめられる始末であった。ほんとうに、心の底から反省してね、オバサン。つれあいのお腹の子どもも、あやうく「父(てて)なし子」になるところだったんだからさ。

 ところで親類宅の情報から後日に判明したことだが、事故当日に勢揃いしていたあのオバサン連中、実は「真光(まひかり)の会」なる新興宗教の集まりで、駐車場の真向かいにあるマリン・スポーツ店の二階がその「道場」であるのだという。きっと軽い事故で済んだのも信仰のお陰と思うのだろうな、と二人でシャトレーゼの菓子をつまみながら会話した。

 

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 休日、つれあいと二人で仲良く散髪へ行く。歩いて5分ほどの、カット代ひとり二千円也の格安美容室である。もともと私は隣接するひとり千五百円のさらに低料金の床屋に通っていたのだが、二人でいっしょに行けるということでこちらの店に鞍替えした次第。二人並んで洗髪をし、二人並んで鏡の前に座る。隣でつれあいが10Bほど切って欲しいと女の子に言っている。私は私で、前と同じくらいの短めに、と注文する。散髪の最中、私は目を閉じてダルマのように動かない。二人の髪を切るハサミの音がシャキシャキと響いている。刈り取られた私とつれあいの髪が、パサッ、パサッ、とまるで枝打ちをされる杉の木のように小気味よく落ちていく。切られた髪の毛が勿体ない、何かの足しにならないだろうかと躊躇するつげ義春の漫画の一場面がふと浮かぶ。シャキシャキ。パサッ、パサッ。シャキシャキ。パサッ、パサッ。ふと片目でつれあいの席を覗くと、彼女は手にした女性雑誌に黙って目を落としている。幾度となく私の頬をくすぐり、私の指がからませた浪のような髪の先端が、ハラリ、ハラリと落ちていく。刈り落とされた男の髪はもはや屑でしかないが、女の髪はどこかいとおしい、未知の国のプラットホームで落とした遠い遺失物のようにさえ思われる.....

 つれあいの方が先に済んだ。何かつけましょうか? と言う女の子の申し出を断り、つぎはぎだらけの革ジャンを受け取り、金を払った。外へ出て、何気なく彼女の髪に手を伸ばして触れてみる。わずかに軽やかになったその重みを、まるで推し量ってみるかのように。髪を切った女はいつも、新しく、可愛らしい、と男は胸の内でひとりつぶやく。小石の分だけ揺らぐ川面のように一瞬、男の胸がやわらかにさんざめく。ありきたりの午後の光の裏に。なんてね。

 

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 大人になっても、ときおり何気なく思い出す風景がある。

 あれは小学校の低学年の頃だったろう。自転車でしばらくかかる、隣町の公園へよく友達と遊びに行った。そこには足こぎのカートがあり、敷地の中を専用のコースが走っていて、誰でも無料で利用できた。ぼくらはそこで終日デット・ヒートを繰り広げるのである。互いの車体をぶつけあって、さらに前をいくやつの尻にも追突し、幅寄せをしたり、独走態勢に入ったり。なかには途中でカートを放置し、別の遊びに興じる連中もいた。

 ある日、そんな具合にじゅうぶんに遊び疲れて、さあ、もう帰ろうというときに、ぼくは自分の自転車の鍵をなくしてしまったことに気づいた。子どもというものはそんなとき結構残酷なものだから、みんな見ないふりをしてさっさと帰っていく。つぎつぎと自転車に乗り走り去っていく友達を見送りながら、ぼくは自分の不注意で鍵をなくしたのだから仕方ないのだ、と思うことにした。いちばんの仲良しだと思っていた友人も、他の連中にまじって行ってしまった。

 ところが T という友達が、なぜかみんなと一緒には帰らず、ひとりだけ残ってくれた。近所の長屋に住む、どちらかというと当時はまだ目立たないタイプの友達だった。ぼくと T の二人は、鍵のかかったぼくの自転車を近くの自動販売機が立ち並ぶ公衆電話のところまで引っぱっていって、ポケットにあったなけなしの10円玉でぼくの自宅へ電話を入れた。すでに日もとっぷりと暮れていた。

 ぼくの父親が自転車でやってきたのは、一時間半くらい経ってからだったろうか。ぼくらはその間、自販機の前にしゃがみ込んで、通り過ぎる車のライトを数えていた。父親は持ってきたドライバーでぼくの自転車の鍵をこじあけ、それからぼくと T にジュースを買ってくれた。もちろん T に礼を言うのも忘れなかった。自分と父親と T と、奇妙な組み合わせで夜更けにこんなふうに三人でいることが、ぼくにはどこかくすぐったく、そして嬉しい気持ちがした。

 後年、ぼくの母親はこの話題が好きで、何度も口癖のように言ったものだ。ほかのみんなは帰っちゃったのに、T くんだけ、お前といっしょに残ってくれたんだからね、と。クラッシックのギタリストを目指すことになる T とは、その後も長いつきあいが続いたが、あのときのことを聞いたことは一度もない。

 こんなことを思い出すのはきまって、こころが弱りかけていて、それでも何かを取り戻そうとして抗っているようなときだ。

 

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 現在、NHKの教育テレビで火曜日に放送されている人間講座「宮本常一が見た日本」を毎週欠かさずに見ている。宮本は日本中を経巡ったフィールド・ワーカーの最たる民俗学者だが、かつて岩波文庫の著書でかれが、かつてこの国の山中に癩病者(ハンセン病)たちが人目を忍んで通る「かったい道」といわれる杣道が存在したと書き記していたのを読み、列島に毛細血管のごとく張り巡らされた古(いにしえ)の闇のルートを想い震撼した。

 今日の放送は離島の振興がメイン・テーマであったのだが、そのなかで宮本が後進の者に残したという次のようなふたつのことばが心に残った。

 ひとつは佐渡で和太鼓の活動を続けてきた人に、リポーター役の佐野真一が、あなたは佐渡からみたらよそ者であるわけだがそのことについてはどう思うか、と質したのに対して、宮本が言ったという次のようなことばが紹介される。

 

 佐渡はこれまで縄文時代以来4度、ひとが入れ替わっている。だから、ひとが移動するというのは何でもないことだ。旅をして、自分が居心地よく感じる場所があったらそこに住み、何かを始めることだ。

 

 このことばは奇しくも、ロ−リング・サンダ−というネイティブ・インディアンのメディスン・マンが言ったこんなことばと瓜二つだ。

 

 自分がどこにいると気分がいいか、そしてどこにいるとまわりの自然や人間に溶けこんだ感じがするか、それを見つけることからはじめるがいい。

 

 もうひとつはやはりおなじ佐渡で、裂織りというボロ切れを再利用する機織りの技法に魅せられ移住してきた学芸員の女性に対して、かつて言われたということば。

 

 ぜったいに佐渡を離れてはいけない。そして、佐渡のゴミになるな、土になれ。

 

 単純なことばだが、意味するものは計りなく深い。これも乾パンを背負ってこの国の襞のすみずみまでも歩き通した者のみに自然と滲み出る智慧のことばだろうか。そう、モノばかりでない。まことひともその生き方次第で、ダイオキシンを垂れ流す無用の醜いゴミにもなるし、次なる作物を育む豊かな土にもなる。

 願わくば、おれもひと握の土くれとして果てたいものだ、と詠嘆した。

 

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 日曜、つれあいの友人の結婚祝いのプレゼントを贈るために二人でひさしぶりに大阪の天王寺へ出る。はじめに駅ビルの書店に寄り、プレゼントに同封するカードと、NHKの「宮本常一が見た日本」のテキストを購入。階下に移りレコード店をしばし物色。ディランの新曲の入ったサントラを探すが見あたらず、Van Morrison の新譜も国内盤を待つことに。映画が評判のライ・クーダーをはじめいくつか欲しいCDもあったのだが、これから出産費用などでいろいろ金もかかるしなとひとりごち、結局何も買わずに店を出た。

 近鉄では、最初はワインあたりが無難かと話していたのだが、とりあえず他のものも見てみよう、と上の階へ。漆塗りの食器や台所用品などあちこち見て歩き、そろそろ飽き始めてきた私が、これなんかどう?、と指した刺繍の布で囲ったゴミ箱がつれあいもいたく気に入った様子で、これなら居間や寝室や洗面所の下でもいいしね、と喜んでいる。少々疲れてきたのでひとまず店内の喫茶店で小休止し、二人でカードを書き上げてから、ふたたび売場へ戻って精算をする。ランセルというブランドものらしいが、うん、夫婦茶碗やワイン・グラスなら腐るほど考えつくが、ゴミ箱というのはなかなかに盲点を突いているぞ、さすがに俺は目の付け所が違う、とわきで私は大いばり。

 これで本日の目的は無事完了したので、つれあいの希望で階を移ってマタニティ売場を覗いてから、催事場で開催していた大分県の物産展を見に行く。名産の揚げ物やふかし饅頭を試食したりするが、つれあいの妊娠メニューにそぐわないために見合わせ、近所の八百屋よりも安かったサツマイモと切り干し大根などを買う。また、木工品の売場でつれあいが、赤ん坊の離乳食のときにいいという柘植のスプーンを一ヶ購入。つれあいにべったりで盛んに孫の自慢話をしていた商工会のおっさんはよっぽどご満悦だったらしく、福引きの券を多めにくれ、またスプーンに彫る子どもの名前もまだ決まっていないと聞き、来年の同じ頃にまた来るので持ってきてくれたらいいと言い、わずか700円の客をニコニコ顔で見送ってくれた。

 帰りがけに駅前の王将で夕食。ラーメン・セット(ラーメン&チャーハン)に、餃子一人前、八宝菜、キムチ・チャーハンを二人で食べて帰る。

  

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 テレビでオウム信徒の子どもの就学拒否に関するニュースを見る。以前にもそうだったが、今回も学校の保護者たちが口々に、自分の子どもといっしょの学校には来て貰いたくない、理屈はどうあれとにかく反対だ、と話している。こうした光景を見るたびに、分からなくはないが、それでも私はいつも不思議に思う。親はともかくも、子どもは関係がないじゃないか。オウムに染まっているからというのなら、そしてかれらの事件を他人事でなく同じこの国の人間として真摯に受け止める気があるのなら、自分たちの手でせめて子どもたちだけは矯正してやろうくらいの意気込みがあったっていいじゃないか。要するに、精神病院やゴミ処理場建設のときと同じ風景なのだ。「ここではない、どこかよそへ行ってくれ。面倒事は勘弁してくれ」 皮肉にも、そうした異物を排除する姿勢が、オウムを生んだのだということが彼らには分からない。チンケな想像力しかないから。窓のないあの異様なのっぺらぼうのサティアンと称する建物に閉じこもったのは、本当にかれらだけの罪なのか? かれらが盛んに言っていた漫画のような外部からの毒ガス攻撃とは、実はそうした「良識」に名を借りた「排除の毒ガス」ではなかったか? おそらく、あのニュース画面で話していた人たちは、みなそれぞれに家では子ども思いの良き父親であり良き母親なのだろう。私のなくした財布を届けてくれたり、大根の値段をまけてくれる気前の良い近所の八百屋の親父かも知れない。そう、ユダヤ人の死体から金歯をはぎ取った後で、モーツァルトの曲に涙する強制収容所の所長のように。いちばん怖いのは、目に見える悪意ではなく、善意が総体となって悪意に転ずるその一見常識的な、目には見えない集団的な仕組みだ。

 テレビで新潟の少女監禁事件に関する特番を見る。二階の、窓が二重に仕切られた象徴的な特別構造の密室。あれも別種のミニ・サティアンのようなものだ。さしずめ息子が暴君たる教祖で、母親が盲目的で恭順な信徒、そして少女は哀れな生贄だろうか。最近この国の若者の間で流行らしい「閉じこもり」というのは、かくいう私も一時期危うくなりかけたことがあるから(いや、しょっちゅうなりかけている)、その気持ちはよく分かる。あれは些細なキッカケで、いつでも誰でも入れる。そのくせ、いったん入ってしまうと出るのは異常に難しい。そして内部の精神性というものは外からは決して伺い知れない。おそらくかれの密室も、暴力によって無気力になっていた他者たる少女を含めて、外部からは伺い知れず遮断された奇妙な秩序と関係が、危うい均衡のもとに保たれていたのだろう。それが許される限り、10年でも20年でも続いていたことだろう。その気持ちはよく分かるが、もちろん肯定も共感も同情もできないし、例の酒鬼薔薇君の事件のような臓腑に突き刺さるような衝撃もない。酷な言い方かも知れないが、いちばん悪いのは私は被告の母親だと思う。自分と息子だけの歪んだ関係なら構わないが、まったく無関係の少女の人生をずたずたにしてしまう前に、どうにもならなかったのなら、いっそのこと息子を殺して自分も死ねばよかった。次に悪いのはもちろん当の息子だ。三上寛の歌の「本当に行くというなら この包丁で母さんを 刺してから行け 行くのなら」のとおり、自らの手で母親を刺し殺せばよかった。そうすれば、自分を守っているものが、実は自分を縛っているものだったと気づいたことだろう。せめて、まったく無関係の他人に危害を加える前に、そうしてケリをつけるべきだった。無抵抗な少女を巻き込んでの10年もの歳月は、あまりに長く、残酷すぎる。

 久米宏のニュース・ステーションで知り合いの幼稚園児を殺害した母親に関する特集を見る。こちらは新潟の事件と代わって、私は犯人の母親にいくばくかの同情の念を覚えてしまう。この事件では全国のおなじような母親たちから「気持ちが分かる」という声が多数あがったらしいが、やはり小学生の子どもを二人持つ近所の親類の母親が私におなじようなことを言っていた。いわく「小学校より幼稚園の方が密で大変だ」と。何となく、想像がつく。女性諸君には悪いけれども、子どもという対象物を挟んでの女同士のねちねちしたやりとり。うへえ、関わりたくないねえ。「公園デビュー」という奇異なることばも、当のニュース番組ではじめて知った。おそらく被告の母親は、そうしたもろもろの煩わしい「儀式」を器用に対処したり、気軽に受け流したりできないタイプの人だったのだろう。ある意味では真面目で、小心な人だったように思う。この事件で実際に手を下したのは彼女だが、彼女をそこまで追い込んだのは周囲の「無罪の」母親達が織りなすもやもやした解明不能の霧のような、一種独特の雰囲気であったのだと思う。誤解を恐れず言えば、彼女は実は「真っ当な」反応をしたに過ぎないのではないか? そして、そうした奇怪な「もやもや」に加担し、それらを上手にこなし培養していた「無罪の」母親たちに限って、「信じられない」とか「怖ろしい」なんてことを眉をひそめて言ったりするのだ。またこの事件では、母と子の集団という閉じられた系を助長させた遠因として、客観視する対象が不在な核家族化、家庭内の疎外というものがあるように思う。被告の母親は以前から夫にSOSを発していたのだが、まともにとりあってもらえなかった。その夫というのが、寺の僧侶だったというのが笑える。人の心を仏の救いに導くためにある僧侶が、自分のつれあいがぎりぎりのSOSを発信していたのさえ、気づかなかった。そんなもんだよ、いまの僧侶なんてさ。金勘定しかしてないんだから。彼女はますます閉ざされた狭い世界の中で、浅い呼吸を繰り返し、妄想の中で殺意を肥大化させていった。何やら哀れな犠牲者のように、私には思えて仕方ない。

 

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 河原に突っ立った骨のようにしらじらと尖った枝に、一枚の葉ももたず、ただ赫灼とした真紅の花弁のみをこぼしている低木に歩を奪われた。無数の弾痕によってぽっかりと開いた無惨な傷口のようにも見えるし、冬枯れの山中で思わず出くわした隠里の表札のようにも感じる。さてはまた半歩ほど迷い込んだかと、ずっと昔に別れたっきりの女の肌を思い出したかのようにひとり舌打ちし、しばし逡巡してから、おずおずと花芯に指先を伸ばしかけたとたん、女が口に含ませていたホオズキが弾け、地面に精液のようなシミが汚く艶めかしく溢れ、広がった。痴れモノのようにだらしなく開いた女の口元はぬらぬらと妖しく濡れ、鷹のように高邁で冷笑をおびた両の眼がこちらを見すえている。ふいにむらむらと、嬲られるのならこちらから嬲ってやろうとでもいうように、やおら女の二の腕をつかみぐいとこちらへひき寄せ、唇を吸い、山香の匂い立つ乳房を乱暴に揉みしだいた、と思ったつぎの瞬間に、女の姿ははやかき消え、気がつくと、チチチ.... と叢で鳥の囀り交わす雑木林の日溜まりにひとり呆然と突っ立っている。足許にホオズキの実がひとつ落ちたるを拾う。“葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり”とは、なべて、まつろわぬモノの散骨の句であった。

  

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 わが Mac の日本語入力には長らくジャストシステムの ATOK を採用しているのだが (Mac標準装備の“ことえり”はどうも使い勝手が悪い) 、この日本語入力というもの、ひとつだけ不満に思うことがある。それは、いわゆる“放送禁止用語”の漢字が入っていない、ということである。その基準もはなはだ曖昧である。

 「盲人」は出るが「盲(めくら)」は出ず、従って「盲滅法」という言葉も使えない。「聾唖(ろうあ)」は出るくせに「聾(つんぼ)」はなく、「びっこ」ときたら検索をしてもその漢字さえ存在しない(足偏に皮、と書く)。そのくせ「禿(はげ)」は在る。「小人」は「こびと」では出ず「しょうじん」なら出る。だが辞書を引くと、「しょうじん」にはちゃんと「こびと」の意も入っている。あげく「気狂い・気違い」まで出ないのは、ちょっとやりすぎじゃないかとも思う。「きぐるい」で出るかと思ったら、「器具類」と出た。万事、この調子。まあ、自分で登録すればいいんだけどさ。

 「同和」というのはもちろん出るが、「被差別」「穢多」「非人」の類はもちろん出ない。「穢多」が出ないのなら、いっそのこと「天皇」も出ないようにするべきではないか。その方が公平ではないだろうか。言葉がなくなれば、そのモノもなくなるのだろうか。暴力団まがいの悪徳金融業者が「ニコニコ・ファイナンス」などと社名をつけたら、ボランティア団体にでも変わるのだろうか。

 以前にダスティ・ホフマン演じるレニー・ブルースの映画を見た。その中のある場面を、少し長いが『スタンダップ・コメディの勉強』(高平哲郎・晶文社)という本から紹介したい。

 

「今夜はここにニガーはいるかい?」

 少し考えて、レニーはいきなりそう言う。クラブの客は反応しようがなくてシーンとなる。むっとした顔の黒人紳士の顔が何人か映る。

「会場のライトをつけてくれるかい? それからウェイターもウェイトレスもちょっと休んでいてくれ。俺のスポット・ライトも切ってくれ。俺は何て言ったっけ? 今夜はここにニガーはいるかい?」

 そう言いながらレニーは客席に降りる。

「まずあそこに一人。あそこに二人、ニガーがいるね。それからニガー二人の間にカイク(ユダヤ人蔑称)がいる。あそこにも別のカイクがいる。二人のカイクに三人のニガーだ。(顔を覗き込み) スピック(ラテン系アメリカ人。とくにプエルトリコ人、メキシコ人の蔑称)? そうだよな。もう一人、スピックがいた。おや、ポーラック(ポーランド人の蔑称)もいるし、グリース・ボール(ラテン系アメリカ系、とくにメキシカンの蔑称)も何人かいるな。それにアイリッシュの混血もいるじゃないか」

 この辺りで会場がややなごんで笑いも起きて来る。黒人の席に行くと黒人を見つめながら.......

「ヒップで(hip)ずんぐりした(thick)筋肉もりもりの(hunky)イカした(funky)くろんぼ(boogie)。ブギブギ (しばらく笑顔で黒人を見つめてから) カイク三人、五人はいるか? スピック六人、ニガー七人、みんな肝っ玉はアメリカ人だ。ニガー七人、六人のスピック、混血五人、四人のカイク、ギニーズ(イタリア生まれの人、外国人の蔑称)三人とワップ(北米イタリア人)一人。(さっきの黒人に) もう少しで俺をぶん殴るところだったろう? (黒人は微笑む) 俺が言いたいのはこういうことだ。「言葉の抑圧」。それこそが暴力と悪意の元凶だ。ケネディ大統領がテレビに出て「政府にいるニガーを全部紹介しよう」と言ったら? 大統領が「ニガー、ニガー、ニガー、ニガー、ニガー」と連発したら? ブギ、ブギ、ブギ、ブギ、ニガー、ニガーニガー。もう何の意味もなくなる。六歳のガキも学校で「ニガー」といじめられなくなる」

 会場から大拍手が起きる。

 

 つまり、そういうことだ。隠すのではなく、逆に過剰に露出させることによって、その言葉の意味を無力化してしまう。笑いが人々に、そのことの意味を気づかせる。「穢多」という蔑称を禁止された後もこっそり「三つ指」を出して「穢多」を示したように、“言葉狩り”というものは果てしない陰湿化を生むだけ。そうした本末転倒のお役所的な発想には、レニー・ブルースのようなユーモアも鋭い洞察力もありはしない。

 最後に、調子こいてレニー・ブルースをもういっぱつ。

 

「「ファック・ユー ! 」は人に向かって言ういちばん悪い言葉なんだって? でも、そいつはおかしいぜ。本当に相手を傷つけたいんなら、「アンファック・ユー ! 」って言うぜ。だってそうだろ、「ファック・ユー ! 」は気持ちがいいんだから」

 そこで久しぶりに母親に電話をかけているシーンを演じて見せる。

「ママ? 俺だよ。(親愛の情をこめて) ファック・ユー !  本当だよ。パパ、パパはいる....... パパ !  (同じく親愛の情で) ファック・ユー ! 」

 

*

 

 休日、午後よりひとり単車に乗って、明日香村の最近出土した亀型の流水遺構を見に行く。月曜を含む連休とあって、心なしか道もかなり混んでいる。飛鳥坐神社の駐車場にバイクを置き、そこから徒歩で発掘現場へ。うへえ、冬には閑古鳥がさみしく鳴いていた飛鳥も、すっかり亀さんプームではないですか。うじゃうじゃ人がいる。お決まりの見学コースを避けて、隣接する酒船石から竹藪の中を突っ切って亀型石の真上の崖の上から覗いていたら、作業をしていたおっさんに、危ないからそんなところにいちゃイカン、と叱られた。まあまあ、いいじゃないですか、落ちないように気をつけますから、となだめて居座る。遺構は埋め戻しのための下準備のようで、漆喰のようなもので塗り固めているところだった。特等席からしばし眺めたのち、近くの民俗資料館で売っていた今回の遺跡の絵葉書(@200)を妹のために買って、さっさと帰途に就く。

 夕刻、家へ戻るとつれあいの姿が見えない。さては買い物にでも行ったか、とバイクを置いて近所のサティまで歩いていく。ちょうどレジを出てきたところで会い、今夜は豚肉のしゃぶしゃぶだと言う。牛肉は高いので豚肉にしたそうだ。つれあいが手製のゴマだれを作ってくれる。これが実に美味。私は恥ずかしながら、つれあいと一緒になるまでしゃぶしゃぶというものを食べたことがなかった。こんなうまいものは食ったことがない、と私が言うと、この間もおんなじことを言ったわよ、とつれあいが言う。そうだったっけ?

 食後、ビデオで録り置きしていたNHKの、立花隆による臨死体験のレポート番組を見る。私はさして目新しいものはないが、つれあいは食い入るように見ている。そこで番組が終わった後、本棚にある「チベットの死者の書」を取り出して、しばしつれあいに読んで聞かせる。

 

 ....この時に汝は次のように考えるだろう。〈ああ、私は死んでしまっているのだ。私はどうしたらよいのだろう〉と、このように悲しく思っている時に心臓は冷たく、うつろになる。 ...お供えされたもの以外には食物も食べることができないような時期が、汝に訪れるだろう。

 

 こんなくだりがあったせいだろう、つれあいは突然目に涙を溜めて、わたしが死んだら○○さん(私のこと)が食べるものと同じものをちゃんとお供えしてね、と言う。じゃあ(つれあいが苦手な)納豆ばかり毎日供えてあげるよ、と言うと、彼女は少し笑う。

 その後、引き続き NHK で「移住31年目の乗船名簿」なる、昭和40年代に南米へ移住していった人たちのその後の苦難に満ちた半生を辿る重い番組を見る。大農場を経営し成功した者、挫折して日本へ帰った者、病や事故で倒れた者、生活に行き詰まり心中を企てた者..... 20年30年の歳月をいとも軽く飛び越してしまう映像は、ひたすらに冷徹で、どこか儚い。人に歴史あり、だ。それにしても彼らの歴史はそのどれもが、さながら一編の雄大な叙事詩のようだ。

 夜になると決まってつわりが酷くなるつれあいは、今夜も早めに布団に入る。じゃ、おやすみなさい、と料理の本を片手に隣室の襖が閉じられた後、しばらくかさこそと音がしているが、やがてそれもやんで静かになる。

 

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 大阪・守口市で起きた路上殺人の事件。容疑者の23歳の青年は、神戸の酒鬼薔薇くんの事件や、昨年末の京都の校庭で小学生を刺殺し容疑者が屋上から飛び降り自殺した事件に深い興味と共感を抱き、またその後、自室からはオウム関連の書物なども押収された、ともいう。模倣犯というよりも、まだまだたくさんの予備軍がいるということなのだろう。崖崩れの後でふと見上げるといまにも落ちてきそうな不安定な岩があちこちに点在している、そんな感じだろうか。こちらからは見えない崖のもっと上の方でもそんな岩はきっと無数にあって、むしろかれらは転がり落ちることを夢見ているのかも知れない。そのことによって宙ぶらりんの状況に置かれている己が、いっそ解き放たれるとでも言うみたいに。

 「誰かに話を聞いて欲しかった」「自分を含め、こういう人間が世の中にいるとことを知って欲しかった」等々の供述が新聞に載っていたが、他人とコミュニケーションを取るための手段が殺人であった-----おそらくかれにはそれしか残されていなかったとは、胸が痛む。及んだ行為は短絡であるが、そのぎりぎりの心情は分かるような気もする。こういうやつがロック・バンドを組んでいたら、ひょっとしていいブルースを歌えたかも知れないなぞとも思う。甘ったれだと切り捨てるのは簡単だが、見知らぬ他人を刺し殺すのもまた、相当の覚悟がなくてはおいそれとは出来ないことだ。私はいっそ、そうして欲しかった。そのくらいの覚悟と捨て身の心情があるのなら、そいつを別の表現にぶつけて欲しかった。それにしても何ともさみしい光景だ。紙粘土でこしらえた繭の殻に入り込み、わたしはここにいます、だれかきづいてください、と囁き続けているような、何ともさみしく切ない光景だ。その繭の中でかれは悪魔に餌をやり、独居老人が飼っているペットの猫のように育てていったのだろう。さみしい青年に背中を撫でられながら、悪魔は日に日に肥えていった。

 前に触れた新潟の少女監禁事件もそうだったが、繭の中に閉じこもるというのは、外の世界に自分居場所を見つけられないからだろう。そして自分の居場所を見つけられないというのはそこに自分の心にとって親しいもの、リアルなもの、魂をつなぎとめるものをこの世界の中に見いだせない、ということなのだろう。

 宗教学者のミルチャ・エリアーデはその著書「聖と俗」のなかで、〈聖なる柱〉について記している。〈聖なる柱〉とは、空間の裂け目であると同時に他の領域への象徴的な入り口であり、またそれは天界と交流する世界軸でもあり、その〈地の臍部〉の周囲に世界は形成され広がっていく。ついでかれは、オーストラリアの先住民たちの伝承に触れ、かれらがこの〈聖なる柱〉をゴムの樹でつくり、遊牧の際にもこれによって進路をとっているという話を引いている。

 

 柱が折れることは破滅であり、いわば〈世界〉の終焉、混沌への逆戻りである。 ....報告によれば、かつて聖柱が折れたとき、氏族全体が死ぬほどの不安に襲われた。氏族の者たちはしばらくのあいだ当てもなくさまよったあげく、とうとう地面に座り込んで死を待っていたという。

 

「私の名前は門命半諮堂(かちなかた) 私は神です。天帝を支配し神の頂点に立つ。さあ、大いなる正義のはじまりです」 容疑者が現場に残したメモの、このまるで幼稚な子供向けアニメのごとき絵空事の文言も、それがどれほど稚拙で漫画的で、そして現実離れしたものであったとしても、かれが自らの世界を立て直すためにうち立てたかれ自身の〈聖なる柱〉に刻んだ聖句だと思えば得心もする。同じこの現代社会に生きている私たちのなかで、果たしてかれのこの孤独な儀式を笑い飛ばすことができる者がいるだろうか。私は、笑えない。

 

*

 

○月○日

 晴れ。すこしだけ寒さが戻ってきた。

 朝 おかゆ、紅鮭、煮豆、梅干し、塩こんぶ。

 片づけの後、包丁を研ぐ。最初は気乗りがしなかったが、研いでいるうちに面白くなってきた。無心で砥石の上を滑らせる。ついでに、つれあいが使っていたハサミも研ぐ。父親の形見の登山ナイフも研ぐ。つれあい、包丁もハサミもよく切れるようになったと喜ぶ。

 研ぎものを終えて台所から戻ると、つれあいはパソコンの前に座って、今日が結婚式の○○さんところなどへメールを書いている。送信しようとして、切り方が分からなくなったら困ると思い中断したところ、メールが消えてしまったので、もういちど書き直したと言う。見ると、どんな操作をしたのか、下書きのボックスにひとつ、送信ボックスに三つもおなじ宛先のメールが入っている。やり方を説明して送信を終えると、やっぱりわたしは手紙の方がいいわ、と宣う。

 昼 お好み焼き(豚肉、蛸、キャベツ、桜エビ) つくりはじめてから、つれあいが卵がないことに気づく。すぐ買ってくると進言したのだがつれあいは、何とかなるわよ、と言う。私はつれあいのお腹に手を当て、この辺を押したら卵の一個くらい出てこないか、と戯れ言を言う。それでも心配で、代わりに山芋を少し擦っていれる。赤色何号とかが入っている桜エビの色だけ妙に毒々しく、ここだけガン細胞みたいだ、と二人して箸の先でつつく。

 昼から炬燵で寝ころんで、つれあいの話を聞いているうちにうとうとと眠ってしまった。デパートのなかで黒服の殺し屋と拳銃で撃ち合いをしているヘンな夢を見る。目が覚めたらすでに夕方だった。つれあいは隣の部屋でマタニティ服の制作、畳に広げた生地を裁断している。今日はサティであさりが安いから、夕食の前にちょっと買いに行かないか、と誘う。サティへ歩いていく道すがら、さっき見た夢の話をつれあいに聞かせる。殺し屋との撃ち合いなのに全然緊張感がなくて、拳銃の弾丸ものろのろと飛んでいって相手のお尻に跳ね返ってぽとんと落ちてしまうんだ、と言うとつれあいはおかしそうに笑う。

 サティの食料品売場で、あさり298円、シラス198円、シソ昆布188円、ごま油298円、バナナ100円、缶ビール133円を買う。私の希望で今夜の夕食の予定を変えてカツオのたたき404円、それに見切り品の棚で半額になっていた食用菊50円も買う。あとで菊のご飯か、菊を使った何か総菜をつくるつもり。

 前日に私が見かけた調理用のザル(私が一人の時に買ったプラスチックのザルの買い換え)の処分品を見に行こうと行きかけた途中で、中古CDのテナントを見て足を止める。私がぐずぐずしているのでつれあいは、先に行ってるわよ、と行ってしまう。何とこんなところでディランの Hearts Of Fire のサントラを見つける。すでにLPで持っているものだが、いま手元にないので、500円くらいだったら買ってもいいなと思い店員にいくらかと訊くと、値札の付いていないものは全て500円だと言うので買うことにする。ついでにオリバー・ストーン監督のドアーズの伝記映画のサントラ、ほとんど全曲ドアーズのオリジナル演奏だったので、これもベスト盤のつもりで一緒に買う。併せて1050円。

 台所用品の売場へ行くと、つれあいがこのザルはヘンな塗料が塗ってあるし、良くないと言う。代わりにシルバーストーン加工の、フライパンの上に被せる蓋を手にしている。うちの大型の中華鍋にもサイズが合うかと、それを持って近くの売場に置いてあるフライパンなどに合わせてみてから買う。500円。隣の売場に並んでいた有田焼と信楽焼の小鉢などを、これちょっといいなあと私が手に取るとつれあいはいつものように、センスが悪い、と言って顔をしかめる。

 それからつれあいの要望で電気売場のオーブンなどを少し見てから私が、今日はもうこれから帰って作るのは面倒だから、カツオのたたきと、さっきあったひと串50円の焼き鳥のバイキングで夕食は済ませようよと言い、9本計450円をもういちどレジに並んで買う。そんなことをしていると、つれあいが少し気分が悪いと言い出す。長居をしすぎたか。あわてて家へ帰る。背中をさすりながら帰ってくる。

 夕食 ごはん、カツオのたたき、タマネギのスライス、焼き鳥、キャベツの千切り、ほうれん草のゴマペースト和え (つれあいの好きな「大草原の小さな家」をテレビで見ながら)

 かたづけは私がひとりでする。米をとぎ、生ゴミを取り、風呂を沸かし、布団を敷く。つれあいは食後しばらく炬燵で横になっていたが、風呂にはいると少し気分がましになったらしい、NHKのテレビで「20世紀の映像」の最終回・奈良篇を二人で、つれあいの実家の畑で成った夏みかんを食べながら見る。続いて私が風呂に入り出てくると、つれあいは炬燵にもぐって図書館で借りてきた「少ないモノでゆたかに暮らす」という本を読んでいる。さっきまで気分が悪いと言っていたのだから今日は早く寝なさいと言うと、おとなしく隣の部屋の布団へもぐり「おやすみなさい」と小さな声で言う。しばらく頭を撫でてやり、額におやすみのキスをする。

------今日は武田百合子女史の「富士日記」風に。

    

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 風の強い日には山へ行くといい。人の踏み固めた道(ルート)をはずれて、獣のごとく叢林のただなかへ身をおく。そして耳を澄ます。ぎぃっ、ぎぃっ、と樹々のかしぐ音、がし、がし、とたわんだ枝と枝がこすれあう音、あるいは竹林ならもっと調子の高い、薪を割ったような軽快で乾いた音。どれも耳に心地よい。町の騒音のように、嫌な感じがひとつもしない。ぎぃっ、ぎぃっ。がし、がし。きりりりっ。風が渡っていくと、枝々の葉がざわざわと一斉に翻りわななく。まるで浪の音だ。呑み込まれ、さらわれてしまいそうな眩惑を覚える。体中の毛穴がひらいて、うねりのなかへ溶けこむような陶酔...  熊野のある山では山頂から年に数回、重畳たる山塊の上にうっすらと、はるか黒潮の海が見えることがあるという。山のなかに海がある。これはほんとうだ。風の強い日に山へ行けば、その不思議が分かる。森は海を孕んでいる。人が森のなかをさまよい、海を恋い慕うように。人は一本の木のようにまっすぐに立たなくてはいけない、とどこかの詩人がうたっていた。

 

 

 

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